21. 魚図鑑
珍しく漫画を買ってみた。
ネットを見てると死ぬほど広告が入ってきて、最近映画化も決まったというSF漫画。
マジでわんこそば並みにCMを挟んでくるので「そこまで言うなら読んでやろうじゃないか」という心意気で読んでみたが──
「なかなか……おもろいやんか」
全10巻を一気に読み終えてしまった。
するっと物語の中に引き込まれて結末まで読む手が止まらなかった。
読み始めたのは22時頃だったはずだが、気がつけば深夜もそろそろ終わりかけの時間になっている。
あぶねえ……これが全24巻とかだったら、前のゴールデンウィーク明けみたいにまた一睡もせず朝を迎えてしまうところだった。
やはり世間が面白いというだけあるな。前のRPGの時といい俺は案外ミーハーなのかもしれない。
他の人の感想を是非とも聞いてみたいので、明日クラスのやつらに薦めてみることにしよう。
観賞用&布教用の1巻を学生リュックにしまい、薦める時のプレゼンをイメージトレーニングしながら就寝した。
「興味ないな」
「なん……だと……」
教師が欠席とのことで自習となった英語の時間、ここぞとばかりに件の漫画を前の席の広樹に薦めてみたが、紹介の熱が入る前に出鼻をへし折られた。
「バトル系とか可愛い女の子系だったらいいけどさ、なんか難しそうなやつわざわざ読みたくねんだよな」
「難しくねえって、多少タイムリープ云々があるぐらいで」
「いやー無理だわ。英単語の過去形も分かんねえのにフィクションの時間軸なんてもっと分かんねえよ」
「く、食わず嫌いの読まず嫌いしてるだけだきっと」
「……珍しいな、
普段漫画をあまり読まない俺が食い下がる様子に、広樹は目を丸くしていた。
「そうだ。この俺がオススメするのが珍しいから、それほど面白いってことだ」
「どうかなー。蓮が漫画の面白さに気づいたってだけで、その作品が特別面白いってわけじゃないんじゃないか?もしかしたら違う漫画読んだら今よりハマるんじゃね」
「ぐっ……なかなか良いとこ突くじゃねえか」
たしかに作品をそこまで多く知らないから、俺のオススメにあまり説得力がないのは事実だ。英単語の過去形もわからないのに、なぜそこには鋭いんだ……。
どうやらこの様子では広樹に読ませるのは無理そうだが──
「他の奴らにも薦めてみたんだけどさ、まるで興味示さねえんだよな。逆に敬遠してるまである」
「そりゃあんだけ広告流してたらな。あれだけ言われると逆に読んだらミーハーみたいな気分にならね?」
「別にいいだろ。良い作品に出会えるならそこへのプロセスなんて関係ない」
俺も読み終わってから『ミーハーみたいだな』とか思ったけど、それで素晴らしい作品に出会えるなら大したことじゃない。
というか別にミーハーだって度が過ぎなければ別に悪いものじゃない。フットワークが軽いとも言える。
俺のミーハー上等宣言に対して、広樹がどこか遠くを見つめて言う。
「男には世間の声に簡単に流されたくない、プライドってもんがあるのさ」
「プライドって時々ホントに必要なのかって思うわ」
「みんな自分の信念に基づいて動きたいんだ。絶対恋愛したくない蓮みたいに」
「俺のはプライドじゃなくて嗜好の問題だろ」
もはや漫画のオススメ云々とはかけ離れた議論が始まろうとしていた。
すると、脱線しかけてたこちらの話に参加者がやってきた。
「やっほー、何話してんの?」
「授業中だぞ」
「これが授業だったら学級崩壊だね~」
ヘラヘラする柏木の言葉を聞いて周りを見てみると、クラスメイトの半分が自分の席を立って思い思いに友達と駄弁っていた。もはや休み時間みたいな空気だ。
まぁ急な自習で課題も出なかったしな、こうなるのは必然か。
「蓮が珍しくハマった漫画があったんだとさ」
「マンガ?」
「
「たまにな」
広樹が会話の説明をすると、星乃は意外そうにした。
「それで他の人の感想が知りたいって言うんだけど、なんか難しそうな漫画なんだよなー」
「だから難しくねえって、多少過去とか未来に飛ぶぐらいだって」
「あー、アタシもそういう時間とか出てくるの苦手かも~」
「タイムリープ物って万人受けのジャンルかと思ってたけど、意外とそうでもないんだな……」
