第45話 この気持ちを大切に
「はい。もしも――」
〈合格しました!〉
私が言い終わらないうちに、今までにないくらい元気な声で、電話の向こうの松崎は言った。
「え、合格……。ホント⁉ おめでとう!」
〈はい! ありがとうございます! これから塾の方に向かいます!〉
「うん。待ってる」
電話が切れる。
「柊はどうだったって? まあ、今のを聞けば合格したんだろうってことはわかるけど」
泉澤が事務仕事に戻りながら私に尋ねる。
心臓がものすごいスピードで脈を打っていることに、今やっと気づいた。
「は、はい。無事に合格したそうです」
言葉に詰まる。気づけば、涙を流していた。
「っ……すみません。なんか、嬉しくなっちゃって……」
「柊が来るまでには泣き止んでおきなよ」
泉澤は箱ティッシュをそっと差し出した。やだ……イケメン。
「はい。ありがとうございます」
志望校にしっかり合格してくれた嬉しさ。担当の講師としての全部が終わってしまった寂しさ、安堵。そういったものがぐちゃぐちゃに混ざって、わけがわからなくなった。
弾けるような笑顔を浮かべて、松崎が入って来た。私の前で立ち止まり、
「無事に、大宮大学に合格しました。長い間、本当にありがとうございました」
びしっと綺麗にお辞儀をした。
「うん。改めておめでとう」
だめだ。また泣きそうになる。
お互いに何を言えばいいかわからなくて、言葉に詰まっていると、
「そこら辺、散歩でもしてきたら?」
と、泉澤が言った。
彼も、私と松崎の間に何かがあることに気がついているのかもしれない。その厚意を素直に受け取って、私たちは教室から出た。
冬の空気の冷たさと日光の温かさが、絶妙なバランスで混じり合う午後三時。
私と松崎は川沿いを歩いていた。
隣に座って勉強を見ることはたくさんあっても、こうして隣を歩くなんてことはほとんどなかった。
「あのときの答え、考えてくれましたか?」
松崎が言う。とっくに私よりも身長が高くなっていた彼の、綺麗な横顔をちらっと見る。
「うん。でもその前に、柊も考えたの?」
「何をですか?」
「私、二十七歳だよ?」
アラサーだよ?
「はい」
「九歳差だよ?」
「知ってます。でもそんなの、四十とか五十とかになれば変わりませんよ」
「あら、プロポーズ?」
「ちっ、違います! あ、いや。違くはないんですけど……」
松崎は慌てたように、顔の前で手を振る。
久しぶりに優位に立ったような気がした。
私もかなりおかしくなっている。全部、目の前の男の子のせいだ。
「そういう、年齢差とか関係なくなるくらいに、俺は先生のことが好きなんですよ!」
耳まで赤くして、松崎がそんなことを言うものだから、私はめまいを覚えて歩みを止める。
「なっ、何それ! バカじゃないの? バーカバーカ」
あまりにもストレートな彼の発言に、語彙力が激しく低下してしまう。助けてくれ……。
「それで、どうなんですか? ちゃんと、真剣に考えてくれました?」
もちろん私も真剣に考えた。
考えて出した結論は、こうだ。
「うん。とりあえず、入学手続きとか、色んな準備とか終わったら、二人でご飯でも行きましょ。今はまだ、それしか言えない。ごめんね」
残念ながら私は、自他ともに認める恋愛音痴のコミュニケーション初心者だ。こういうとき、スムーズに立ち回ることなんて到底できない。
本当は、同じだけの好意を返したいのに、それをすることがとても怖い。
「はい。楽しみにしておきます」
松崎もそれをわかっているから、今の私の台詞が、遠回しに彼の告白を断っているわけではないことを理解してくれている。
「もう俺、生徒じゃないんで。これからちゃんと、一人の男として見てもらえるように頑張ります!」
そんなふうに、力強く宣戦布告をする彼のことを、とても愛おしく感じる。
それはきっと、恋と呼べるものなのだろうけれど。
だからこそ、この気持ちを大切にしたいとも思う。
「うん、頑張って……ってのも変か。でも、大学に入ったら勉強も大変になるんだからね。特に理系は、実験とかもあるし」
「あはは、まだ先生モードだ」
「うっ……申し訳ない」
悲しい職業病だ。
「いえ、大丈夫です。でも、これじゃあ先が思いやられますね」
そう言いながら、松崎が右手を伸ばしてくる。
「え、ちょっ!」
待って、顔が近い!
「髪の毛に、葉っぱがついてただけです」
思わず目をつぶった私の耳元で、松崎がささやいた。
「…………ありがと」
私なりに、不器用でもいいからゆっくり進んでいこう。
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