7. 古雑誌

 喧騒に包まれた生物実験室。今日の生物は細胞のスケッチ。

 既にスケッチの課題は終わっているので、自然科学部に所属する男子と駄弁りながらスマホで『顕微鏡 通販』の検索結果を眺める。


「顕微鏡って案外手頃なのあるんだな……」

「俺は持ってるぜ。3台」

「3つもあってどうすんだよ。天津飯かよ」


 生物が好きすぎる男子に思わずツッコむ。


 久しぶりに顕微鏡を覗いてみたらロマンを感じてしまった。

 買う気はないのにスマホで顕微鏡の値段を調べてしまっている始末。

 実験器具って数万とかのイメージだったけど、普通に個人で使えそうな値段のやつもあるんだな。現に3台持ってる天津飯もいるし。


 こういうのが誕生日プレゼントとかに嬉しいものになるのかな。

 自分では買わないけど貰ったらワクワクするみたいな。


「もしかして、その3台の内どれかは誕生日プレゼントで貰ったやつか?」

「ん?そうだよ、全部誕生日のやつ。よくわかったな」


 まじで当たってた。

 誕生日プレゼントに顕微鏡は鉄板なのかもしれない。

 世の中の諸兄、彼女への誕プレは顕微鏡が鉄板だぞ。

 きっとあげたら鉄板でぶたれる。






 鉄板の誕プレが決まった辺りで生物の授業は終わり、昼休みに入った。

 実験器具の片付けが終わった班から教室へ戻るシステムで、俺らの班は一番最後だった。

 あいつの生物の話おもしれーけど長いんだよな……全然片付けが終わらなかった。


 気がつけばその生物オタクも姿を消していて、生物実験室には俺一人だけになっていた。

 どうやら実験室のメダカを観察してたら置いてかれたらしい。

 まぁいい……今日で俺はメダカのオスとメスの違いが分かる男になったからな。残ってた俺の勝ちだ。どういう勝負か知らないが。


 一人静かに生物実験室を出て、教室へ向かう廊下を歩く。

 昼休みに入ったことで渡り廊下を挟んだ向かいの教室棟は賑やかな様子だが、反対にこっちの実習棟は自分の足音しか聞こえなかった。

 なので、人影を見つけるとよく目立つ。


「ん……?」


 4月の陽気ではまだ暖まりきらない冷たい廊下を歩いてると、奥の階段からなにやら雑誌の束を両手で抱えて降りてくる女子生徒がいた。

 危ねえなあれ、下見えてるのかな。ていうかあれって──


「何やってるんだ」

「え……?」


 事故があっては怖いので、階段を降りきり次の階段へ曲がろうとしたところで声を掛ける。

 見覚えのあるセミロングの髪だと思ったら、やっぱり星乃ほしのだった。


「なに運んでるんだ、引っ越しか?」

「ううん、この古雑誌を捨ててきてって先生に頼まれちゃって」


 荷造りロープで縛られた古雑誌達を一旦床に置きながら、実に真面目な返しをされる。

 軽口を叩いたはずなのに、さすが優等生風の星乃。


 ちなみに星乃のことを優等生『風』と評するのは、実際にまだ定期考査を一回もやってないため、具体的な星乃の成績をよく知らないからだ。

 でも普段の授業態度や雰囲気からして、天才とまでは行かないけど普通に優等生な成績なんだろう。だいたい80~85点ぐらいの点数でまとめそうだ。


「そういう力仕事なら学級委員長に任せた方が良かったんじゃないか?あいつたしか剣道部だし」

「ううん。クラスのじゃなくて、美化委員の方で頼まれちゃった」

「あ、そっちか」


 てっきりクラスの副委員長として仕事を頼まれたのかと思ったら、どうやら違ったようだ。

 話を聞くに、生物の帰りの途中で美化委員担当の教師に仕事を頼まれたらしい。

 星乃は美化委員も副委員長をやってるから、教師に顔を覚えられていたのだろう。

 よく見たら運んでた雑誌の上に、星乃のものと思われる筆記用具と生物の教科書が乗っていた。まだ教室に戻ってなかったようだ。


「ん……?」


 星乃の筆記用具と教科書が目に入った時、同時に気になる背表紙を捉えた。


『必見!集中力を上げる100の方法!!』


 ………なんだこれは。どこからツッコんでいいんだ。

 まず集中力を持たないやつは100個も読み切れない。

 そして100個の方法を書き上げる集中力を持つ著者に、集中力が続かない人の気持ちが分かるのだろうか。おデブが書く『必ず痩せる方法論』みたいな胡散臭さがある。


 さらに件のその雑誌は、どう見ても100個も書かれてるような厚さには見えなかった。

 厚さ的に間違いなく1個1個の内容が薄い。


 こんな摩訶不思議な雑誌を見つけて何を思うか。

 無論、めちゃくちゃ読んでみたい。


「よし星乃、お疲れ。ここからは俺が運ぼう」

「え?」


 捨てる直前にその怪しい雑誌だけ持ち帰る作戦、通称『ただの横領』をするため仕事を代わることにした。


「俺だって美化委員だからな。美化委員として頼まれたなら俺が持っていっても問題ないだろ?」

「そ、そうだけど……悪いよ昼休みなのに」

「星乃だって昼休みだろ。大丈夫、俺弁当だから購買とか行かないし」


 普段昼食は自分で作った弁当か購買かの半々。今日は弁当の日だった。


「うーん、でも……」


 俺の申し出に星乃は承服しかねていた。

 普通だったら貴重な昼休みにこんな雑務を変わってくれるって人がいたら「サンキュー!」ぐらいの気持ちでバトンタッチするものだと思うが、副委員長様はそうじゃないみたいだ。

