第41話 凛々しい男の子
「あ、えっと、彼はもう、推薦で大学が決まってるんです」
「え、そうなの?」
思わずそんな反応をしてしまった。
「はい。でも、私の受験が終わるまで、彼も一緒に勉強してくれてるんです。大学の予習、みたいな感じで」
ついでにのろけられた。ぐぬぬ。
でも、どういうことなのだろう。
竹原の授業が終わって、休み時間。私の脳内はクエスチョンマークでいっぱいだった。
共通テスト前日の授業が終わって、ついに真実が明らかになる。
教室の入り口には、私と松崎と竹原がいた。
「いよいよ明日だね。いつも通りにやれば大丈夫だから。もし緊張したら、深呼吸ね!」
ちなみに笹垣は「迷ったら三番塗っときゃなんとかなる」などと、塾講師らしからぬ発言を残して帰って行った。彼女なりの激励なのだろう。
「ありがとうございます。頑張ります」
竹原が帰り、松崎と私だけが残された。
「柊も、頑張って。受験票とか忘れないようにね」
「はい」
松崎は決意に満ちた表情でうなずく。
今日の授業も集中していた。その姿に、きっと大丈夫だろうと思わされた。
「応援するくらいしかできないけど、きっとうまくいくよ」
「ありがとうございます」
しかし彼は、その場から動こうとしない。
「どうしたの?」
実は緊張しているのだろうか。心配になって声をかける。
「……俺、志望校を変えた理由をちゃんと話します」
私の耳に届いたのは、そんな台詞だった。
志望校を変えた理由……?
「待って。ただレベルの高いところを目指すことにしたってだけじゃないの?」
やっぱり、松崎は竹原と付き合っていて、彼女との遠距離恋愛に耐えられそうにないという理由から、近くの大学を目指すことにした、ということなのだろうか。
罪悪感にさいなまれて、本当のことを打ち明ける気になったのかもしれない。
しかし先ほど、竹原本人から、恋人はすでに推薦で大学が決まっているという話をされた。もちろん、松崎が大学に推薦で合格したなどという事実はない……はずだ。
それとも、竹原の言っていることが嘘で、二人は付き合っているのか。もしくは、二人が恋人同士だというのは私の勘違いで、松崎の志望校の急な変更には、また別の理由があるのか。
何もわからなかった。
だから私は、彼の話を聞くことにした。
「えっと、よりレベルの高いところで学びたいと思ったのは本当です。でも、それが理由の全部じゃなくって……。俺、鎌田先生に釣り合うような人間になりたかったんです」
「え?」
私に釣り合うような人間に、って?
「俺、先生のことが好きなんです」
「は?」
「俺は、鎌田先生のことが好きです」
真っ直ぐな視線に射抜かれる。
いや、別に聞こえなかったわけじゃなくて……。
「そ、そうやって冗談言って大人をからかわないで」
竹原さんと付き合ってるのに、何を言ってるの? そう言いそうになったが、寸前でこらえた。松崎の表情が、あまりにも真剣だったから。
じゃあ、松崎は竹原と付き合っているわけではないのだろうか。そうだとしたら、あのとき二人でショッピングモールにいたのはなんだったの? でもたしかに、手をつないでいたわけでもないし、二人が付き合っていると誰かから聞いたわけでもない。何一つとして、松崎と竹原が交際しているという証拠はないのである。
いや、そんなことを冷静に考えている場合ではない。
私、今、告白された? しかも、教え子に……。
教室の方をチラ見する。幸い、泉澤はまだ事務仕事の最中で、こちらに注目している様子はなかった。
「冗談なんかじゃないです。鎌田先生は、とても聡明で、いつも一生懸命で、そんな人、近くに何年もいれば好きになるに決まってます。……本当は、受験が全部終わってから言うつもりだったんですけど。すみません、早く知ってもらいたくて……」
切りそろえられた前髪の下から覗く瞳に、吸い込まれそうになる。
八年間、松崎に勉強を教えてきた私が、初めて見る顔だった。
何か言わなくては……と思うが、何も言葉が出てこない。頭が真っ白になる。
「とにかく、受験が終わったら、考えてほしいんです。先生の気持ちがどうであれ、真剣に」
「……本気なの?」
もしやあれか? ドッキリ系の動画の撮影中だったりするのか? 『【神回】独身の美人塾講師に男子高校生が告白してみたらどんな反応をするのか⁉』というタイトルと共に、今のシーンがサムネイルになっているところを想像してしまう。
「はい」
ためらいなくうなずいた彼の顔を、まじまじと見る。
私の初めての生徒である松崎柊は、八年前の可愛らしい面影を残したまま、いつの間にか、凛々しい男の子になっていた。毎日のように見ていると、変化に気づけない。
「このマフラー、本当は先生にプレゼントするつもりだったんです。クリスマスだったし、いつもわかりやすく教えてくれるからってことで。まあ、本当は、好きな人にプレゼントしたかったって理由なんですけど……」
松崎が首に巻いているマフラーの端を持って言った。
「そうだったの?」
好きな人、という言葉が頭の中をぐるぐる回っている。さっきの告白で、私の心は麻痺してしまっていた。彼から伝えられた好意は、私の恋愛耐性の上限を超えていて、ドキドキのメーターは振り切れている。
どこか他人事のような気持で、自分と松崎の会話を上から眺めているような感覚だった。まるで、幽体離脱でもしているかのように。
「恥ずかしながら、女の人にプレゼントなんてしたことがなかったので、竹原さんに一緒に選んでもらったんです。でも、先生は新しいマフラーを買ってて……」
――先生、そのマフラーどうしたんですか?
その問いに対し、私が新しく買ったと答えると、松崎はなんとも言えない表情になったことを思い出す。
謎は、ささいな勘違いから生まれる。
スマホゲームに熱中する旦那を、浮気だと勘違いしていた恵実。
娘と歩いていた女装している女の子を、彼氏だと勘違いしていた塾長。
別れを切り出されたことで、彼氏の本当の気持ちに気づいていなかった竹原。
米原が、二人で買い物をしている鶴岡と坂本と見て、二人が付き合っているのだと誤解してしまったように、私もまた、松崎と竹原が付き合っているのだと勘違いしてしまった。
「だから、このプレゼントは渡すなってことなのかなって思ったんです」
松崎は悲しさを取り繕うように苦笑いを浮かべた。
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