時間物の作品と聞くと柏木も広樹と同じく少し苦い顔をした。
娯楽で頭を使いたくないって気持ちは分からなくはないが。
「そうだ、星乃は興味ないか?」
「えっ?」
ならばと最後の希望で星乃に尋ねてみる。
きっと優等生風さんの頭脳ならタイムリープに苦手意識はないはず。
「私はちょっと読んでみたいけど、でも……」
「でも?」
「借りるだけっていうのは、なんか申し訳ないなって」
星乃は少し眉を八の字にして苦笑する。
前に古雑誌の手伝い申し出た時も思ったけど、星乃ってたまに細かいとこで律儀だよな。
「漫画の貸し借りとかしたことないのか?」
「うーん、ないかも」
「まじかよ」
漫画とかの貸し借りって誰しも一度は通るイベントかと思ってたら、星乃はそこをスキップしてきたらしい。
自分で読むものは自分で揃えたいみたいな感じなのかな。
遠慮する星乃に柏木が助言する。
「じゃあさ、ナギもなんか貸せばいいんじゃない?」
「え?」
「たしかに。星乃が良かったら、俺も星乃の好きなやつ読んでみたい」
思わぬ助け舟に俺も相乗りする。
そうだ、一方的に借りるのがダメなら貸し借りすればいい。
同級生の女子が好きな本とかちょっと興味あるし。
「そ、そう?じゃあそうしようかな」
「やったぜ。はいこれ」
無事星乃はその方向性で了承してくれたので、俺は早速用意してた漫画を渡す。
「返すのはいつでもいいからな。食べちゃってもいいぞ」
「た、食べないよ。ありがとう」
俺のつまらんジョークにしっかりと星乃はキャッチボールを返す。
きっと広樹なら流すんだろうなぁと坊主の方を見やると、なにやら柏木と違う漫画の話で盛り上がっていた。
「ねぇ、神道くんって今日の放課後時間ある?」
「え?いや、今日は特に何もないけど」
2人の漫画談義を眺めてたら星乃に突然予定を聞かれた。
「じゃあ、放課後ウチまでついて来て貰ってもいい?せっかく神道くんが今日貸してくれたから、私も今日渡したい」
「あぁいいけど。別に明日以降でも全然いいんだぞ?」
「うーん……学校に持ってくるにはちょっと重たいから」
「ん?まぁ、それなら」
なんだろう、重たい本って。
シリーズ一気に貸したいとかかな。別に俺も1巻しか貸してないから、星乃も1巻だけでいいんだけどな。
まさか電話帳じゃねえよな……?
まぁどちらにせよ、重たいというなら行くしかない。
俺の都合で星乃に重たい物持たせて登校させるわけにはいかないし。
帰りのHRが終わり、放課後になった。
クラスメイト達が散り散りに教室を去っていく中、星乃は黒みがかったセミロングの茶髪を弾ませて俺の席まで歩み寄る。
「神道くん、行こっ」
「……ん?おう」
なんか星乃の声が弾んでる感じがして、一瞬返事が遅れた。
いつもよりトーンが半音高いような……?放課後休みはウキウキウォッチングか?
微量のウキウキを乗せた星乃と共に教室を出て、昇降口まで向かう。
「神道くん徒歩通学だよね?前に朝1回見かけたし」
「あ、あぁ、星乃もそうだよな」
「うん」
覚えてたのか……前に雨の降った日、数分だけ一緒に登校した時のこと……。
あの時の奇行を掘り返されるわけにはいかないので、すかさず会話を加速させる。
「星乃ん家ってどっち方面?学校から出て駅の方?」
「ううん、駅とは逆。川の方」
「ほーん」
その後細かい通学路の道順を聞くと、どうやら星乃と俺はほぼ同じ通学ルートらしい。
同じ中学で同じ徒歩通学だしな、そりゃ家も近いこともあるか。
だいたい同じ帰宅ルートと分かったので、お互い特に気兼ねなく昇降口を出て校門を抜けていく。
「でも、それだと星乃の家って結構遠くないか?俺でだいたい15分ぐらいだから……25分ぐらいかかるんじゃないか?」
「そうなんだよね~。でも電車通学に比べたらずっとマシかも」
「まぁたしかにな。自転車とかは使わないのか?」
「考えたけど……朝から自転車は疲れちゃう。漕いだまま寝ちゃうかも」
「命に関わるなそれは」
「あはは、でしょ?」
会話を弾ませながら俺達は帰路を共に歩く。
前にクラスの男子達と議論を交わしたことがあったが、やっぱりこういう時の星乃は普通に話しやすいよな……?