 しょうがない、理詰めでいくか。


「星乃、クラスの美化委員って俺ら2人だよな」

「え?うん」

「ということは、美化委員に与えられた仕事は2人で協力して行うべきで、50%50%の配分量で取り組むべきだ」

「うん」

「星乃がここまで運んできたので50%、残りの50%の運搬を俺がやる。実に自然なことだろ?」

「な、なるほど……」

「ということで残りは俺が責任持って運びます。はいこれ」


 雑誌を運ぶため、星乃に筆記用具と教科書を渡そうとするが──


「でも、頼まれたのは私だから……」


 モジモジと手を合わせて受け取とろうとしない。

 ぐぬぬ。意外と頑固だな副委員長。


 別に星乃の了承関係なく、有無を言わさずこの古雑誌達を持ち去っても良かったが、それをするにもこの私物達を受け取って貰わないといけなかった。

 人の物を持ち去るわけには行かないし、床に置くわけにもいかない。

 黒ヤギの迫真のモノマネしながら食べちゃおうかなもう。


「うーむ……」

「ありがとう神道しんどうくん。でもゴミ捨て場までそんなに離れてないから大丈夫、私が持ってくよ」


 そう言って再び仕事を再開しようとする星乃。


「待て」

「え?」


 たぶんだけど星乃が俺の申し出に難色を示すのは、『星乃単独に仕事を頼まれたこと』が大きいと思う。

 もしこのまま俺が運んでも、それを知らない教師は一人で運んだと思い星乃の評価だけが上がることになる。

 教師が後でお礼とか言ってきたら「あの時神道くんも手伝ってくれました」みたいなことを言えると思うが、その後教師が何も言ってこなかったのに「あの雑誌を捨てる時、神道くんも手伝ってくれました」と自発的に言うのは若干不自然だ。

