2. 傘持たせ

 高校に入学して3日目の朝。

 シトシトと降る雨は、まだ慣れてない通学路のアスファルトを暗く染めていた。


「うーむ……カッパは良いな……」


 暗い通学路とは反対に俺の気分はそこそこ明るかった。

 背中のリュックごと全身を覆うグレーのレインコートに身を包み、軽く弾んだ足取りで濡れた地面をガツガツ歩く。


 傘が壊れた時用として買ったカッパを性能テストってことで着てみたが、なかなか着心地がいい。

 防水防具を身にまとって雨の中を歩くと、なんか無敵になった感じがする。

 雨が強いとむきだしの顔がビッシャビシャになるけど、今日のような小雨はカッパで十分だった。


「やっぱりみんな傘なんだよな」


 当たり前だが周りを見ると傘を差してる通行人ばかり。

 その光景を見てふと思う。


(なぜ人類はここまで発展してるのに、雨を避ける手段は未だに傘が主流なんだろう……)


 常に雨の方向を意識して向きを調節したり、突風が来たら力んで耐えたり。そして人とすれ違う時は少しかしげたり。

 考えれば考えるほど、傘は人類の知能の高さとミスマッチしてる気がする。


「なんか代わりになるのってないのかな……」


 現代の叡智を結集すれば傘に代わる何かを発明できそうなのに。

 例えば某SFタイムリープ映画に出てきた、一瞬で乾かすことのできる靴を応用して一瞬で乾かす服みたいな。

 でもそれだと肌とか髪は濡れたままか。


「うーん……」


 カッパで歩いてることに対して多少好奇の目を向けられている気がするが、そんなことよりも思考と考案を優先する。

 いつも朝の通学はこんな感じに頭の中で一人ディスカッションをしてるか、英語のリスニングか情報番組のラジオを聞いて経験値を稼いでいる。


 あっそうだ、新しいものを普及させるんじゃなくて、今ある風潮を変えた方が早いかも。雨の日はカッパで歩くのが当然みたいな。

 いや、さすがに小雨の日にわざわざ完全防備をするのはめんどくさいな……。


 様々な角度から思考を巡らしていると、急に体に当たる雨が止んだ。


「ん?」


 思考の海から顔を上げる。

 周りを見ると人々は変わらず傘を差していた。まだ雨は降っている。


「なんで傘差してないの?」

「……」


 右側の背後から少し高めの声が聞こえた。どうやら女の人が傘に入れてくれたらしい。

 なんだ?新手の美人局かこれ。

 状況的には『美人局』というより『傘持たせ』だが。


 若干の警戒心を持ちながら声の方を振り向くと、そこにいたのは怪しいセールスウーマンではなく、クラスの副学級委員長、星乃ほしのだった。

 黒みがかったブラウンのセミロングを小さくかしげ、カッパのみで歩く男子高校生を不思議そうに見ている。


「うん?」

「えーと……」


 予想外の事態に軽く狼狽える。

 なんで話しかけてきたんだ?と一瞬思ったが、そういえば昨日日直の仕事を手伝ったんだった。たいした作業じゃなかったから忘れてた。


「あっもしかして、傘壊れちゃったの?」

「あ、あぁ……そんな感じ」

「うわー。カッパ持ってて良かったね」


 すごいなこの人、気まずいとかないのかな。

 俺と星乃の関わりって昨日少し仕事を手伝っただけだ。それ以外話した記憶がない。


 もしかして日直を手伝ったお礼とかか?

 いやでも、昨日手伝った後お礼言われたよな……?


「別に昨日のことは気にしなくていいぞ。たいした作業もしてないし」


 星乃の傘の庇護から出るように再び歩きだす。

 が、その傘も同じように動きだした。


「昨日?あ、化学のやつ?神道しんどうくんすごかったよね、探偵みたいだった」

「……どうも」


 星乃は傘を手にしたまま俺の右隣に付いてくる。

 嘘だろ、普通に付いてきたんだが。まさかこのまま一緒に登校するつもりか?


