5. 調理室のエプロン達

「へー、調理室なんてあるんだな」


 美化委員長に決まった数日後の、少し夕暮れに差し掛かった放課後。

 俺は特別教室と清掃用具のチェックリストが書かれたプリントを手に、校内を練り歩いていた。


 年度初めの美化委員の仕事は、まずは校内の各教室にある清掃用具の点検。

 ちゃんと数が揃っているか、破損してる道具はないかをチェックしていく。

 副委員長を掛け持ちしてる星乃ほしのにはあまり負担を掛けないように、自分達の1年E組の教室の点検だけを任せて、他の特別教室のチェックは俺がやることにした。


「お、神道しんどうか」

「おう」


 たまたま美術準備室から出てきた美化委員の1年男子と遭遇する。たしかC組のやつだったかな。

 点検終わりだろうか、男子に尋ねてみる。


「そっちはもう終わったのか?」

「あぁ。美術準備室ってなんであんな変な匂いするんだろうな」

「長年の絵の具の失態が積み重なってるんじゃないか?」

「あー、そういう」


 男子とテキトーな雑談をしてると、同じ扉から人影が続いて出てきた。


「あっ、委員長だ」

「ん?あぁ」


 出てきたのはC組のもう一人の美化委員の女子だった。

 扉を締め、職員室から借りたのであろうジャラジャラした鍵の集合体で施錠している。


「清掃用具に問題なかったか?」

「うん!異常なしであります委員長さん」

「どういうキャラなんだ」

「うーんわかんなーい」


 ノリが軽そうな女子のようだ。


「その鍵ってまだ使うのか?」

「ううん、もう返すとこだよ」

「じゃあ借りてもいいか?返しとくから」

「うん、いいよー」


 女子からジャラジャラした鍵を受け取る。職員室に行く手間が省けたな。


「じゃあ俺ら教室戻るわ」「じゃあねー委員長」

「おう」


 彼らは談笑しながら俺の歩いてきた方向へ並んで去っていく。

 まだ高校始まって1週間も経ってないのに随分仲いいな、中学からの知り合いか?


 それにしても一緒に点検してるやつらもいるんだな。

 なんで二人でやるんだろう。点検ぐらい一人でできるし効率悪くないか。

 まぁもしかしたら重い用具とかあったのかな、と特に深掘りせず調理室へ歩みを再開する。


「ここが家庭科室……ってことはこの先か」


 プリントの地図を確認しながら調理室へ向かう足取りが少し弾みがちになる。

 ウチの高校は栄養士とか調理系の進学に力を入れてた時期があったらしく、その名残で一般的な高校よりも調理の設備が良い。

 普通は高校にあるのは家庭科室ぐらいだが、うちにはそこに調理室、特別調理室の2つがプラスで備わっていた。

 料理が好きな俺にとって、なかなかいいものが見られそうな気がした。






「お、ここか」


『調理室』とプレートが掲げられてる部屋に無事たどり着く。

 少し胸を踊らせながらドアに手を掛けようとした時、かすかな異変に気づいた。


(あれ、開いてる。それに……焦げくさい………?)


 先客がいれば鍵が開いてるのは当たり前なので特段不思議ではないが、焦げてる匂いがするのは気になった。

 まぁ煙とかは確認できないし、火事だったらもっと騒ぎになってるだろうから、そこまで大事ではないだろうと特に焦ることもなく扉を開ける。


 中へ入ると、規則的に並んだ調理台が視界に映った。

 ガスコンロ、シンク、オーブンなどの設備が一体となった調理台が等間隔で並んでいる。


 その中の一角、前方の調理台で作業をしている3人の女子生徒を発見した。

 1人はこちらに背を向けてオーブンの中を観察している。

 残りの2人がこちらに気づいた。


「すいません美化委員です。掃除用具の点検に来ました」


 軽く会釈をした後、自分の素性と目的を伝える。

 それに対しエプロン姿の2人は会釈を返し、困ったような顔で再び作業に戻った。


(まぁこの匂いは何か失敗したんだろうな……)