 つまり、もし俺が手伝っても俺の仕事分が評価されないのがモヤモヤするんだろう。


 一応さっきの理詰めで俺が運ぶ道理が伝わったようだが、そのあたりの感情が邪魔してるようだ。

 ならば、こちらも感情で攻める。


「星乃、正直に言う。その雑誌の中にどうしても気になるやつがあったんだ。俺はそれをネコババしたい」

「えっ」

「でも、ここでその1冊だけをスルッと持ってって『じゃあな、あとは頑張れよ』というのは人として終わってる。だから、どうか運ばさせてくれないか」

「ネ、ネコババはダメだけど………そういうことなら……」


 俺が再び私物を渡すと、ようやく星乃は受け取ってくれた。

 よし、ゲームクリアだ。やはり情に訴えるのも効果的な手法だ。

 勝利の美酒の美酒に酔いしれながら、古雑誌を右手にぶら下げる。


「それじゃ。これって、昇降口のところのゴミ捨て場でいいんだよな?」

「待って神道くん、私も一緒に行く」

「え」

「神道くんが気になった雑誌、私も気になる」

「………」


 予想外の行動だった。

 たしかに仕事をバトンタッチした後星乃が何をしても自由だが、教室に戻る選択肢しか無いと思っていた。

 まぁ別にエロい雑誌を横領しようとしてるわけじゃないから、星乃に知られても問題はないが。


「共犯になっちゃうぞ?」

「どっちにしてももう共犯だよ」

「……たしかに」


 穏やか半分諦め半分といった感じで星乃は笑う。

 そういえばそうだ。俺が『盗みます』と宣言したのを止めなかった時点で、星乃も潔白ではなかった。


「まぁいいか。1階のゴミ捨て場だよな?」

「うん。紙のリサイクルスペースの場所分かる?」

「んー……たぶん」


 あれ、リサイクルスペースなんて場所あったっけ。

 缶とかビン回収してるとこなら見たことあるから、そこら辺の近くかな。


「ふふ、私は知ってるから、一緒に行ったほうがいいね?」

「……そうだな、頼む」


 星乃は後ろで手を組み穏やかに笑った。

 まぁたぶん近くまで行ったらなんとなく分かっただろうけど、知ってる人がいるなら一緒に行ったほうが早い。

 結局俺の説得はなんだったんだろうと思いながら、星乃と一緒に階段を降りていく。


「しかし、副委員長さんも犯罪者になっちゃったか」

「委員長さんが犯罪者の方が良くないと思いまーす」

「……誤差だろ」


 俺が軽いノリで話すと、最初に投げた時は返って来なかったものが来て少し驚く。

 軽口返せたんだな、星乃。






 結局星乃と2人で仕事をすることになったので、少し気になってたこと聞く。


「なぁ、さっきこれ両手で持って階段降りてたけど、足元見えてたか?」

「うーん、ボヤーっと?」

「あぶねえな……」


 やはりあまり見えてないようだった。

 俺は普段腕立てとかしてるから、そこそこの筋力はあると思う。

 なのでこのくらいの古雑誌の束なら片手でぶら下げられるが、比較的小柄な女子の星乃だと大変そうだった。


「あのさ、星乃」

「うん?」


 正直、あんまり美化委員関連の仕事で星乃に負担を背負わせたくはない。

 俺の自己満な理由で委員長に立候補したせいで、星乃を副委員長にさせてしまった経緯がある。

 今回の仕事も、きっと星乃が副委員長になってなかったら教師は星乃のことを美化委員と認識せず、仕事を頼むこともなかっただろう。


 ただでさえ星乃はクラスの副学級委員長としての仕事があるから、今回みたいな『美化副委員長になってしまってたことで発生する負担』は可能な限り回避したい。

 そうじゃないと、申し訳なさでモヤモヤして作業の能率が下がる。


「今回みたいなことあったら俺に頼んでいいからな」

「ほんと?」

「そりゃそうだよ、同じ美化委員なんだから。力仕事系は俺がやるから」

「……でも私、神道くんの連絡先知らない」

「あっ、それもそうか」


 そういえばそうだった。今まで特に交換しようみたいなタイミングもなかった。

 今後必要になってきそうだからちょうどいいか。


「連絡先交換しとくか。アプリでいいか?」

「うん!」


 星乃は嬉しそうにスマホを取り出してSNSのアプリを開く。

 女子ってSNSとか好きだよな。プロフィールの画像コロコロ変えたり、たまに真っ黒にしたり。

 星乃は両手でスッとQRコードを差し出す。


「はい、これ」

「おう」


 一度雑誌を置き、星乃のコードを読み取る。

 良かったフリフリのパターンじゃなくて。

 あれ若干恥ずかしい上に成功したことねえんだよな。


 無事コードを読み取ると、画面に『渚紗なぎさ』と書かれたユーザーが出てきた。

 プロフィール画像には綺麗な海の写真が設定されていた。

 沖縄の海かなこれ。プロフィールまで透き通ってるとはさすが優等生風の星乃だ。


「登録したぞ。そっちに出たか?」

「うん、きた!なにこれ、とぎ……?読めない……」

「『砥礪切磋しれいせっさ』だよ」


 綺麗な星乃のプロフィール画像とは反対に、俺のは無骨な『砥礪切磋』の文字のみ。

 意味としては切磋琢磨の一人でやる版みたいな感じ。とにかく一人で努力するみたいな。


「なんでこの四字熟語なの?」

「好きな言葉なんだけど、全然漢字が書けないからプロフィール画像にした。目にする機会が多いからいつか覚えるだろうって」

「わぁ、頭いいねー。もう書けるようになった?」

「ぜんぜん」

「あはは、意味ないじゃん」


 俺の鉄板の流れに、星乃は楽しそうに笑う。

 たしかに漢字を覚えたいとも思っているが、主な目的としてはこっちの方が大きかった。


 SNSアプリで連絡先を交換する時、たいてい交換後の最初の話題は『相手のプロフィール画像』になりやすい。

 機械的に交換したら指摘がないこともあるが、こんな意味わからん四字熟語の画像を設定してたら90%突っ込まれる。これまでこの画像を無視したやつはほとんどいない。

 そこでさっきの返しをすれば、大体どんな人でもそれなりに会話が盛り上がる。


 これが俺の中学時代に導き出した、四字熟語会話テンプレ。

 連絡先交換はいつも良いコミュニケーションをもたらしてくれる。


「じゃあ、今度また頼まれたらお願いします」

「あぁ、気軽に呼んでくれ」

「うん、ありがとう。……今日も、持ってくれてありがとう神道くん。嬉しかった」

「……あぁ」


 星乃の少しはにかんだ笑顔に、まぶしいものを感じた。

 俺は誰かに手伝って貰った時こんなに素直にお礼が言えるだろうか。いや……難しいな。

 きっと星乃は学業の成績じゃないところも優等生なんだろうな、古雑誌をリサイクルに出しながらそんなことを思った。






 ちなみにその後、5限の古文の授業中に教科書を開くフリをして件の雑誌を広げてみた。

 結果は、中のページは無惨に切り取られていて、マトモに確認できたのは15ぐらいの方法だった。どおりで薄いわけだ。

 その僅かに確認できた内容も、ガムを噛むだとかコーヒーを飲むだとか、月並みも月並みな集中力の上げ方だった。

 クソッタレ。こんなのは黒ヤギさんでも食べない。

 帰りがけにリサイクルスペースに叩きつけといた。

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