 どうやら昨日のお礼とかではなく、純粋に親切心で傘に入れてきたようだ。

 俺カッパ着てるんだけどな。


「神道くん来てくれなかったらずっと準備室ウネウネ探してたんだろうなー」

「誰かが化学室来たら教えてくれるだろ」

「あー……そうかも?」


 優しい副委員長さんと会話をしながら、チラリと上を見上げる。

 星乃の傘を見た感じそんなに大きなものではない。というか傘なんて2人分をしのげる広さを用意してないのが普通だ。


 もしそれでも無理やり雨を防ごうとするなら、それこそ恋人みたいな距離にならないといけない。

 しかし俺と星乃は恋人でもないし友達でもない。せいぜいクラスメイトと知り合いの中間ぐらいだ。

 つまりそうなると二人の間に微妙に距離が空き、二人とも微妙に雨に濡れる。


「大丈夫?雨当たってない?」

「いや、俺カッパ着てるんだけど」

「んー……でもカッパって顔とか濡れない?」


 まぁ濡れるっちゃ濡れるけど。

 でも今日のような小雨だったら誤差みたいなものだった。

 誤差でも女子的には顔が濡れるのは辛いものなのだろうか。あっ、メイクとかあるのか。


(ん?ちょっと待て)


 今の会話からもしや、と思って先ほどよりもしっかりと傘の方を見上げる。

 すると、二人の頭上にある傘は持ち主よりも俺をメインに守ろうとしていた。

 星乃は二人で仲良く微妙に濡れる差し方ではなく、自分だけが濡れるやり方を選んだようだ。


「どうしたの?」

「……いや、別に」


 星乃の問いかけにはぐらかして答える。

 これはダメだろう。傘を持ってた方の星乃を濡らすのは倫理的にありえない。

 そもそも俺はカッパを着てるから傘は要らないわけで、星乃のこの犠牲は気持ちは嬉しいがあまり意味を成さない。


「せっかく綺麗に咲いてたのに、この雨だと桜も散っちゃうね」

「……そうだな」


 星乃はなんてことないように世間話を続ける。


 おそらく俺がここで「もっとそっちに傘寄せてくれ」と言っても、この優しい副委員長さんは「うん、そうだね」と素直に従わないだろう。

 自分から傘に入れた手前、相手のことを濡らしてはいけないっていう思いもあるのかもしれない。

 まぁそれでも一応言ってみるか。


「なぁ、そっちにもうちょっと傘寄せていいんだぞ」

「え?ううん、大丈夫」


 ちーん。

 一撃で終わった。

 やはりこの状況を打開するには正攻法ではダメなようだ。


 ふと星乃の方を見ると、紺色のブレザーなので分かりづらいが右肩がやはり少し濡れているように思えた。

 これ以上この優しいクラスメイトを濡らすわけには行かない。

 さらに、先ほど取り組んでいた『人類の傘からの脱却』についての考察を早く再開したい思いもあった。

 俺は意を決したように軽く息を吐いた。


「雨だと今日の体育どうなるのかなー。みんな体育館かな?」

「たぶんな」


 会話を適当に流しながらタイミングを見計らう。

 示し合わせたかのように、T字路を通過して5mほど経った。

 首を伸ばすフリをして、チラっと真後ろに人がいないかを確認する。

 よし、今なら行ける。


 俺は右斜め前、星乃から見て13時の方向のなるべく遠くの空間を指差した。


「あ、なんか変な鳥がいる」

「えっ、どこ?」


 駆ける。全力ガンダッシュ。後ろに向かって。

 星乃が『副学級委員長には見えない鳥』を探してる間にさきほど通りすぎたT字路に戻り、星乃から見えない方に曲がっていく。


 50mほど走った辺りで、後ろを振り向いた。


「……ふぅ」


 追手は居ないみたいだ、作戦成功だ。

 ダル絡みをしてくる友達から撒く時いつもこの手法を使っている。

 成功率は90%。足をひねらなければほぼ成功する。

 まぁ星乃のはダル絡みではなく、優しいヤサ絡みだったが。


「で、こっちからはどうやって学校に行くんですかね」


 無我夢中で曲がってきた道は、あまり見覚えのない道だった。

 中学と同じ地元だからまったく知らない道ではないが、ここから高校へどう行くかは逆算できなかった。

 星乃と距離が空くのを少し待ってからさっきの道に戻っても良かったが、遅刻までにはまだ全然猶予があるので、こっちから行ってみることにした。

 土地勘を養うってことで、これもまた経験値だ。


 もし後で星乃にこの奇行の理由を聞かれても、「急に催した」とかテキトーにセンシティブなことを言っておけば、深くは追及されないだろう。

 まぁ別に星乃とは普段話す仲じゃないから、その弁明をする時もないと思うが。

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