 焦げた匂いを発生させて成功とする料理はほとんどない。

 もしあっても、学校の調理室でやるような料理では無いと思う。


 あぁ、バーベキューならありえるか、炭とか灰とか出るからな。

 炭と灰の細かな違いをいつも忘れる。炭の方が優秀なのは覚えてるけど。

 まぁ結局調理室でバーベキューなんてありえないから、おそらく調理が上手くいってないんだろう。


 料理に悪戦苦闘してる女子達を心の中で応援し、清掃用具が入ったロッカーを開けてチェックリストを片手に用具達を確認していく。


(あれ、結構新品の物が多いな、最近買い替えたのか?)


 たしかに調理室なんて汚れの宝庫な気がするから、消耗とか激しいのかな。

 真新しい道具達の欄に二重丸のチェックを書いてると、3人の戦士達の方から会話が聞こえてきた。


「うわぁ、すごい食感だよこれ……」

「小麦粉なのかなぁ。ねぇ、薄力粉と強力粉って2つあるけど、さっきどっち使ったっけ?」

「覚えてない……」

「私も。クッキーってどっちが正解なんだろ」

「うーん……でも同じ小麦粉なんでしょ?レシピには小麦粉としか書いてなかったよ」

「強力粉の方が強そうだから強力粉で正解だよ!」


 ……ツッコミ待ちなのだろうか。そうとしか思えないようなぶっ飛んだ会話が聞こえてくる。

 そして、最後に一番アホそうなことを言っていた声にどことなく聞き覚えがあった。


「あの、クッキー作るなら薄力粉だと思いますよ」


 少し迷ったがツッコむことにした。

 このままでは強力粉君が犬死にの末、クッキーの形をしたブヨブヨの何かできそうだった。


「「え?」」

「え?あれ、シンドーくんじゃん!」

「あぁ、柏木かしわぎだったのか」


 突然の介入者に呆然とする2人とは別に、1人の明るい声が俺の名前を呼んだ。

 どこか聞いたことある声だなと思ったら、中学からの知り合いの柏木陽花かしわぎはるかだった。


 柏木とは中学1~2年の時クラスが一緒で、彼女はソフトテニス部の部長だった。

 そのため野球部部長の広樹ひろきと部長繋がりで仲が良く、その付き合いで俺とも交流があった。


 イギリスのクォーターらしい柏木は、その遺伝子が影響してるのか知らないが、少しブロンドがかった茶髪でいつもサイドテールにまとめている。

 その綺麗にまとまったサイドテールを揺らして質問してくる。


「強力粉じゃダメなのー?」

「強力粉はパンとか餅とか、弾力があるものに使うやつだ。強力粉でもクッキーを作れなくはないけど、普通のレシピだとブヨブヨした変な物体ができると思うぞ」

「あはは!まさにこれじゃん!シンドーくん料理詳しいんだねー」

「まぁ多少は。お菓子作りはあんまりしないけどな」

「料理研究部入れば良かったのに」

「料理研究部?」

「これ」


 柏木は両手でエプロン姿の二人をそれぞれ指さした。

 いや『これ』じゃないよ、物かよ。


「あぁ部活だったのか。柏木もそうなのか?」

「ううん、私テニス部だもん。遊びにきただけー」

「なるほど」


 思えば柏木だけエプロンを付けてなかった。

 やっぱり高校でもテニス部入ったんだな。


「いや、部活は遠慮しとくよ。あんまり男子とかが入る感じじゃないだろうし」

「そーおー?」

「ううん、全然入ってくれていいよ!」


 柏木の知り合いってことで気を許したのか、エプロン姿の内の1人、活発そうな女子が食いついてきた。

 柏木の友達ってことは彼女達も1年生かな。


「そ、そうなのか?でも俺バイトしてるから……」

「そっか……」

「ていうか、他の部員はどうしたんだ?」

「うっ」


 部活動というからにはあまりに寂しい光景に疑問を投げかけると、エプロン女子達の顔が急に曇った。

 あれ、もしかして地雷か?

