3. 腹の電子辞書
まだ雨はシトシトと降り続いている。
廊下側の後ろから3番目というなかなかに自由なポジションを獲得してる俺は、今日も今日とて内職に精を出す。
中学の時はユニークな歴史の教師だったが、どうやら今話してる教師は機械的に教科書を進めるタイプのようだ。
まだ2回目の授業だと言うのに船を漕いてるクラスメイトもちらほらいる。
まぁ俺としてはこっちの方が都合がいい。気兼ねなく内職ができる授業があるのはいいことだ。
「で、えー……教科書5ページの資料に書いてあるとおり──」
機械的な授業を聞き流しながら、機械の電子辞書を触る。
今日から持ってきたこの電子辞書で歴史の用語を調べるフリをして、全然関係ない英単語の意味を調べていく。
前の授業の時に知らない英単語のリストをルーズリーフにまとめておいた。
その英単語達をここでどんどん調べていって、次の授業でそのルーズリーフを頭に入れていくっていう魂胆だ。
これが俺流最強ルーズリーフ内職。
このルーズリーフを大量生産しておけばどんな授業でも内職できる。ルーズリーフ1枚だけならまず疑われない。
暗い雨の天気と機械的な授業が相まってすっかり鉛みたいになったクラスの空気の中で、俺はただ一人生き生きしていた。
(ん……?)
そんな中、ふと1つの英単語で手が止まる。
(あれ、これどうやって発音するんだ。ドーゼン……?)
なんか違う気がする。そんなガッツリローマ字読みする英単語あるのかな。
仮称『ドーゼン』の発音記号を見ようとする。
あ。
「dozen」
歴史に全く関係ない機械音声が響き渡る。
あぁ~なるほど、『ダズン』かぁ~。
いやそうじゃない、やっちまった。
発音記号のボタンと間違えて、発音の再生ボタンを押してしまった。
普段はミュートにしているのに何の拍子かミュートが解除されていた。
「ん~?」
教師が教科書から顔を上げ、音の方へ首を向ける。クラスもざわざわし始めた。
……どうせすぐにバレるなこれ。
歴史の時間に電子辞書を机に出してるのは俺ぐらいなものだ。
傷が浅い内に素直に名乗り出てしまおう。
だが、英語の内職をやってたことはできれば隠したいので──
「すいません、お腹が鳴りました」
スッと手を上げ、一か八かユーモアという武器を使ってみる。
すると鉛を溶かすようにザワザワっとクラスメイトたちから小さな笑いが起きた。
あれ、なんか思ったよりウケたな。
「はは。まぁお腹ならしょうがないけど、辞書の音は切っとけよー」
教師が軽く笑いながら注意する。
おや、ステレオタイプな教師かと思ってたけど意外とお堅くないのかな。
もしかして実は教師も授業に退屈なのか?
4月の最初の頃の授業なんて、だいたいいつも同じようなことやってそうだしな。
「じゃあ、教科書の方に戻って──」
少し軽くなった雰囲気の教室の中授業が再開された。
幸いなことにそこまで問題視されなかったようだ。どうやら教師は流れたのが英単語だとは気づかなかったらしい。
とりあえず難を逃れたようで安堵の息をつく。ていうかスベってたら色々終わってたな。
一応この時間はもう電子辞書は封印しよう。
もしまた何か電子的に授業を妨げるようなことをしたら、さすがに次は敵将のように首をはねられかねないので、歴史の教科書の予習でもしておこう。
俺はなるべく音を出さないようにパタリと電子辞書を閉じた。
まだ新品に近い歴史の教科書を開こうとした時、ふと役目を終えた電子辞書を見て疑問が浮かんだ。
(……ていうか、電子辞書の音声機能ってはたして要るのか?)
少なくとも俺はこの電子辞書を買ってから一度も使ったことない気がする。
漢字の発音なんて聞くまでもないし、英単語も発音記号見ればだいたい分かる気がする。たぶん。
さっきみたいな事故のリスクしか無い気がするし、もう分解して音声機能の部分だけぶっ壊そうかな。この授業が終わったらちょっとやってみよう。
歴史の授業が終わり、休み時間に入った。
昨日と一昨日で仲良くなったクラスメイトの男子に、あの起死回生の一手について「なかなか良かったな」みたいなことを言われた。お前寝てなかったか?
ちょうど用があったメガネの男子もイジってきたので、返しもそこそこにして「ドライバーって持ってたりするか?」と聞いた。
(さて、とりあえず底板のネジを外せばいいか?)
