18. モーニングコール
「主人公のメガネ姿かっこよすぎだろ、俺もメガネ掛けようかな……」
ゴールデンウィーク(GW)最終日、俺は自室でRPGゲームに夢中だった。
俺が一人暮らししている部屋は2LDK。
玄関を開けたらキッチンが見えて、そこから廊下を通ってリビング、そしてリビングの奥に2つ部屋の扉がある。
俺はその部屋の1つをほぼワンルームのように使っていて、残りのもう一つの部屋は客室みたいになっている。
両親曰く「たまに泊まりに行きたい」とのことで、その客室には未だ誰も使ってないベッドが置かれていて、小綺麗にカーペットも敷かれている。
結局GWの間両親は来なかったけど、一体あれはいつ使うんだろうな。
不意に見ると他に誰か住んでるんじゃないかって錯覚してギョっとするんだよな。
そんな高校生の一人暮らしにしては大分リッチな部屋に住んでるわけだが、親の知り合いが持つマンションらしく、かなり格安で借りられてるらしい。
親のコネの恩恵をありがたく享受しながら、俺は椅子に座って机のノートパソコンと向き合っていた。
「えーっと……いやダンジョンはまだだ。今日は月曜だからコミュを優先で──」
曜日と天気と相談しながら、最善の1日の過ごし方を模索する。
最初は教養として始めた名作RPGだったが、やはり名作と言われてるだけあって例に漏れず俺もすっかりハマってしまった。
世の中で面白いと言われるものに触れていくのも大切だと俺は思う。
というのは建前で、ただただ連日のバイトで体が疲れ切っていて何も作業する気が起きなかった。
「ふわぁ……」
物語が一段落したら不意にあくびが出た。
いかん、ちょっと眠くなってきたな。
時計の針はまだ20時を指していたが、俺の身体はいつもより長めの睡眠を必要としてるようだった。
明日からは学校だし早めに寝るとするか。今日はもう寝ようぜ。
青い蝶に触れてゲームデータをセーブし、ノートパソコンの電源を落とす。
そして、ボーッとする頭で寝る準備を始めようとしたら、にわかにスマホが鳴った。
アプリの通話着信の音だった。
「なんだ……?」
チャットもせずにいきなり電話を掛けるのは、俺の連絡先の中では
きっとくだらない面白動画を見つけたとかそんなところだろうと、特に画面を注視せずに通話マークのボタンを押す。
「どうした」
「も、もしもし、シンドウくんですか?」
「違います」
反射的に否定する。電話の声はとても可愛げのある女性の声だった。
俺はこんなかわいい声の女性の知り合いはいない。
つまり俺の知らない女の人が言う『シンドウくん』は、きっと俺の知ってるシンドウくんではなく、したがってそれは俺ではない。
「えっ?えーと……」
電話の向こうの女性は困惑してる声色だった。
でもなんでこの人が俺のスマホに電話を掛けられたのか、怪訝な顔で画面を確認してみる。
画面に表示されてたのは猫と戯れてるバカそうな男子のプロフィール画像で、やはり通話の相手は広樹のようだった。
「違うって言ってるけど……」
「へ?ちょっと変わって……おい何が違うんだよ。お前は
戸惑う女の人に代わって正規の通話相手が出てきた。
「俺は俺だよ。やっぱり広樹じゃねえか」
「どうも俺です」
「何の用だ。彼女ができた報告か?」
「あ?彼女?」
「さっきの声彼女じゃないのか?」
広樹のスマホを使って電話していたのだから、きっと彼女かそれ相応に仲の深い相手なのだろうと思った。
「何言ってんだお前、今の
「え?あぁ、星乃だったのか」
どうやら見当違いのようで、先ほどの声は星乃だったらしい。普段と全然違ってて分からなかった。
いや、星乃だと言われれば確かに星乃の声だと分かるが、いきなり聞かされた時は全く分からなかった。
星乃ってあんな可愛い声してたっけかな……?
電話越しの声はまたちょっと違うフィルターが掛かるのかもしれない。
「で、なんで星乃が広樹のスマホ使ってるんだ?」
「そりゃお前、副委員長様のモーニングコールよ」
「モーニングコール?」
なんで夜の20時にモーニングコール?
