10. 鼻歌
ワックスな日から数日後、年度初めの美化委員は相変わらず多忙だった。
今日は昼休みに音楽室の窓の汚れを点検。
「窓の汚れって、ガラス部分よりもサッシがメインだよな」
いかにも掃除しにくそうな内側のサッシを見て、独り言をつぶやく。
今回の仕事は委員会全体で取り組むものではなく、美化委員担当の教師に個人的に頼まれたもの。要するに美化委員長の雑務。
放課後は吹奏楽部の練習で使うらしいので、昼のこの時間じゃないとダメとのこと。
昼休みが潰れるのは少し煩わしかったが、まぁ10分程度で終わるような内容だから了承した。
もちろんその等価交換として、先程じっくりと音楽準備室を観察させて貰った。
ほとんど吹奏楽部の備品だらけで、音楽の準備室というより吹奏楽部の部室みたいな感じだったが。
少しだけ木琴をコンコン叩いてみたのはご愛嬌。許せ、ちゃんと窓点検するから。
「♪~」
鼻歌混じりに窓の汚れを点検していく。
防音壁と楽器に囲まれると自然と歌い出したくなるもので、俺は絶賛ワンマン鼻歌リサイタルを開きながら仕事をしていた。
どうせ誰もこない。吹奏楽部は大会前じゃないと昼休みに練習することはないらしいし、音楽室は実習棟の端っこだから一般の生徒も寄り付かない。
つまり歌いたい放題。音楽室なんだからこれが正しい姿だ。
体育館で体を動かしたり教室で勉強をしたりするのと同じで、音楽室で開放的に歌うのは何も間違っちゃいない。
まぁ手に持ってるのは楽譜じゃなくてチェックシートだけど。
「来来来世からきみを~♪」
今後も気が向いたら昼休みにここで歌いまくるのはありかもしれない。
素敵な気分転換計画に心を踊らせ、次の窓へと作業を移すためチェックシートから顔を上げると──
「ふふ、ごきげんだね」
「………」
あーーーーーー死にたい。
なぜここにいる。なにしにここにいる。そしていつからいる。
聞きたいことは山ほどあるが、まずは初期対応だ。
鼻歌を聞かれていたという経験は割と多くの人があると思うが、その時の対処法を俺は心得ている。
幸い、疑問と驚きの感情がでかすぎて恥ずかしさの熱はまだ顔まで到達していなかった。
「あぁ、案外点検作業って楽しいもんだと思ってな」
平静の極みを装って星乃に答える。
『歌ってましたけど何か?何の問題ですか?』このメンタルが全てを解決する。
俺は何も恥ずかしいことはしていない、ただ歌ってただけだ。リリンの生み出した文化の極みを嗜んでただけだ。
恥ずかしがるから恥ずかしくなるんだ。星乃と己を同時に騙す、この手に限る。
通常運転の如く星乃に質問する。
「何しに来たんだ?音楽室に何か用か?」
「えっと、さっき廊下歩いてたら美化委員の先生に『
「あぁ、なるほどな」
どうやら音楽準備室の探索をして時間を食っていたせいで、教師に不思議に思われたらしい。
チェックシートを昼休み中に提出ってことになってたからな。まだ締め切りまで全然余裕はあるけど、通常より時間がかかってたのは事実だった。
窓が開かないとか怪我をしたとか、そういうトラブルが起きてないかと心配するのも無理はなかった。
……いや、それなら自分で見に来てくれないか。
教師も忙しいのは分かるが、なぜよりによって星乃に頼んだんだ。
まだ教師に聞かれた方が傷は浅かった。どっちもどっちだが。
「すまんなわざわざ来てもらって、もうすぐ終わるから大丈夫だ」
「そうなの?」
「あぁ、あと3分ぐらいで終わると思う」
「ふーん」
ご足労させてしまった申し訳無さはあるが、星乃は特に気にしてないようだった。
どうやら無事さっきの失態はカバーできたらしい。いたって普通の会話ができている。
星乃がここに来た疑問も解消され、さきほどの驚きと羞恥の感情もすっかり霧散してきた。
ただ、一見完璧な『なんの問題ですか?』のやり方は一つ弱点がある。
「ねぇ、さっき何の歌を歌ってたの?」
「………」
そう、簡単にほじくり返される。
あーーーーーー苦しい。
星乃に悪気はない。
そりゃ歌ってたことを当人が気にしてないのだから、別にそれについて聞いても問題ないと思うのは当然だ。