全然『仮面 in the バリア』なんか感じないし、なんならデートの誘いとかもワンチャン行けそうなんじゃないかとさえ思う。まぁ誘わないけど。
「でも最近ね、徒歩通学も悪くないかなって思ってきた」
「そうなのか?」
「うん。朝歩いてるとだんだん頭が起きてくるし、ゆっくり歩くと色んな季節の変化楽しめるかなーって」
「風流だなぁ」
夏は暑さに身を溶かし冬は寒さに体を縮ませる、そこに趣を感じられるなんて星乃は感受性も優等生だな。
「それに……」
「ん?」
「う、ううん、なんでもない」
星乃の詩人的感性に感動してると、星乃は俺を見ながら何かを言いかけてやめた。
それに……なんだろう、『運動になる』とかか?若干年寄り臭いから言うの憚られたか。
初めての物の貸し借りに興奮してるのか多少頬に赤みを持った星乃と歩いてると、やがて見慣れた曲がり角がやってきた。
「ここを曲がってちょっと行くと、俺の住んでるマンションだな」
「へー、こんなに近かったんだね」
俺が曲がり角の先を指差すと星乃はその方向を見ながら返す。
今日は俺の家に用はないので、そのまま曲がらず再び星乃の家まで歩く。
「でもこんなに通学路一緒なのに、全然行きも帰りも星乃のこと見かけなかったな」
「時間ズレてるからねー。朝は私が遅いし、帰りは神道くんの方が遅いし」
「まぁたしかに」
「神道くんいつも放課後何やってるの?帰りのHR終わっても、いつも机でなんかしてるイメージ」
「あれは……大体バイト行くまでの勉強とか、タイムスケジュール作ったりとか色々」
「タイムスケジュール?」
「今日家帰ったらこの時間までにこれやろうみたいなやつ。時間決めたらダラけるの減らせるから、たまにやるんだよ」
「すごーい、えらーい」
星乃は驚きつつ褒める。
基本俺は帰りのHRが終わって即直帰というのはあまりしてない。
バイトの時間まで作業したりとか、たまに料理研究部のエプロン達に顔を出しに行くとかで、少しの間学校に残ることが多かった。
別に学校が好きとかじゃない、家に帰っても特にできることが変わらないだけだ。
学校に居たほうが光熱費も多少浮くし。別に俺が払ってるわけじゃないけど、今から光熱費の感覚を持っておいて損はないと思う。
「逆に星乃はいつもすぐ帰るよな」
「うん。バイト先がちょっと遠いから準備が要るし、お家の方が好きなんだ」
「ふーん」
星乃と昼を過ごすようになってから別れの挨拶をするようになったので、だいたい俺より先に教室を出る星乃を目にしていた。
家が好きっていうのは良いことだな、健全な家庭環境ということだ。
他に俺が放課後にしている作業について話してると、その憩いの場の星乃家に着いた。
「はい、ここが私のお家」
「ほぉー」
星乃の家はやはりというかイメージ通りというか、白を基調とした一軒家だった。
なぜ白の一軒家が星乃のイメージ通りかは分からない。ホントになんとなく。
星乃家の全体像を見て感想をこぼす。
「オシャレな家だな」
「そう?」
「あぁ、なんか……カフェみたい」
「そうかなぁ~」
白い2階建ての一軒家は、青い玄関のドアや赤い窓枠で彩られていて、フランスパンとか売ってそうなオシャレさのある家だった。
星乃はすっかり見慣れた我が家だからか、俺の感想にあんまりピンと来てないようだった。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
「おう」
そう言って星乃は一度玄関を開けて家に入っていった。
良かった……億が一にも星乃の部屋とかに誘われたらどうしようかと思ってた。
女子の部屋なんて碌に入ったことがないので、もし星乃の部屋の敷居を跨ごうものなら絶対借りた本を読む時に邪念が浮かびそうだった。
精神の安寧を安堵をした数分後、再び玄関の扉が開いた。
「おまたせ神道くん。はいこれ」
「あぁ、ありが…………え?」
意外な物を手渡されてお礼の句が途切れる。
星乃が渡してきたのは文庫本よりかは遥かに大きく、しかし電話帳ほどの厚さではない、やや重厚な『図鑑』だった。
タイトルから察するに、日本のあらゆる魚をほぼ網羅していそうな『魚図鑑』。
「魚図鑑……?星乃、こういうの好きなのか?」
「う、うぅ、ん……というより、神道くんこういうの好きそうかなって」
「え?あぁ、まぁ最高に好きだけど」