「その様子だと今起きたってわけじゃなさそうだな。なーんだ、無駄になっちまったな」
「まぁ……今起きたっていうか、むしろ今から寝ようとしてたけど」
「は?」
広樹の素っ頓狂な疑問符が聞こえる。
「おい、今から寝るって、具合でも悪いのか?」
「いや別に。ていうか俺はここ数年風邪なんて引いてないぞ」
「そうだよな、びっくりしたわ」
普段から自炊で栄養をしっかり取ってるおかげか、中学に入ってから風邪とは無縁だった。
しかし、どこかさっきから会話が噛み合わない。なんとなく風邪とは別の悪寒がしてくる。
俺が何か嫌な予感を感じ始めた数秒後、電話の向こうにいるこの世で最も俺に詳しい高校生は、全てを察したような声を漏らした。
「……あぁ、なんとなくわかったわ」
「何が?」
直感的に聞きたくないと思ったが、聞かざるを得なかった。
「
「…………は?」
広樹の言葉を聞いてすぐに耳からスマホを離す。
そしてスマホのホームに戻ると、そこには無機質な『月曜日』と『AM 8:20』の文字があった。
まさかと思い締め切っていた遮光カーテンを一気に開ける。
すると、目が焼けそうなぐらい眩しい朝の光が襲ってきた。
「うぉ……太陽拳……」
思わず腕で顔を庇う。
なんということだ。さっき見たアナログ時計の針は、午後8時ではなく午前8時を告げていたのか。
それでいつもの時間に登校しない広樹が電話を掛けてきたと。
そんなバカな……。
たしかにアナログ時計の弱点だけど、こんな漫画みたいなこと本気で起こるなんて。
ていうか、たしか14時ぐらいからゲームを始めたから──
「どうやら俺は18時間ゲームの世界にいたらしい……」
「やっぱりか。前も1回あったよなこれ」
「あぁ……たしかに……」
俺に詳しすぎる高校生の言葉で思い出す。そういえば中学の時にも1回やらかしていた。
実家に居た時は妹と同じ部屋だったから極度の夜更かしなんてできなかったが、妹が修学旅行に行った日、思いっきりタガが外れてしまったのを思い出した。
「蓮のその集中力はすげぇけどさぁ、ワンチャン病気なんじゃねえかそれ」
「こえーこと言うなよ」
「だって普通18時間は気づくだろ。トイレとかなんかで1回も席立たなかったのか?」
「いや……覚えてない……」
全然覚えてない……思い出すのはオシャレな戦闘BGMばかり……。
ていうことは、俺はこの椅子に18時間座り続けてた可能性があるわけで。
「なぁこれ、エコノミー症候群とかにならないかな」
「よくわかんねー症候群の前に、小テストの心配をするんだな」
「う゛っ……!」
広樹の言葉に思わず視界が歪む。
そうだった……今日は数学の時間にGW明けの小テストがあるんだった。
別に成績的には無視しても定期テストで余裕で巻き返せると思うが、放課後に再テストとか、補填の課題を提出とか言われたら至極めんどくさい。
俺は全てを受け入れたように言葉を溢す。
「行くしか……ないんだな……」
「あぁ、お前の戦場はこっちだ」
広樹は俺がやっていたゲームのジャンルを勘違いしてそうな返事をする。
この電話がなかったら間違いなく惰眠で無断欠席してたので、危機を救ってくれた友人にお礼を言って電話を切る。
休眠状態になろうとしていた体を無理やり覚醒させ、遅すぎる登校の準備を始める。
問題の数学は4限だからさほど急ぐ必要はない。
どうせ遅刻だ、ゆっくり飯食ってから行こう……。
あらゆる状態異常を食らってるかような重い足取りで教室に重役出勤したら、2限終わりの休み時間のタイミングだった。
教室へ入ると扉の近くにいた男子グループに迎え入れられる。
「おっ、戦士がやってきたなぁ!」
「おい神道、何のゲームやってたんだ?」
「エロいやつか?」
凱旋めいた言葉を皮切りに、口々に男子達が煽ってくる。
どうやら広樹は遅刻の事情をクラスメイトに言いふらしたらしい。
「普通のRPGだよ。多少エロかったけど」
「まじかよ!」「18歳未満がやっていいのかー!?」「ウヒョー!」
「18禁じゃねえよ」
予想外の答えに沸き立つ男子達を手で払い自分の席に向かう。
でも実際ちょっとエロかったのは事実だ。ストリップみたいな敵もいたし。
席に座ると、早速流布の元凶がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「よお、おはようさん」
「こういう場合も『おはよう』なのだろうか。ていうか言いふらすなよ、めんどくせえだろ」
「大丈夫だよ、あいつらぐらいにしか言ってねえから」