これが「うわ、聞かれてた……」みたいな反応だったら、相当Sっ気な性格じゃない限りその後はそっとしてくれるはずだ。
鋭利な一撃を差し込まれてタイヤが1個パンクした気がするが、それでもなお俺は平常運転を続行する。
「いや、たぶん知らない歌だよ」
「そう?んー、でもなんか聞いたことあるんだよねー」
「………っ」
星乃は顎に人差し指を当てて思案する。
どうやらガッツリメロディまで掴まれていたらしい。
おかしい……音楽室は防音のはずだ。楽器の音は無理でも一人の鼻歌ぐらいなら完全にかき消せるはずだが。
不思議に思ってふと入り口の方を見ると、バッチリ扉が開いていた。
……いや、自分を責めるな
自分の行動に悔いはない。少ししか。
「残念ながら正解は出ない。俺も歌のタイトルを知らないからな」
「えー気になるー。あっ、じゃあもうちょっと歌ってよ、歌詞で調べるから」
「星乃、俺たちは美化委員だ、合唱部じゃない。俺たちの仕事をしよう」
「仕事を頼まれたのは神道くんだけだもん。ハイ歌って」
「えーと、カギの動作は問題無いと……」
美化委員の本分を取り戻すように作業を強行する。
なんか遠くの方でスマホを手にアンコールする声が聞こえるような気がする。
………もしかして全部バレてるんじゃないだろうか、俺の動揺は。そんな不安が不意に押し寄せる。
この前のワックスの時も結局全部見抜かれていたし、星乃は思った以上に鋭い時がある。
「なぁ、それより一つ聞いていいか?」
追及から逃れるために話をすり変える。
それに、今の星乃の様子を含めて前から聞いてみたいことがあった。
「うん?なぁに?」
「なんか前なら思ってたけど、星乃って教室で見る感じと今の感じで結構違うよな」
「そう?」
キョトンとした感じで返される。
「うん。なんていうか、教室の星乃はバリア張ってるみたいな」
「んー……バリアとかはないと思うけど。でもみんなそんなもんじゃないかな、公衆の場だとみんな少しは仮面被ると思うよ?」
「まぁそうだけど」
「神道くんだって、昼休みに教室で鼻歌歌ったりしないでしょ?」
「……っ、あぁ、そうだな」
やっぱ分かってるだろ。
問いかけてくる微笑は、どこかイタズラめいたものを含んでる気がした。
「でもたしかに男の子と話すときはいつもこんな感じじゃないかも。神道くんが話しやすいからかもね」
「それはどうも。俺も星乃は話しやすい女子だと思ってるよ」
「ほんと?良かった」
先ほどのイタズラ色の消えた、純粋な笑顔を向けられる。
教室でその笑顔振り撒いたら男子の9割は射抜かれそうだな。そのくらい純度の高い笑顔だった。
ちなみに残りの1割は俺と
「ねえ、私からも聞いていい?」
「ん?なんだ?」
「神道くんって、なんで美化委員になったの?立候補までしてたじゃん」
「あー……」
いつかは聞かれるだろうと思ってた質問に、少し星乃から目線を外して思案する。
俺は決して学校をきれいにしたいとかでも特別に綺麗好きとかでもなく、経験値の観点から見て都合が良さそうだから美化委員を選んでいた。
この歪な理由をどう説明しよう。
そこそこやる気ありそうな感じで美化委員に立候補したということもあって、クラス内で俺は『綺麗好き男子』みたいな印象を持たれていた。
まぁ面倒な美化委員にわざわざ立候補したらそうなる、自然な流れだ。
俺の風貌が暗すぎたら『ゴミ荒らしカラス男子』になってたかもしれない。
なのでクラスの風評通り、星乃にも『綺麗好きだから』とテキトーに流しても良かった。
けれどなんとなく、先ほど「特別話しやすい」と言ってくれた相手に、その他大勢と一括りの対応をするのはなんか違う気がした。
それに、普通の女子なら「よくわかんなーい」で流されそうな俺の経験値主義も、聡明な星乃なら分かってくれそうな気がした。
まぁ最悪ドン引きされてもいいか、関係の破綻まではいかないだろう。
「ちょっと長くなるけどいいか?」
「え?うん、いいよ?」
まさかの長口上な回答の予感に少し驚く星乃に、俺はできるだけ簡潔に話した。
美化委員の仕事は掃除清掃で、他の委員会よりも実生活で役立ちそうな知識と経験が得られそうだと考えたこと。