俺の質問に対して類を見ないほど歯切れの悪い返事をしたのが気にかかったが、それよりこういう図鑑系が大好物なのは確かだった。
ありがたく星乃の手から図鑑を受け取る。
「ほんと!?やっぱりこういうの好き?」
「あぁ、知識の宝庫だしな。それに星乃のオススメってことは内容も保証されてそうだし」
「そ、そお……だね」
なんだ?急にテンション上がったと思ったら、また唐突にギコギコし出したり。
漫画のお返しが図鑑ってところになんか引っかかってんのかな。別にそんな変じゃないけどな。
星乃の様子を不思議に思いながら、なんとなく図鑑をひっくり返して裏表紙を見てみる。
うぉっ。
「これ……ほんとに借りていいのか?値段がすげーんだけど」
1万円札で買うのが自然な額だった。俺の貸した漫画とは比にならないレベルだ。たしかに図鑑とか専門書みたいのは高価になりがちだけど。
俺の疑問に対して星乃は平然と答える。
「うん大丈夫。神道くんなら綺麗に使ってくれそうだし」
「まぁ人の借りた漫画に折り目をつけるような不届き者ではないけど」
「それに、それ布教用だから」
「え?」
この額の本が何冊も?星乃ってもしかして御令嬢様?
「ふふ、うそうそ。たまたま家に同じのもう1冊あるから、そんなに気にしなくて大丈夫だよ」
「あ、あぁ、そうか……」
育ちが良すぎるプリンセスかと思ったが違ったようだ。
たまたま同じのが2つダブるっていうのはまぁよくあるか。失くしたと思って買ったら後になって出てくるとか。
でもこの値段を2冊とは、釣り好きのお父さんでもいるのかな。
もう1冊あると言われても結局高価なものには変わりないので、丁重に扱うことにする。
風にさらさないようリュックにしまうと、幸いなことにちょうどすっぽり収まってくれた。
「よっと」
少し重くなったリュックを背負い直す。なんかお宝ゲットしたトレジャーハンターの気分だ。
湧き上がる高揚感に耐えながら星乃にお礼を言う。
「ありがとう星乃、こんな素晴らしいもの借してもらえるとは思わなかった」
「ほんと?良かった」
「さっそく今日読んで見るわ」
「うん、私も神道くんが貸してくれたの読んでみるね」
逸る気持ちを抑えながらオシャレな星乃家を後にした。
夕食後、早速星乃から借りた図鑑のインプットに取り掛かる。
ちなみに今日の夕食はサーモンパスタとカルパッチョ。魚図鑑に影響されてたのは言うまでもない。
星乃の大事な私物に傷を付けるわけにはいかないので、ベッドの上で開くことにした。
リュックから取り出し、柔らかい掛け布団の上に図鑑を置く。
そして、期待でドキがムネムネしながら最初のページをめくると──
「……え?なんだこれ」
目に飛び込んできたのは、大量の手書きの文字だった。
図鑑の余白という余白、写真の下、あらゆるところにびっしりとメモが書いてあった。
まるで役者が台本にあらゆるメモを書き記すみたいに、その図鑑には多くのインクが塗られていた。
「これは……布教用か……?」
もしやと思って、夕食時から放置していたスマホを確認してみる。
案の定、少し前に星乃からチャットが来ていた。
『ごめん神道くん!貸す方間違えちゃった!』
『あんまりそれは中身見ないで貰えると嬉しいな……』
2つのチャットの後に、うるうると涙目でお願いしてくるペンギンのスタンプが添えられている。かわいいなこのスタンプ。
普段星乃とのやりとりは美化委員の業務連絡が主で簡素なメッセージのやりとりばっかなので、よりスタンプの可愛さが引き立っていた。
タップして詳細を見てみると、種類も多く汎用性も高そうなので早速購入した。
しかし、やはりそうか。
星乃は布教用と思って渡したが、これは完全に実用用のやつだ。
ここまでびっしりメモが入っている物を布教のために貸し出すのは、通常ありえない。どちらかと言うと何も書かれてない綺麗な方を貸すはずだ。
俺を待たせていることもあって、あまり中身を確認する余裕もなかったのかな。
星乃のチャットに対し『了解』と返事をし、そして「たまたま俺も持ってたぜ」と言わんばかりに同じシリーズのビシっと敬礼するペンギンスタンプを送っといた。
送信済みを表示するスマホを閉じ、少し考えに耽る。
(『中身を見ないで貰えると嬉しい』ってことは、中身を見られるのが恥ずかしいってことだよな……)
つまりこの大量のメモは、星乃が書いたってことか?
