第40話 恋する乙女
翌日。
「先生、流星なんか言ってた?」
塾用のトートバッグと、お洒落な紙袋を机の脇に下げながら坂本が言う。その紙袋を見て、私の予想は確信に変わった。
「何も言ってはいないけど、大丈夫」
「本当?」
「……たぶん」
坂本にキラキラした目で見つめられ、ちょっと自信がなくなってきた。大丈夫じゃなかったらどうしよう。
「米原くん」
私は、一人で先に来て冬休みの宿題をしていた米原に呼びかける。
彼がイヤホンを外して顔を上げた。
「米原くんがあの二人について考えてることは、たぶん勘違いだと思う」
「…………え? マジで?」
私の言葉をかみ砕いた米原は、ポカンと、口を半開きにしながら言った。
「うん、マジで」
「そっか」
彼はほっとしたような表情で息を吐きだす。
本当に二人のことが好きなんだな、と、私まで嬉しくなった。口は少し悪いけれど、友達思いな男の子なのだ。
彼らの間にあった勘違いは、おそらく今日中に解決することになるだろう。
「先生、なんか今日は嬉しそうですね」
松崎の授業中、そんなことを言われた。
「私だって、やればできるんだから」
胸を張って答える。
「なんですか、それ」
松崎は、ふふ、と楽しそうに笑う。その反応に、胸の内側が温かくなっていった。
いつの間にか、松崎との間にあった気まずい空気は消えていた。
私がしっかり塾講師としての態度をまっとうすれば、こうしてうまくやっていけるのだ。
授業が終わって、生徒たちを見送る。
「流星、帰ろうぜ」
「お、おう」
鶴岡の呼びかけに、米原はおそるおそる、といった感じで応える。
「はい、流星。これ」
近づいてきた米原に、坂本が紙袋を差し出した。
「へ?」
「流星、誕生日、おめでとう!」
鶴岡が米原の背中を叩きながら言った。
「……あー、そういうことかよ」
米原は恥ずかしそうな、だけどそれ以上に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
私の推理はこうだ。
米原は、鶴岡と坂本が二人で買い物してるところを見てしまい、二人が付き合っていると勘違いした。二人が買っていたのは、米原の誕生日プレゼントだったにもかかわらず。
坂本が今日持ってきていたお洒落な紙袋を見て、その考えが確信に変わった。
「それで、流星はどうして私たちのことを避けてたの?」
「そりゃあ……この前、二人が一緒にいるところを見て、その……勘違いしたんだよ」
どうやら私の推理は正しかったようだ。
「勘違いって?」
まだピンときていない様子の坂本に、米原がむずがゆそうに説明する。
「だから、その……お前らが付き合い始めたんじゃねーかって」
中学生って、そういうことに興味を持ち始める年齢だもんね。私も同じ立場だったら誤解してたかも。
「あはは、そんなわけないじゃん! マジでウケるんですけど!」
手を叩いて盛大に笑う坂本。
「そうだよ。そんなわけないって」
少し顔が引きつっている鶴岡。ちょっとかわいそう。
「ってか私、彼氏いるし」
「は?」
「え?」
ふぁっ⁉
二人の肉声と、私の心の声が重なった。
「三年生の先輩だよ。ほら、バレー部の元部長。校内でも有名だから知ってるっしょ。今は向こうが受験で忙しいから、あんまり会えてないんだけどね。はぁ。早く会いたいなぁ」
恋する乙女の顔になって、坂本が言う。
一方で、米原と鶴岡はわかりやすく動揺していた。ついでに私も。
笹原がいたら「鎌田先生、中学二年生に負けちゃったっすね~」なんて茶化してくることは間違いない。彼女がいなくてよかった。
「ん、何盛り上がってるんすか?」
噂をすれば! 仕事を終えたらしい笹垣が現れた。
「なんでもないので早く帰ってください」
「え、ひどい! パワハラだ!」
中学二年生トリオのプチ騒動も無事に解決し、共通テストの前日になった。
塾の生徒は中学生がほとんどで、高校生はあまりいない。みんな大手の予備校に通うからだ。そっちの方が安心だもんね。
うちの塾の高校三年生は毎年、一人か二人程度で、今年も例に漏れず、松崎と竹原だけだった。
よりいっそう集中する生徒、緊張で表情が硬い生徒、開き直っていつも通り過ごそうとする生徒。色々な生徒を見てきたが、開き直る生徒の方がいい結果が出る傾向にあった。
「勉強はしてるはずなのに、すればするほど自信がなくなっていくんです」
竹原は授業中に言った。彼女は緊張するタイプのようだ。
「私も受験のときはそうだったよ。覚えた英単語が、頭から次々に抜けていくみたいな」
「そう! そんな感じです!」
「じゃあ……contemporary」
「現代の」
「blame」
「非難する」
「pronounce」
「えーっと……発音する?」
「うん、ちゃんと覚えてるじゃん。その調子なら大丈夫」
私の役目は、本番までに少しでも気を楽にしてあげることだ。
「だといいんですけどね」
まだ表情から硬さが抜けない。
「合格すれば、彼氏と一緒に大学生活、エンジョイできるんだから、頑張りましょ」
竹原は、受験する大学を国立一本に絞っているため、不合格の場合は浪人となってしまう。もちろんそれをそのまま伝えても逆効果なので、明るい未来を想像させる方向へ誘導する。
そして、私が自然にこの話題を出せたことに自分でも驚いていた。
「まあ、はい」
少し照れたように答える。可愛いなぁ。
「きっと彼氏も頑張ってるはずだし、竹原さんも頑張りましょ」
彼氏が松崎ということは知らないという体で、私は竹原を励ます。
しかし――彼女からの答えは、予想外の言葉だった。
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