俺が色んな教室を調査するのが好きで、美化委員の立場ならもし見つかっても言い訳ができそうだと思ったこと。
そしてそれらを交えて、俺が効率良く『経験値』を得ることが好きだということを、極力ドン引きされない程度に伝えた。
「──っていう理由だ。だから俺は学校を綺麗にしたいとか、特別綺麗好きなわけでもない」
「へぇ~……」
話を聞き終えた星乃は、呆然にも近いような反応をしていた。
やっぱ普通の人からしたらちょっとキモいよなぁ……。
人に共感されにくい主義思考というのは自覚しているつもりだった。
「あっ、だからこの前すごい早い時間に化学準備室に一人で来たんだ」
「ん?あぁ、そうだな」
星乃の日直を手伝った時か。
「おかしいと思ったんだ~。なんでこんな早く来てるんだろうって。化学がすっごい好きなのかと思ってた」
「どちらかと言えば化学は嫌いだな」
「えっ、そうなの?」
「あぁ、『水兵リーベ』のバカみたいな覚え方がやけに効果的でむかつく」
「あはは、なにそれ」
特に強く嫌ってるわけじゃない。軽口程度にけなしておいた。
楽しそうに軽く笑った後、星乃は続けて言った。
「でもさ」
「ん?」
「素敵だね、そういう考え方」
「そうか?」
「うん。だって神道くんがその『経験値』になるって思ったら、どんなことでも取り組めるってことでしょ?好き嫌い関係なく」
「まぁ……そうかもな。嫌いな事は能率下がるからあんまりやんないけど」
「それで誰もやりたがらない美化委員の仕事バリバリやってるんだから、素敵だと思うよ」
「……どうも」
同意だけでなく、まさかの肯定的な意見に少し戸惑いながら返す。
「あっ、もしかして、鼻歌もそういうモットーからたくさん歌うようにしてるの?」
「……まぁ多少は」
「じゃあ神道くん、なんで私が来たら歌うのやめたの?」
「おい、もう絶対分かって言ってるだろ」
「えー?何がー?」
再三のツッツキ棒に対してついに直接反撃すると、星乃はニヤニヤ気味の微笑を浮かべる。
くそ、やっぱりバレてた……なぜ分かるんだ……。
こんなことなら最初からモジモジして追求防止バリア張っとくんだった。
ていうかホントに、こんなチクチクしてくる星乃は教室だと絶対見ない気がする。
普段の教室で星乃のことをあんまり観察とかしないが、たまに視界に入ることはある。
でもその時見かけるのはほとんど『クラスの副委員長さん』で、今目の前で楽しそうにしてる女の子にはほど遠い。
(案外女子グループで話してる時こんな感じなのか?)
いやでも女好きのクラスメイトの男子曰く、星乃は『静かな女子グループwith
分からない。女子なんてどこでも同じ感じの柏木しかよく知らないから、普通の女子はこのくらい色んな顔を持っているものなのかもしれない。
考えても答えは出なさそうなので、仕事の方に頭を切り替える。
リセットした頭で作業をすると、少しだけ残ってたチェック項目はあっという間に終わった。
「よし」
「終わった?」
「あぁ、あとは先生に提出しに行くだけだ」
「じゃあ、私が持ってくよ」
「ハイ」と星乃は提出物を受け取るため両手を差し出す。
「え?いやいいよ。俺が頼まれたし」
「神道くん、美化委員の仕事は私達2人で、50%50%で取り組むんじゃなかった?」
「………さっき『仕事を頼まれたのは神道くんだけ』みたいなこと言ってなかったか」
「そうだっけ?じゃあ、この前雑誌運んでくれたお返しってことで」
「まぁ、それなら………」
星乃に全て埋められたチェックシートを渡す。
「じゃあね、神道くん」
「あぁ」
星乃は小さく手を振って音楽室を後にする。
シートを受け取って音楽室を出るまでの星乃は、教室でよく見る星乃だったような気がする。
女の子は嘘と秘密でできているって言うからな、星乃にも色んな側面があるんだろうきっと。あんまり深く考えないようにした。
しかし、俺の主義をドン引きしないで受け入れて、さらには新しい視点から分析を貰えるとは。おバカな広樹に伝えた時は開始5秒で匙を投げたというのに。
やはり星乃は頭がいい。ついでに耳もいい。
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