第44話 ちゃんと好きです


 あっという間に二次試験の前日になった。


 私は生徒の見送りで外に出ていた。二月の夜の寒さは厳しい。コートを羽織ってくればよかった。


「いよいよ明日だね」


 落ちても後期試験があるが、大宮大学の後期試験は、前期でトップレベルの難関国立大に落ちた人たちがたくさん流れてくるので、実質、明日の前期試験が勝負だった。


「はい」


 松崎と二人でうなずき合う。


 お互いに、あのときの告白なんてなかったみたいにふるまっていて、気まずい雰囲気はないけれど、私は内心、結構動揺していたりする。今のシチュエーションが、告白されたときとまったく一緒だからだ。


「どう? 自信は」


「合格する気しかしません」


「あれ。珍しいね」


 いつもなら控えめなコメントをするはずなのに、今日の松崎は違った。少し気負いすぎているのかもしれないと、心配に思った。


「鎌田先生に教えてもらったからです」


「え?」


「あれだけちゃんと教えてもらっておいて、自信を持たないのは、先生に失礼じゃないですか」


「お、言うようになったね」


 心の内側まで射抜くような視線。私の鼓動が、いつもより高鳴っていることを見透かすような、そんな熱を帯びたような目を、松崎はしていた。


「俺、ちゃんと先生のこと、好きです」


 ほらきた。


 告白は二度目だったけれど、慣れなんてものはなくて、


「あ、いや、前も聞いたけどさ……」


 つい周りをキョロキョロ見回してしまう。泉澤に聞かれたらまずい。いや、案外ノリノリではやし立ててくるかもしれないな……。


「試験に合格したら、真剣に、返事を聞かせてほしいです」


「うん。わかった」


 私も、ちゃんと向き合わなくてはいけないと思った。




 帰宅して湯船につかり、冷えた体を温める。


 色々なことを、ぼんやりと思い浮かべていく。


 松崎から告白された事実を、ようやく受け入れることができた。とはいえ、まだ事実を受け入れただけで、自分自身の気持ちとはしっかり向き合えていない。


 教え子にそういった類の感情を向けられることは、もちろん初めてだったし、想像したこともなかった。


 松崎からの告白は、嫌ではなかった。しかし、嬉しいかと言われると、はっきりと肯定することはできない。どうしても、講師と教え子という関係、そして年齢差が邪魔だった。


 決して、松崎のことを、幼いと思っているわけではない。むしろその逆で、とても大人びた子だと思っている。


 私が心配しているのは、むしろ松崎から私への好意が、本物なのかということだ。


 きっとこれから大学生になって、社会人になって、彼の世界は広がっていく。そして、たくさんの人と出会う。その中には、私よりも魅力的な人間なんてたくさんいる。


 彼は私の聡明なところが好きだと言ってくれたが、年齢差があるのだから、それは当然のこと。小学生にとって大学生は聡明だし、高校生にとっての大人もまた、そう見えてしまう。


 松崎の気持ちは、一時の気の迷い、勘違い、錯覚、そういった言葉で表されてしまうものではないだろうか。


 そういうふうに、保険をかけているということは――。


 結局私は、嬉しいのかもしれない。


 自分が自分ではないような、不思議な気持ちになった。




 運命の――大宮大学の合格発表の日がやってきた。


 竹原の大学の発表日は昨日だったが、無事に合格を勝ち取っていた。中学生も、公立の合格発表日はまだ先だったが、滑り止めの私立の学校にはほぼ全員が合格していた。


 大宮大学の合格者の番号は、現地で掲示板に張り出される。それと同時に、大学のサイトでも確認することができる。


 私はあらかじめ、松崎の受験番号を聞こうと思っていたが、本人は教えてくれなかった。


 先生には直接報告したいから、だそうだ。ちなみに泉澤は知っているらしい。不公平じゃない?


 そんなわけで、私は塾でそわそわしながら待っている。


 合格発表の時間の二分前だった。


 ねえ、時計の針、動くの遅くない?


「鎌田先生がそわそわしても、柊の結果は変わらないよ」


 泉澤にそんなことを言われる始末だ。


「塾長、バタフライエフェクトって知ってます?」


 蝶がぱたぱた羽ばたくことで、台風が発生するように、私がそわそわすることで、柊が大学に合格するかもしれないのだ。


「知ってるけど、もう結果自体は決まってるでしょ」


「甘いですね。観測されるまで、合格と不合格は確率的に存在しているんです。量子力学では常識ですよ」


「なるほど、シュレディンガーの合格ってわけか。じゃあ僕が先に観測しちゃおうかなー」


 そう言いながら塾長がパソコンを操作する。


「え、もしかして時間になりました?」


 時間を見ようとしてスマホを取り出した瞬間、電話がかかってきた。松崎からだ。


 震える手で操作し、スマホを耳に当てる。

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