優等生少女と経験値バカ
蒼井きつね
1. 化学の日直
『じゃあまた明日な』
『うん!また明日!…キャー!明日も彼に会えるなんて楽しみで今日はもう何も手がつけられない!!』
「じゃあ足を使えばいいんじゃないか」
夜のテレビが映し出すチープな恋愛ドラマを冷めた目で見ながら、
恋愛はとても非効率だと思う。
人生の時間は有限で、得られる経験や知識は無限じゃない。
なのに恋愛が与えてくれるものは『恋愛の経験・知識』、『女性への慣れ』、『3大欲求の33%の解消』ぐらいで、その割には奪われる時間が多すぎる。
他にもっとやるべきことがあるはずだ、本日高校生になったばかりの俺はそう信じて疑わなかった。
「しかしひでぇ演技だな。棒が極まりすぎてもはや線だろ」
名前も知らないヒロイン役の女の子に悪態をつく。
恋愛をすると脳が溶けるっていうことを表現しているのだろうか?
恋愛自体をまるまる否定する気はない。
たしかに想い人と一緒に過ごす幸せや、好きな人と結ばれる喜びは理解できる。
しかしそれを経験値の面で見ると『割に合わない』。掛かる時間に対して旨味がなさすぎると思う。
多くの人はそれで至福を感じるかもしれないが、俺はそうは思わない。自分はそう思いません。
「22……23……」
テレビを付けたらたまたまやってた恋愛ドラマをぼーっと眺めながら、スクワットに勤しむ。
今日入学式の時に話したクラスメイトの男子が非常に効率の良い筋トレだと熱弁していたので早速実践しているが、なかなかどうして難しい。
膝がつま先より出ないようにするってホントにできるのかこれ?もっとゆっくりやるのかな。
試行錯誤しながら筋肉をいじめ抜いていたら、無駄な時間を過ごしてるヒロインがふと嘆いた。
『うぅどうしよ……彼からのチャットがまだ来るかもって思うと眠れないよ~!!』
「機内モードにするんだな」
ピッと、くだらない映像を暗転させる。
そろそろ足が生まれたての子鹿みたいになってきたので止め時だろう。これ以上は明日に響く。
登校2日目で膝が笑ってるやつが居たら、きっとクラスメイトにも笑われる。
「よし、プロテイン飲んで寝るか」
またしても有意義な時間を過ごしてしまった。
どこぞの侍のようなことを思いながら、心地よい疲労と共に就寝した。
翌日。高校生になって二日目。
だいたいの初回授業は今後の授業の進め方、いわゆるオリエンテーションで済ませるだろうと思っていた。
しかし少しけだるげな現代文の教師は「今日からやらないとカリキュラムが終わらないから」と、オリエンテーションもそこそこにしていきなり小説の読み上げに入った。
しかも朗読は教師ではなく、生徒が順番に読んでいく方式。
まだ名前も知らないクラスメイト達の辿々しい朗読が教室に響いている。
「『海水浴に行った友達からぜひ来いという』……えーっと……」
「ハガキね」
「あっ、すいません。『海水浴に行った友達からぜひ来いという
ほんとにこの時間は無駄だと思う。
読めない漢字に突っかかりながらの朗読を聞くのに、一体意味があるんだろうといつも疑問に思う。
一度事前に目を通しておけば滞りなく読んでいけると思うが、教科書なんて朝のHRで受け取ったばかりだ。まだ友達づくりもままならないのに、配られたばっかの教科書に目を通すやつなんてどこにいる。
ここにいる。
(意外と高校の数学も難しくなさそうだな……)
そんなわけでこの事態をなんとなく予期してた俺は、教科書を手に入れた後すぐに最初の小説を読破し、現在は数学Ⅰの教科書を開き全体像を把握していた。
