11. ユイちゃん

 3限の授業が終わった休み時間。

 廊下側の席の神道しんどうくんと佐野さのくんが、いつもより熱量高めに会話をしてる。


 心なしかスマホを眺めて会話してる神道くんがどこかほっこりしてる気がする。

 それを見て私もなんだがほっこりする。

 不意に教室の喧騒の隙間に、普段はあまり届かない二人の声がやけにはっきり聞こえてきた。


「お前ほんとユイちゃん好きだよなぁ」

「当たり前だろ、こんなの好きにならないのがおかしい」


(えっ……)


 さっきまで自分に纏ってた暖かい空気が、急速に冷えていく。


(うそ……神道くん、好きな子いたんだ……)


 その他の会話は教室の喧騒にかき消されがちになるが、しばしば『ユイちゃん』という単語だけが聴こえてくる。

 いや落ち着いて。アニメとかゲームのキャラだよきっと、男の子ってそういうの好きって言うし。

 確認するのが恐ろしいが、前の席でスマホをいじってる陽花はるかの肩をトントンと叩いて尋ねる。


「ねえ陽花、この学校で『ユイちゃん』って誰か知ってる?」

「え?ユイちゃん?」


 もしこの学校にいるなら、テニス部で交友関係の広い陽花なら知ってそうだった。


「ユイちゃん………あぁー!B組の唯ちゃん!知ってる知ってる、読モやってるあの可愛い子でしょ?」

「え……」

「あれ?見たことない?」


 スマホで「これだよー」と写真を見せてくれる。たしかに綺麗な子だ。


「なんか噂だと最近彼氏できたらしいよ。やっぱ読モってモテるのかな?」


 その時、向こうの2人の話し声が耳に届いてきた。


「たしかモデルとかもやってるんだろ?」

「そう、モデルの時もマジで可愛い」

「はえー、れんがそんなにゾッコンなのレアすぎる」


 う……わ……。

 視界が揺らぐ感じを覚えながら、次の授業の先生が教室に入ってくる音が聞こえる。

 ダメだ、このまま座ってると最悪授業中に溢れ出てしまう。


「わっ、ナギどうしたのー!」


 授業に間に合わないかもしれないけど、授業中に決壊してしまうよりかは遥かにマシだと思った。

 少し荒めに席を立ち早歩きで教室を出る。もしかしたら駆けていたかもしれない。


 なぜ自分の目からこんなものが出るのか分からなかったけど、そんなことを考える余裕はなかった。




 ───★




 昼休み。クラス内の空気が少しざわついている。

 さっきの授業が始まる直前、星乃ほしのが急に教室を出た。

 まぁそれなら廊下のロッカーに忘れ物とか、急にトイレとか色々あると思う。


 問題は、聞く話によると教室を出る時の星乃がちょっと泣いてたらしい。

 数分して柏木かしわぎと一緒に教室に戻ってきた時にはもう涙は見えなかったが、そばにいた柏木は心配そうだった。

 あの様子だと目にゴミが入ったとかではなさそうだ。


 授業を受けている間にだいぶ落ち着きを取り戻したのか、今はもう普通に柏木と話しているように見える。

 でもどこか空気が沈んでいる。なんとなくそんな気がする。

 なんだろう、失恋でもしたのかな。


「副委員長さん、どうしたんだろうな」


 広樹ひろきが心配半分野次馬半分のような感じで聞いてきた。


「さぁ、失恋とかペットロスじゃないか」


 なんか去年ペットが亡くなったって言って悲しんでる女の子もいたし、女子はそういうのに特に弱いのかもしれない。

 まぁ俺もユイちゃんをロスしたら膝から崩れ落ちて朽ち果てるかもしれないが。


「美化委員仲間として慰めに行った方じゃいいんじゃないか?」

「美化委員関係あんのか?」

「そりゃあ委員長様によるお悩み一括清掃よ」

「それができたら今ごろ銀座で占い師やってるな」


 広樹のバカみたいな理論に呆れて返す。

 正直、俺も最初はなにか声をかけようかとも思った。

 しかし友達の柏木が慰めてあの感じなのに、ただの美化委員の知り合いが教室で話しかけたところであれ以上回復する気がしなかった。


(あ……)


 美化委員で思い出した、今日美化委員の集まりあるんだった。

 うーわぁ………。






 放課後、委員会の時間になった。

 今日の会議は4月末の球技大会に向けての情報共有的なもので、作業とかは特にない。

 なんだかんだ星乃はしっかりしてそうだから、個人的な私情で仕事のミスとかしないだろうと思っていたが、めちゃくちゃガッツリ影響が出てた。


 まず今日の会議で使うプリントを職員室から持ってくる時、廊下で2回もプリントをばらまいた。2回も。

 まぁ1回目はプリントを渡される時教師の手が滑った感じで、2回目は急に廊下の角から現れた野球部に接触しかけた為で、一概に星乃の不注意のせいとは言えないのだが。


 でもさすがに2回も落とされると、今日は星乃にとってプリントはアンラッキーアイテムなのかもしれないと占い師委員長の勘が働き、俺が持ってた別の会議用の資料と交換した。