無事男子から拝借できたドライバーを使って、電子辞書の底板の取り外しに取り掛かる。
メガネ用の小さいドライバーってホントにあるんだな。存在は聞いたことあったけど実物を持ってる奴を見たのは初めてだった。
ネジ穴をなめないようにドライバーを当ててみるとぴったりハマった。
よし、ネジとのサイズはあってるな。これなら行けそうだ。
少しサビも見えるネジを2本ほど外し終えた時、俺の前の席からニヤついたような男子の声が飛んできた。
「なんだ
話しかけてきたのは坊主頭の男子、
広樹と俺は小学校からの付き合いで、俗に言う腐れ縁。いや根腐れ縁かもしれない。
作業を続けたまま広樹の方を向かずに答える。
「ああ。俺はコイツから声を奪わなくてはならない」
「かわいそ。せっかく今まで一緒に頑張ってきたのに」
たしかに……さっきのがコイツの最初で最後の声だったかと思うと、もう少し最後に喋らせてあげようかな……とはならない。
辞書は辞書らしく黙って任務をこなすんだな、と全国電子辞書人権団体が黙ってなさそうなことを考えていると、ちょうど最後のネジが外れた。
底板を取り外すと中身の基盤が明らかになる。
「おぉすげえ」
「広樹こういうの好きそうだな」
「男子はみんな好きだろ」
「まぁな」
男子高校生は総じてガチャガチャしたのが好きだと思う。
広樹は特に銃のリロードが好きだったはずだ。
さて、と正体を現した基盤を観察してみるが──
「うーん……さっぱり分からない」
某物理学の教授のようなセリフが出てしまう。
どうなってるんだこれ、どこが音声機能に使われているんだ?
てっきりコードみたいのがスピーカーに繋がってて、そこをちょん切ればこいつの声を奪えると思ったのだが。
いつもテストの点が俺の3分の1ぐらいの広樹に、ダメ元で聞いてみる。
「広樹、どれが音声機能か分かるか?」
「うーん……これだな!」
「お前も分からないことは分かった」
明らかに一番でかい部品を指しやがった。
そこを攻撃したら声じゃなくてこいつの命が終わる予感しかしない。
俺はまだ辞書殺しになりたくない。
まぁここら辺触ってみるか。
左下にスピーカーがあるからそこら辺の可能性が高いだろう。
最悪家にもう一台あるからいいか、と軽い気持ちで破壊工作を開始しながら、広樹に別の質問をしてみた。
「そういえば広樹、部活ってどうするんだ?」
「やっぱりサッカー部かなぁ」
「あれ、野球じゃないのか」
「いやぁ高校の野球はなんかきつそうだし、野球は見るほうがいいな」
「ほーん」
中学の時広樹は野球部だった。ついでに部長。
まぁでも小学校の時は一緒にサッカー部入ってたし、戻りたくなる気持ちも分かる。俺も時々またサッカーやりたいなとか思うし。
続けて広樹に質問する。どちらかというとこっちの方が聞きたかった。
「で、なんでまた坊主なんだ?」
「ん?」
広樹は自分の五分刈りの頭をジョリジョリ撫でる。
この親友は小学校の時からずっと坊主で、そのヘアスタイルを見るのがほとんどだった。
がしかし1年ほど前から髪を伸ばし始めて、最近まではわりとイケてる系男子の髪型だった。そのおかげか彼女もゲットしていた。
「んー、やっぱ坊主の方が楽じゃね?」
「まぁそうだけど。そんな頭だと『ミカちゃん』にフラれるんじゃないか?」
「いやもう別れたし」
「えっ」
『ミカちゃん』は広樹が去年の夏ごろにゲットした彼女。
あんなにラブラブデヘデヘしてたのに、なんかあったのか?
「なんかやっぱり、女子と野球は見るに限るなって感じだな!」
「……」
なんかあったのか……。
まぁ本人が元気そうなら深掘りする必要もないだろう。
思い起こさせるのも酷かもしれないし。
「まぁ、恋愛が割に合わないってのは同意だな」
「蓮ほど歪んじゃいないけどな」
「歪んでない。経験値の獲得に比重を置いてるだけだ」
「電子辞書分解しながら言うと説得力がちげーな」
その通り。恋愛などをしてたら今頃彼女のことで頭がいっぱいで、電子辞書を分解しようなどとは思わない。
そしたらこのロマンある基盤を見ることは無かったし、電子辞書の破壊工作という貴重な経験もできなかった。
ひいては一人の人間にトラウマらしきものも植え付けるし、やはり恋愛は非効率だな。
結局どの部品が正解なのかよく分からなかったので「こんなもんか?」と目星を付けたスピーカー付近の部品をメキメキに破壊する。
「なんか頭良さそうな感じだけどやってることは原始人だな」という広樹のツッコミを流して、取り外した物達を元に戻していく。
底板をはめて、少し祈るような気持ちで電子辞書の電源を入れた。
よし、無事起動した……!
適当に英単語を検索する。
「ふん!」
気合を入れて発音の再生ボタンを押した。
「shore」
「……」
「よくお腹が鳴るな」
広樹の言葉に近くにいた女子からクスクスと笑いが起きる。
ダメだな、家で調べながらやろう。
俺は諦めるようにして確実にどこかが壊れた電子辞書を閉じた。
……一体俺の破壊した部品はなんだったんだろう。
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