授業中に教科と関係ない作業をする、いわゆる『内職』と呼ばれる行為が俺はとても好きだった。
授業中の無駄な時間を使って知識を得る。50分という時間の中でより多くの経験値を獲得する、ゲームでいうEXPを取得して自分のレベルが上がっていく感覚が好きだった。
「じゃあ次の人」
「はい、えっと……『彼は電報を私に見せてどうしようと相談』」
「ん?1行飛ばしてるよ」
「あっ!すいません!」
各駅停車のような朗読が教室に響き渡る中、俺は数学Ⅰと最初のご挨拶を済ませていく。
最低な現代文の時間が一つの工夫で最高な意義のある時間に変わる。
俺はこの最強の内職に、素晴らしい高校生活の幕開けを感じていた。
たいへん意義のある現代文初回の授業が終わった後、次の化学は移動教室だった。
休み時間に教室に来た白衣の教師は、「初回の授業は化学室でやるから、教室の後ろに地図を貼っとくので見といてくださーい」と言って消えてった。
化学室がマークされた地図を確認した後、早めに化学室へ向かう。
昨日の入学式前後で仲良くなったクラスメイト達と一緒に来ても良かったが、俺には見たいものがあった。
「おー、やっぱりあるのか」
辿り着いた小さな部屋。
ドアの上部には『化学準備室』と書かれたプレートか掲げられていた。
(一度入ってみたかったんだよな、こういう所)
中学の時は化学なんてなかったし、準備室が必要な授業もそんなになかった。あっても音楽とか技術の授業で、準備室には教師しか入れなかった。
しかし高校となれば話は別だ。
高校生は義務教育ではないから、『生徒』ではなく『学生』の面が出てくる。
ならば「後学のために実験器具とかを見てもいいですか?」と教師に聞けば、もしかしたら準備室に入れるかもしれない。その可能性に期待して教室を早く出た。
なぜそんなに準備室に興味があるのか。もちろん経験値のためである。
別に椅子に座って勉学だけが経験値の全てじゃない。目で見たもの、手で触れたものも立派な経験値になる。
まぁそこまで大仰に考えてはないが、単純に『シャーレ』とか『ピンチコック』と聞いて、頭の中にすぐ「あーあれね」とイメージが出た方が人生がより豊かになる気がした。
「さて、教師はどこにいるかな……」
意欲ある質問を投げかけようと準備室の中を覗いてみたが、そこに教師はいなかった。
その代わりに──
「ん?」
女子が居た。なにやら探しものをしているようだった。
「あれは……」
たしか、クラスの副学級委員長になった女子だ。
名字は『
今日の1限はHRで、全体のオリエンテーションと教科書の受け取り、そしてクラスの学級委員決めだった。
登校2日目に学級委員決めとは、誰も立候補しなかったら一体どんな空気になるんだろうなと担任の心労をそれとなく心配してたら、意外なことにすんなりと決まった。
学級委員長には剣道部志望らしい元気な男子が立候補し、副学級委員長には優等生風な女子、星乃が立候補していた。
男子の方は元気よく挙手していたが、星乃の方は近くの友達にガンガン推されながらって感じだった。
その後担任が「じゃあ学級委員の最初の仕事は、今日の日直ね!」とあっさり地獄のようなことを言ってHRは終わった。
(授業の勝手もまだ分からないのにいきなり日直とか、ブラックバイトの練習か?)
そんな副学級委員長かつ日直でもある星乃が、化学準備室でゴソゴソしていた。
まぁたぶん実験器具紹介の準備のために、雑務の化身である日直が手伝うことになったのだろう。
(でもなんで一人なんだ?剣道部希望の学級委員長はどうしたんだ?)