 ま、まさか彼女達の料理で他の部員達はすでにこの世から……。


「部員は最初からこの子達だけだよー」

「あ、あぁ、なるほど」


 柏木が現実的で悲しい事実をあっさり告げる。


「二人だけって、新しく部活を作ったのか?」

「うーん、3年前まであったらしいから復活に近いのかも」


 活発そうなエプロンが答える。

 なるほど、だから『同好会』じゃなくて料理研究『部』って言ったのか。


 すごい行動力だな、ブヨブヨクッキーの腕前で部を復活させるなんて。

 もしかして部活という場を使ってそこで切磋琢磨しようって思いなのだろうか。

 料理を嗜む者として、そんな尊い向上心を持つ彼女らの誘いを完全に無下にするのは気が引けた。


「まぁ部活には入れないけど、時々遊びには来るよ」

「うん、いつでも来ていいよ!」

「気が変わったら入ってくれても全然いいからね」


 先程は食いついてなかったもう一人の大人しそうなエプロン女子からも、勧誘のダメ押しをされた。男手が欲しい時があるのだろうか?

 部活は無駄な時間が多くなりがちだからあんまり好きじゃないけど、まぁたまに遊びに来るぐらいならいいか。

 どうせ調理実習で何回か触ることになるからな、調理設備の予習をしといて損はないだろう。


「いつ活動してるんだ?」

「うーん、あんまり決めてないかも」

「だいたい週2~3回ぐらいはやろうかなって思ってる」

「そうか、わかった。まぁやってたら近く通れば匂いで気づきそうだな」


 もしここで部活入ってたら三角関係の青春とか生まれたのかなぁ、みたいなことを考える。

 まぁ俺に恋愛の気は全くないから、生まれるとしたら二角関係だけだな。

 あれ、俺を除いたその二角関係って……あらやだ。

 俺がしょーもない世界線のことを考えてると、柏木が俺の背後を見るように聞いてきた。


「ねぇねぇ、今日はナギは一緒じゃないの?」

「ん?」


『ナギ』?

 ……あぁ、星乃のことか。確か星乃の下の名前は『渚紗なぎさ』だったな。


「いや、星乃は別のところ見てもらってる」

「えぇ~なーんだ」

「星乃と仲良いんだな」

「うん、小4ぐらいかな~仲良くなったの。中3の時もクラス一緒だったんだ」

「ふーん」


 中3の時は柏木とは違うクラスだったから、その時星乃と一緒だったってことか。

 あれ?

 ということは星乃って俺と同じ中学だったのか、全然気づかなかった。


「あっ!そういえばシンドーくん、一人暮らし始めたんでしょ?」

「あぁ」

「なんで一人暮らしなの?勘当?」

「ちげーよ、普通に家が狭くなっただけだ」


 広樹と同じような学力なのに、よく『勘当』なんて言葉知ってたな。


 柏木の言う通り、俺は高校から一人暮らしを始めている。

 理由は家族の不慮な事故でも親との不仲でもない。シンプルにそろそろ実家が手狭になってきただけだ。

 さすがに高校生にもなると妹と同じ部屋はきついものがある。2つ下の妹もきっと今頃ホッとしてると思う。


 家事の方も、共働きの両親が不在の間妹の世話とかをしてたから特に問題はない。

 中学の時気まぐれに始めた料理が俺の経験値主義にマッチしていたので、食生活の方も著しく偏っていることもなく、中3の春休みぐらいから始めた一人暮らしは実に安定していた。


