5 悠:部室

「えっ、怖っ、誰……」


 翌日の放課後。

 一足先に部室前にやってきた悠は、中から漏れ聴こえる歌声に気づいた。

 どうやら部員の誰かがCDなんかを再生している様子ではないらしい。

 扉に頬を寄せ、耳を澄ませば、息遣いを感じる確かな人の声がする。


「――想い出はいつもキレイだけど それだけじゃ おなかがすくわ」


 若い女性のようだった。よく聴けばそれは、とても美しい歌声だった。

 不穏さを顔に滲ませ、扉に手を掛ける。

 ゆっくりと開き、僅かな隙間から中を覗き込むと、果たしてそこには、制服姿の少女がひとり。

 動作チェックのためスタンドに取り付けたままになっていた〝棺桶マイク〟の前で、歌っていた。

 そのどこか寂しげな表情が、印象的に映る。


「……誰、すか?」


 悠の呼びかけに、少女はゆっくりと振り返った。

 目が合うふたり。

 悠はしっかりとその顔を捉え、見知った人物かどうか、何年生なのか、確かめる。

 放心気味で固まった彼女は、はっ、と慌てて自身の背後を確認した。


「……え? うそ、嘘うそウソ⁉」

 目を見開いた少女は突然、驚嘆を繰り返した。


「え、何……なんすか」

「視えるの⁉」

「……はい?」

 ぐいっと大きく詰め寄られ、思わず一歩、廊下側へ後退る。

「視えてるの⁉」

「は? いや、え、あの、誰すか?」


「ゆっ――幽霊」


 深刻な表情で少女が、はっきりと言った。

「……幽霊?」

 悠は困惑する。廊下にちょうど人影はなく、助けは求められそうにない。


「――そう、幽霊」


 部室の扉は開けたまま、改めて彼女を見据える。

 快活そうな相貌、適度に崩した制服の着こなし。

 髪型はどことなくトレンドから離れているようにも見えたが、整った可愛らしい顔つきをしているため、特別違和感はない。


 とはいえやはり、悠には知らない顔だった。


「それより、ねぇ、このマイク! このマイクあたしのなの!」

「マイク……? あぁ、あの悪趣味な箱の――」

 言い寄られた悠は、机上の桐箱を指し示す。

「箱? ……についてはよく知らないけど、このマイクは間違いなく、あたしのだよ!」

「……なんでそんなこと分かるんすか」

「ほらっ! 持ち手のここに、シール! 絶対そう! これだけは確信持てるの! 形も、色も、大きさも――間違いないよ!」

 興奮気味に主張されようが、それが彼女の所有物である証拠なのかどうかは判らない。

「えっと……それで……?」


「――あっ! ねぇ、学園祭!」

「えっ――学園祭? 学園祭が何――」

 状況が飲み込めないまま、またしても唐突に大声を上げる彼女に気圧される。

「学園祭っ! ……学園祭? 学園祭……」

 不意に勢いを窄め、首を傾げた少女に戸惑う悠――ふいに、その背中に誰かが触れる。


「――うわっ! ……なんだ創太か」

 振り向けば、見知った顔。

「おう。こんなとこで突っ立って、どうしたよ」

 先刻までのやりとりをまるで知らない能天気男は、悠を押し込むようにして、扉を閉じた。

「おい創太! ちょっと聞いてくれよ、なんかこの子が……」


「……この子? この子って誰だよ」


 カバンを乱雑に放り投げた創太は、素っ頓狂に部室を見回す。

「……いやいや、ほら、え?」

 思わぬその返答に、悠は狼狽えた。

「パントマイムでも始めたのか?」

「……いや、いるじゃん、ここに、女子」

「女子ィ? マリリン・モンローのこと女子って言うか?」

 視線の先には、誰かが壁に貼ったらしいアンディ・ウォーホール。

 訳の分からない応対を繰り返す創太に、悠は頭を抱える。

「……いや、違ぇよ阿呆! ここに、ほら、制服の、女子が!」

「……お前、狂牛病にでもなった?」

「昨日食ったのは豚だ」

 再び開かれた扉の前で、和樹が呟いた。悠の表情に安堵が広がる。

「あぁっ、和樹! 聞いてくれよ、創太が全然取り合ってくれなくて……」

「はぁ⁉ お前が変なこと言うからだろ⁉」

「……和樹、この子、誰か知ってるか?」

「この子?」

「おい悠、和樹にまで……」

 顔をしかめる和樹。創太もまた、いい加減に困惑を滲ませる。

「実は幽霊部員がいたのか? 一度も顔出してないとか、ずっと病欠してたとか。もしかして留年? 入部見学にいた顔でもないし……」

「……?」

 状況を把握できない和樹は創太を見る。目を合わせた創太は、表情を歪ませて首を振った。

「お前が何を言っているのか分からん」

「いや……はぁ? え? ここに、制服着た、女子高生が、いるだろ⁉」

 頼りになるはずの和樹にすら、どうしてかコミュニケーションを拒絶される。

 痺れを切らした悠は声を荒げ、ついには少女の肩を掴もうとする――が。

「――っ、あれ?」


 虚空を切る両手。目の前の少女は夢でも幻でもなく確かに存在して、じっとこちらを見ている――はずなのに。


「ついにイカれたか……」

「暑さで頭がやられるには、ちょっと早いぞ」

 慌てて何度も手を伸ばす。しかし、やはり、どうしても、彼女には触れられない。


「――だからね、幽霊なの」


「……は?」

 彼女は一度俯いて、ゆっくりと顔を上げた。

 その表情は、どこか物悲しく、寂しげだった。


「君が初めて、あたしを見つけてくれた」

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