サボリかそれとも忘れたか。
はたまた、まだ仲の浅い間柄だから星乃は委員長に仕事を伝えにくく、気まずい思いをするなら一人でやってしまおうと考えたのか。
まぁ真相はどれでもいい、とにかくこれは僥倖だった。
ここで日直の手伝いを買って出れば合法的に準備室に入れる。化学の教師を探す手間も省ける。
運がいい、やはり俺の高校生活はバラ色なのかもしれない。恋愛模様の色がつくことはないが。
運のツキに感謝しながら準備室の扉を開けて中に入ると、日直の女子がビクッっと反応した。
「わっ」
「なぁ、それって日直の仕事か?俺も手伝っていいか?」
「えっ?う、うん」
最初星乃は異質な来訪者に少し驚いた様子だったが、それでも俺の要望にあっさりと了承してくれた。
少し困惑気味に揺れた髪は黒みがかったブラウンのセミロングで、まだ真新しい紺色のブレザーをキチンと着こなし、その他身だしなみも校則通り。
まさに優等生っていう感じの外見だった。
「なにすればいいんだ?実験器具を机に並べるとかか?」
「えっうん、そうだよ。よくわかったね?」
「まぁだいたい準備なんてそんなもんだろ」
星乃とやり取りをしながら、俺はしっかりと準備室のあれこれを目に焼き付ける。
カーテンがしまっていて少し薄暗く、そしてどこか埃っぽい部屋には化学を象徴するものがたくさん置いてあった。
(すげー、人体模型って初めて見たな。……あれ、人体模型って化学なのか?)
(さすがに薬品棚にはカギが掛かってるか。学校にゾンビが発生したら叩き割って応戦していいんだろうか)
感動と考察を繰り返す。
サイエンスはやはりロマンがあるな、できることならずっと見ていたい。
だが、手伝うと言ったのにずっとボーッとしていると気味悪がられるので、観察もそこそこにして星乃に続けて尋ねた。
「で、どれを持ってくんだ?」
「んーとね、メシスリンダーとビーカーが入ったダンボールがあるって先生に言われたんだけど、それが見つからなくて」
「メスシリンダーな」
「えっ?あ……」
星乃は少し恥ずかしそうに目線を逸らす。
メシスリンダーだと飯をスリンってする器具になるぞ。家庭科で使いそう。
まぁたしかに間違えやすいっちゃ間違えやすいか。
思わず指摘してしまったが、細かいやつだとウザがられたかもしれない。
「すまん細かいこと言って。もう結構探したのか?」
「うん、たぶんダンボールの中身は全部見たと思うんだけど……」
幸いにも星乃は俺の鬱陶しい指摘を特に気に留めず、かわりに日直の仕事を遂行できなさそうな不安の色を出していた。
星乃の言葉を聞いて少し思案する。
(……しかし、メスシリンダーとビーカーを一緒にダンボールに入れることってあるのかな?どっちも割れ物だけど)
たぶんだけどそれは普段の保管方法じゃなくて、今回のオリエンテーションために用意したものな気がする。
だとしたら──
「化学室の方って見たのか?教卓とか」
「え?ううん。準備室にあると思ってこっち最初に来ちゃったけど」
なるほどな。
「化学室に行ってみな。たぶんあるよ」
「え?ほんと?」
思わぬ助言に足取りが軽くなった星乃はダンボールの箱をひょいっと跨ぎ、化学室に直接繋がる扉を開けて姿を消した。
星乃が確認している間に俺は「なかなか味わい深い景色だな」と、化学準備室の様子をスマホでカシャリと撮る。
いつも思うけどスマホで写真を撮った場合は『写メ』とは言わないのだろうか。
もしスマホ版として言うなら、『スマメ』……?だっさ……。
くだらないことを考えてると、扉の向こうから声が聞こえた。
「あ!あったよ!」
やっぱりか。俺も星乃に続いて化学室に入る。
「ちゃんと合ってた?」
「うん!すごい、よくわかったね!」
決して飯をスリンとできなさそうな器具を持ちながら、星乃は軽くはしゃいでる。