最初見た時はてっきり家族の誰かが書いたメモかと思ってたけど、そうだとしたら『メモがあるからちょっと読みづらいかも』ぐらいの温度感でチャットしてくる気がする。
(ということはこれは、たまたま家にあった物ってわけじゃなさそうだな)
これだけ星乃自身のメモがあるなら、きっと星乃の所有物なのだろう。
所々に年季のようなものを感じるし、一種の宝物みたいな雰囲気さえしてくる。
これはより丁重に扱うべきだろうな。
「うーん……」
宝物を閉じる前に、偶発的に開いてしまったページをぼんやりと眺めながら考える。
先ほど星乃とは『中身を見ない条約』を交わしたので、これ以上のページ進行はきっと許されない。
がしかし、星乃が書いたとされる膨大なメモに対する興味と、元々の図鑑に対する知識欲が相まって、俺の好奇心はガンガンに背中を押していた。
「すまん、星乃」
結果、自分の好奇心に少しだけ譲歩することに決めた。
たまたま開いてしまった最初の1ページの半分だけ覗いてみよう。
実際、さっきめくってしまった時ほとんど目にしてしまったから、きっとそんなに変わらない。きっと。
罪悪感を一度感情の外に置いて、図鑑のメモ達を観察する。
「字を見る感じ、最近書いたものじゃなさそうだな……」
美化委員の議事録で一度星乃の字を見たことはあるが、優等生らしい綺麗な字だった。
この図鑑にかかれているメモ達の字はその雰囲気に似てるものの、どこが幼い感じがする。
中学生か小学生………たぶん小学生ぐらいの時に書いた字だな。漢字の割合的に小学生っぽい気がする。
最初の半ページが取り上げてる魚は、大衆魚の王様とも言える『アジ』だった。
これが五十音順なのか知名度順なのか、この半ページ以外の情報を遮断されてる俺にとっては分からない。
その唯一閲覧できるアジのページに書かれていたメモ達は──
『見たことある!』
『アジフライ、なめろー、おさしみ、すの物、南ばんづけ』
『お父さんが釣ってた』
『せーごがちょっといたいかも』
実に小学生らしい、可愛げのあるものばかりだった。
『せーご』は……『ぜいご』のことか。たしかあの尻尾の付け根から伸びてるトゲみたいなやつだよな。
三枚おろしの練習する時に何回も指にぶっ刺さったから、ぜいごのことは敵愾心を込めてよく覚えている。小学生の星乃もアジの三枚おろしに挑戦したのだろうか。
その他にもアジについてのあれこれが書いてあったが、中でも特に目を引いたのはアジの模写だった。
幼い星乃が書いたであろうアジの絵が、写真のすぐ下の余白に描いてあった。
「上手いな……」
某ハコフグを頭に乗せた人の絵を見たことあるが、あれに近いような上手さを感じる。
特徴を捉えているというか、アジの外見を知ってる人が見たら「アジかなこれは」となるぐらいにはアジだと分かる。
「なんか、星乃にもちゃんと好きなものってあったんだな」
最近仲良くなった女の子の意外な一面を見た気がした。
随分前から『教室の景色にいる副委員長様』というイメージは薄くなっていたが、今回ので星乃という人間がまた一つ近くに感じられたような気がする。
これ以上は星乃との約束の決定的な反故に繋がりそうなので、この宝物を丁寧に閉じることにした。
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