 あのままプリントを持たせてたら最終的にヘンゼルとグレーテルみたいにプリントを点在させた気がする。プリントを等間隔で落としたら横断歩道になりそうだな。


 なんとかプリントを無事運び終え会議が始まった後も星乃の不調は続いた。

 俺から星乃への呼びかけはだいたい5割の確率で無反応が返って来てたし、黒板の板書も時々間違えてた。気のせいか板書の文字が泣いてる気さえした。


 その他細かい不調の現れを見せながら会議は終わり、現在は報告書を書いている。

 星乃の方が字が綺麗だから代わりに書いてもらうこともあるが、今日の様子だと百人一首に載りそうな悲しげな短歌を綴ってしまいそうだからやめておいた。

 さすがにそんな奇天烈文系少女みたいなことはしないとは思うが。


 机の片付けも終わったし星乃には「先に帰ってもいいぞ」と伝えたが、今日の失態続きで先に帰るのは憚られたらしい。

 つまり今教室に残ってるのは俺と星乃の二人だけだった。


「ごめんね神道くん、なんか今日いっぱい迷惑かけちゃったよね……」


 今日何度目か分からない俺への力ない謝罪をする星乃は、すっかり小さくなっている。

 効果音をつけるなら、『ずーん』という感じ。いや『しゅーん』か?


 特にすることもない星乃は、廊下側一番前の席に『ずーん』と座って『しゅーん』と斜め下に目を向けてる。

 夕暮れ時の教卓の上で報告書を書きながら『なんか新米教師の残業みたいだぜ』と呑気な気分で居た俺は返答に困る。


「いや……特になんも問題なかったから、気にしないでいいけど」


 実際、星乃のミスはどれもたいしたことはなかった。

 無意識下でも致命的なミスを避けていたのは星乃の潜在的な器用さなのかもしれない。


「うん………ありがとう………」


 やはり俺の月並みな慰めでは星乃の雰囲気は変わらない。ずーん続行中。

 少しこちらからボールを投げてみることにした。


「でも、なんか珍しいなになってたの」


 あえて『ミス』とか『失敗』という表現は避けた。

『俺は別にあれをミスって思うほど迷惑をかけられてない』っていうのを言外に伝えたかった。


「うん………ほんとにごめんさい………」


 ダメだこりゃ、自動ごめんねマシーンだ。

 俺の回りくどい配慮の会話ボールは返されることなく、星乃のごめんねマシーンで溶かされてしまった。

 何が起因したか分からないが、『ごめんね』から『ごめんなさい』にレベルアップもしていた。

 やめてくれ。なんか俺が悪いことしてる気分になる。


 やはり根本の原因を解決しないとこのマシーンは治らないか……。

 もう既に報告書は書き終わっているので、これを職員室に持っていけば今日の仕事は完了のわけだが──


「その、答えたくないなら別にいいんだけど、なんかあったのか?」


 最後にもう1球だけボールを投げてみることにした。

 もしかしたら他に誰もいない状況で、俺ぐらいの関係値だからこそ話せることがあるかもしれない、そう思った。

 まぁもし答えたくない内容で『なんでもない』ときたらもう打つ手はないので、『そうか、元気出せよ』で終わらせるつもりだった。


「えっと、なんていうんだろ………失恋、なのかな。そういう感じのになっちゃって………」


 幸いにも最後のボールは打ち返されてきた。少し意外な形で。

 本命『ペットロス』大穴『失恋』のつもりだったが、まさか大穴の方だったか。

 でも失恋みたいなものってなんだろう。彼氏にフラれたってわけではないのか?

 あっ、もしかしてあれか?