あれ、副学級委員長になるぐらいだから優等生のお堅い感じかと思ったけどそうでもないんだな。年相応に女の子って感じだ。
「ビーカーもメスシリンダーもどっちも割れ物だからな。今日のオリエンテーションだけこういう風にダンボールに入れといたんだろ」
「あー、なるほどぉー」
星乃は素直に感心してる。
「じゃあ並べていくか。1つの机に1個ずつでいいのか?」
「うん、ありがとう!」
準備室を出た時点で既に俺の目的は達成していたが、ここで手伝いを放棄するほど俺の人間性は終わってはいない。
別に俺は人とのコミュニケーションをかなぐり捨ててソロで経験値を獲得したいとかじゃない。
むしろ人とのコミュニケーションは、自分の枠組みから外れた新しい考え方や刺激を貰えるので、非常に価値のある行動だと思う。
それに、クラスメイトとは仲良くしといた方が色々と都合がいい。
要はバランスだ。人と関わってばかりだと付き合いを考慮した無駄な時間が増えるし、だからと言って一人でずっと居ても新たな発見は得にくい。
「右の机から置いていくね」
「おう、じゃあ俺はこっちから行くわ」
俺と星乃はダンボールから割れ物達を丁寧に取り出し、それらを机に置いていく。
化学室の机は普通の教室のとは違い、5~6人で囲んで使う黒い表面の長机。
そういえば中学の理科室もそうだったが、サイエンスが関わる教室の机ってなんでわざわざ机の表面を黒に着色してるのだろう……。元々黒色の木材なのか?
ちょっと後でスマホで調べてみよう、またしても知識が増えそうだ。
「よし、これで全部か」
黒色の机の理由を予想しながら置いていくと、無事自分の分の実験器具を並べ終えた。
ちゃんと1個ずつ置けたか確認しながら、一度教卓の方に戻る。
そして、黒板にある座席表から自分の席の位置を探した。
(えーと……おお、一番後ろの机だ。内職し放題の角度だ)
今日という日は己の欲に素直なものには祝福があるのかもしれない。知的好奇心バンザイ。
そういえば同じクラスになったアイツはどの席だろうと探していると、器具を並べ終えたらしい星乃がやってきた。
「終わった?」
「あぁ、そっちも終わったか?」
「うん。神道くんありがとね、私一人だったらまだ準備室探してたと思う」
「おう」
俺は特に星乃の方を見ることなく、お礼に対して生返事オブ生返事を返しておいた。
(あっ、見つけた)
先ほどの現代文の時間がっつり爆睡していたアイツは、しっかりと1番前の席に飛ばされていたようだ。これが徳の差だな。
罪には罰があることを改めて実感しながら俺は自分の席へと行き、持ってきた内職用の英単語帳を開いた。
少ししたらクラスメイト達がぽつぽつとやってきて、徐々に教室内が騒がしくなっていく。
ふと見ると、剣道部希望の学級委員長が星乃に何か謝るように話をしてた。
真相は『単に仕事を忘れてた』だったのか。
やっぱり剣道部希望だから「ごメーン!おコッテる?ドウしても外せない用事があったんだ」みたいなことを言ってるのだろうか。いや言ってないか。
星乃の方を見ると特に怒ってる感じではなく、むしろ困惑の色の方が強いように感じた。
分かる。こっちは気にしてないのにずっと謝られるのって結構困るよな。
学級委員達の口論の心配がないと分かった俺は再び単語帳に目を落とす。
そこでふと、さっきの会話思い出した。
(あれ?そういえば、あいつよく俺のこと『神道くん』って分かったな……?)
副学級委員長の挨拶をしてたから俺は星乃のことを『星乃』と認識できたけど、なんで星乃は俺を『神道くん』だと認識できたんだろう。一人一人の自己紹介の時間なんてなかったのに。
もしやあれかな、副学級委員長をやるぐらいだからもうクラス名簿を全員分インプットでもしたのかな。勤勉なやつだな。
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