「ていうかなんで一人暮らしなの知ってるんだ?ストーカー?」

「あはは、違うよ~。ヒロキくんから聞いたー」

「あーね」

「で、そんなことよりシンドーくん、このレシピどう思う?」

「ん?」


 そんなことって柏木が振ってきた話題じゃないか、と心の中でツッコむと、柏木の言葉に合わせて大人しそうなエプロンが1枚のルーズリーフを渡してきた。

 ルーズリーフには料理サイトで調べたと思われる、クッキーのレシピが手書きで書かれていた。

 作成者と思われる大人しそうなエプロンに尋ねる。


「これ、わざわざ調べて書いたのか?」

「うん。料理中にスマホ見るのはあんまり良くないって聞いたから」

「あぁ、そうだな」


 なんとも殊勝な答えが返ってきた。

 調理の合間にスマホの画面を触るのは、たしかに衛生面的にご法度と聞いたことがある。

 偉いな、そこまで気をつけているのか。

 俺がレシピを確認してると柏木が聞いてくる。


「どう思う?シンドーくん」

「どうって?」

「なんかそれ、分かりづらくない?」

「あぁー……まぁ」

「わ、わたしはネットで見た通り写したよ」


 大人しそうなエプロンは慌てて弁明する。

 料理の経験がある人ならそこまで変な内容じゃなかったが、たしかに料理初心者にはあまり親切じゃないものだった。

 よくある初心者殺しの『適量』が散りばめられてたし、焼き上げる時のオーブンの余熱についても何も書かれてなかった。

 さきほど議題に上がってた『小麦粉』も、普通は『薄力粉』か『強力粉』と書くべきだろう。

 まぁでもどれも致命的なミスには繋がらないようなものではある。強力粉を入れなければ。


「これって、パッドクックで見た?」

「うん。検索して一番上に出てきたやつ」

「うーん……ああいうのは、初心者にはちょっと難しいかもな」

「えっ、そうなの?」

「あぁ。結局は素人の人が書いてるから、どうしても書き方にバラツキが出やすい時があるんだ。できたらお菓子メーカーとかが書いてるレシピの方がいいかもしれない」

「へぇー」


 俺も料理のレシピを見る時は大抵醤油メーカーとかうま味調味料メーカーが載せてるレシピを参考にしてる。レシピ投稿サイトもアレンジ加える時とかは便利だけど。

 お菓子のレシピは普段あまり見ないが、たぶん同じ理論が通じるだろう。


「それでも、綺麗に写してあるからこのレシピでも大丈夫だと思う。強力粉を使わなければ」

「そ、そんなにダメだったんだね強力粉」

「せっかく買ったのにねー」


 活発そうなエプロンが残念そうに言うが、レシピ自体に問題がなかったことに彼女達は安心した様子だった。


 その後、エプロン女子達にレシピの細かいところを補足した。

 そして参考になりそうなメーカーサイトをいくつか紹介して、俺は美化委員の仕事に戻ることにした。


「じゃあ、俺はそろそろ次のとこ行かないと」

「うん、ありがとう神道君!」「料理できる男子って初めて見た」


 エプロン女子達から感謝と敬意の眼差しが刺さる。


「このくらいなら、できる男子割といそうだけど」

「いやー!こんなママみたいな男の子いないでしょー!」


 あははと笑い飛ばす柏木に、さっきから1つ気になってたことを尋ねた。


「ていうか、柏木はテニス部行かなくていいのか?」

「あ」

「うそだろ」

「うっそー。今日はコートの整備あるから17時からなんだよねー」

「もう17時過ぎてるけど」

「え」


 俺が指さした時計の針は、17時を10分ほど過ぎていた。

 他の教室よりも遥かにでかい時計になぜか目もくれてなかった柏木は、嵐のようにテニスコートへ向かっていった。

 それに続いて俺も殊勝なエプロン達にエールを送って調理室を出る。


 調理室を出る時の柏木のダッシュは、強力粉より力強い気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る