「誰かが結婚でもしたのか?」

「え?結婚までするの……?」


 沈んだ顔の星乃が呆気に取られたように顔を上げる。

 あれ、昨今流行りの『推しロス』かと思ったら、そうじゃないみたいだ。

 俺には全く分からない感覚だが、好きな芸能人が結婚するとペットロスに近い喪失を覚える人がこの世にはいるらしい。


 てかなんだ今の星乃の返し方。

 まるで俺に「今付き合ってる人と結婚まで考えてるの?」みたいな言い方と視線だったけど。

 生憎俺は結婚も交際も恋愛も考えていない。


「いや、なんでもない。推しロスみたいなもんかと思っただけ」

「推しロス?あ、陽花が前そんなこと言ってたような………」


 どうやら決定的に推しロスではなかったらしい。

 だが、俺が全然ピントのずれた単語を言ったら、少し星乃の『ずーん』が崩れた。


 こうなったらやってみるか。

 ペットロスだと思ってたからこのカードを切るのは憚られていたが、失恋もどきだというなら問題ない。


「何があったかよくわからんが、悲しいことがあった時、それを解決してくれるのは時間か、それを上回る思い出だと俺は思う。というわけでこれを見るんだ」


 俺は魔法カードをオープンするかのように、スマホに表示したマンチカンの猫、『ユイちゃん』の動画を星乃に見せた。


「わ、かわいい………」


 さすがだユイちゃん。さらに星乃の『ずーん』が崩れた。

 俺のユイちゃんフォルダの中でも五本指に入るやつだからな、星乃がトラップカードを用意してない限りきっと効くだろうと思っていた。


「あれ……?この子、『ユイ』って言うの?」


 動画に表示された『ユイ』のテロップに星乃が反応する。


「そうだよ、ユイちゃん。ペットモデルとかもやってるから、たぶんもう自分の餌代ぐらいは自分で稼いでるんだろうな」


 ペットという立場なのに餌代を自分で稼ぐ、ユイは自立した猫なんだ。


「ペットモデル………えっもしかして、神道くんが今日スマホで見てたのってこれ?」

「えっ」


 星乃の意外な質問に面食らう。

 まじか、俺が授業中に隠れて一瞬だけユイちゃんの画像を見る『ユイチャージ』がバレてたのか。

 ユイチャージすると脳のいい感じの成分がなんかいい感じになるから、諸々の効率が上がるんだよな。


 しかしなぜ見えた……?

 星乃の席は一番窓側の後ろから2番目で、俺は一番廊下側の後ろから3番目。

 1列6席だからたしかに位置的には星乃よりも前に俺の席はあるが、通常視界には入らないはずだ……。

 まぁよくわからんがピンチはチャンスだ、逆に勤勉な俺が授業中に見るぐらいの魅力があるってことにしよう。


「ああそうだ、授業中にこれ見ると能率が上がるんだ」

「授業中……?授業中にも見てたの?」

「えっ。あ、あぁ、見てたよ………」


 やべ、墓穴か今の。

 どうやら星乃は俺が授業中に見てたのは知らなかったらしい。

 たぶん休み時間にたまたま目撃したとかだろう。


 まずい、このままでは俺が1日中自分のペットでもない猫を視覚的接種してるキモい愛猫系男子だと思われる。

 実際その通りなんだが。


「そっか……そうだったんだ………」

「いや、あれだぞ、別に俺は病的に猫が好きとかじゃな」


 ガタガタ。

 俺が無意味な弁明を述べようとしたら、星乃が椅子を鳴らして立ち上がった。


「ありがとう神道くん。元気出た」


 星乃はそう言いながら、両手で俺のスマホを返して来た。

 良かった、俺の失態はどうやら無かったらしい。

 それか星乃も俺のをあえてスルーしたか。


「ユイちゃん可愛いね、今度また可愛いのあったら教えて」

「お、おう」

「でも授業中に見るのはダメだよ?ペット飼いたてだったらまぁ分かるけどね」

「はい……」


 星乃はいつもの2人だけの時に見せるイタズラっ子を隠したような笑みを見せる。ほんのちょっとだけ赤くなってしまった目で。

 やはり鋭い星乃さんは完全スルーではなかった。微妙に遠回しにイジって来たな……。


 まぁいいか、星乃が元気を取り戻したなら。

 やってみるまで半信半疑だったが、アニマルセラピーは本当にあるんだな。

 ありがとうユイちゃん、君のおかけで一人の少女が救われたよ。


「これ、私が職員室持ってくね」

「え?あぁ、さんきゅ」

「じゃあまたね!」

「……またな」


 ずーんな空気を霧散させた星乃は、有無を言わさず俺が書いた報告書を持っていった。

 しかし、すっかり元気になったように見えて星乃はまだ本調子じゃなかったのか、最後に明らかな『ミス』を残していった。


 明日土曜日だぞ。






 ちなみに俺はあの後、1週間も経たずに脱ユイちゃんをすることになった。

 あの日からだんだんとユイちゃんのチャンネルは、ユイちゃんよりも調子に乗った飼い主の謎ペットアイテム案件の動画が増えていった。

 メーカーに飼いならされた飼い主のレビュー動画を見続ける理由はどこにもないので、俺はどこか正気を取り戻すようにチャンネルのフォローを外した。


 でも、もしあの溺愛状態のままユイちゃんが生命的なロスを迎えてたら、俺はユイちゃんを求めて何かを補完しかけたかもしれない。危なかった。

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