広樹は先程絡んできた男子達の方を指して言う。
まぁそれぐらいならいいか、と口軽な男を許したら「ふわぁ」と再びあくびがでた。
無事に着席できた安心感で眠気が戻ってきたようだ。
「何時間起きてんだ?」
「えーと、昨日起きたの6時で今10時だから……28時間だな」
「すげえな。さすが徹夜に強い蓮だな」
「まぁ人よりかは強い自信はあるが……さすがにそろそろ限界だな」
夜更かしや徹夜をするのはしょっちゅうなので長時間活動には強い方だったが、GW中のバイトの疲れが溜まっている体は、もう赤信号を灯す気力すら残っていなさそうだった。
「次の時間映画鑑賞らしいから、寝ちゃっていいんじゃないか?」
「寝ようとしなくてもたぶん寝るなそれは」
幸か不幸か、次の英語の授業は洋画鑑賞らしかった。きっと教室を暗くしてプロジェクターで写すやつだろう。
今の状態で電気を消されたら間違いなく寝る。
「おはよう神道くん。久しぶり」
「ん?あぁ、おはよう」
映画を見ずにどう感想のレポートをまとめるか考えてたら、星乃がやってきた。
先ほど声は聞いたが実際に会うのは約1週間ぶりだった。
「あっでも、『おはよう』じゃないかも?」
「ふっ、俺もよく分からん」
俺と全く同じ疑問を抱いていて軽く笑ってしまった。
星乃も俺の事情は知ってるようで、ずっと起き続けてた人に『おはよう』で挨拶することに違和感を覚えたらしい。
「そういえば、なんであのモーニングコールの流れにな……いねえし」
あの電話の発端を広樹に尋ねようとしたらいつの間にか消えていた。トイレか?
代わりに星乃が反応する。
「モーニングコール?」
「あぁいや、どういう流れであの電話になったのかなって」
広樹のスマホで星乃が話したってことは、朝の時間に広樹と星乃が一緒にいたのだろう。
二人が一緒にいるところは見たことがないので、広樹と星乃の組み合わせだとどういう話をするのか気になった。
「えーと、私が登校しても神道くんがいないからおかしいなーって思って
「あぁ、そういう」
「私も連絡先知ってるから私のスマホからでも良かったんだけど、佐野くんが『絶対びっくりするから』って」
「……なるほどね」
結構真面目にあの電話に感謝してたのに、全然善意じゃなかった。ただのイタズラじゃねえか。
「でも、電話の声ってちょっと違うよね。神道くんの声いつもより低くてビックリしちゃった」
「それはたぶん電話っていうより徹夜明けで声が死んでるだけだと思うぞ」
「あはは、そうかな?」
あとは広樹からの電話だと思ってたから、最初かなりぞんざいに電話に出たのもあると思うけど。
「でも俺も全然星乃って気づかなかったわ、すげーかわいい声だったから」
「えっ……」
若干あくびを噛み殺しながら同調したら、星乃は小さく声をあげ唖然とした。
あれ、そんなに気づかなかったのショックだったのか。
「いや、すまん気づかなくて。とりあえずちょっと寝るわ、次の英語って教科書使うっけ」
「え……?ううん、映画見たあとレポート書くだけだから使わないと思うよ」
「そうか」
もしかしたら失礼だったのかもしれないので、とりあえず謝っておいた。
でも広樹のスマホからいきなり声が聞こえてきたから、気づかなかったことに対してそこまで俺に非はないはず。たぶん。
ロッカーまで教科書を取りに行く必要がなさそうで安心していると、英語の教師が入ってきた。
「あっ……それじゃあね」
「おう」
そう言って星乃はぼーっとした感じで席へ戻っていった。
うーん……悲しんでいるわけじゃなさそうだ。いつぞやの『ずーん』な星乃では無い気がする。
少しして席に戻ってきた広樹に尋ねる。
「なぁ広樹、女子って自分が自分だと気づかれないと結構ショックなもんなのか?」
「いいからはよ寝ろ」
割と真面目な質問だったが、睡魔に侵された者の戯言だと一蹴された。
分からない……もしかしたら夢の中に真実があるかもしれないから、探しに行くか。ひょっとすると今なら霧の世界に行けたりしちゃうかな。なんてな。
先程までやってたゲームの余韻が抜けない中、ふと思い当たる。
(あれ……?そういえば俺、なんか変なこと言ったような)
星乃との会話で何か引っかかる発言をしたような気がするが、限界寸前の脳は休息を要求するばかりで何も教えてくれない。
まぁいいや、もう寝よう。こんな鈍すぎる頭じゃ記憶の検索なんてできっこない。
今日はもう寝ようぜ。4限まで。
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