第39話 空気くらい読めるし……
米原は、無表情ではあったが、どことなく寂しさを醸し出しているような感じがして、私は心配になった。
鶴岡も坂本も戸惑っているようだった。ちょっと気になって聞いてみたけれど、心当たりもないらしい。
「私、流星に嫌われるようなことしちゃったのかな……」
いつもニコニコしている坂本の顔が、悲しそうにゆがむ。
こんなに元気のない彼女を見るのは初めてかもしれない。
「大丈夫。きっとすぐに元通りになるから」
そんなあいまいなことしか今は言えないけれど、元通り、仲の良い三人に戻ってほしいと私は思っている。
せめて、原因を突き止めるくらいのことはしたい。とはいっても、子ども同士の問題に大人が首を突っ込んでいいのだろうか、という懸念はある。
けれど、何かがすれ違ったままというのは、彼らにとっては不幸せなことだし、私も悲しい。どうにかして、彼らの納得のいく形で解決してほしいが……。
私よりも彼らに近しい松崎に相談することも考えたけれど、あまり気が進まない。
ただでさえ大変な時期だし、志望校のランクを上げた彼の場合であればなおさらだ。今回は自力で答えまでたどり着いてみせる。
そのためにはまず、米原に色々と聞かなければ。
「ねえ、どうして二人のことを避けてるの?」
キャスター付きの椅子で移動し、私は米原に尋ねる。
「べ、別に避けてねえよ」
ビクっと肩を跳ねさせて、米原が答える。
嘘をつくのが下手くそで、親近感を覚えた。
「じゃあ、どうしてわざわざ離れた席に座ってるの?」
彼のようなタイプには、ストレートに質問をぶつけるのが一番だと思った。
すると、
「俺だって空気くらい読めるし……」
そんな答えが返ってきた。
「空気って、どんな?」
「空気は空気だよ」
「じゃあ、空気の八十パーセントを占める元素は?」
ついつい塾講師らしい質問をしてしまう。
「窒素」
「正解。じゃあ、窒素の集め方は?」
「……水上置換法?」
「お、正解。窒素は水に溶けにくいからね」
勘で当てたような雰囲気だったので、一応解説しておく。
「今は理科の時間じゃないだろ。早くここ、教えてよ」
生意気な口は相変わらずだった。
彼が悩んでいる合同の証明問題のヒントを与えつつ、私は考える。
二人のことが嫌いになった、という感じではなかった。まずはひと安心だ。それにしても、空気くらい読める、というのはどういうことなのだろう。空気を読んだ結果、二人から距離をとっている、ということで間違いないはずだ。
最初に思いついたのは、逆に米原が二人から嫌われていると思っている、という可能性だ。しかし、鶴岡と坂本に米原を嫌っている様子はない。二人はむしろ距離を置かれていることに戸惑っている。
やはり、三人の間にどこかで齟齬があったのだろう。それ以上は今のところわからない。
二時間目が終わって休み時間。
出された宿題を溜めていたらしく、三人は自習席で宿題を消化している。が、ここでも米原が一人だけ離れた席に座っていた。鶴岡と坂本は隣同士で座っている。
いったい、何があったというのだろうか。話を聞く限りでは、喧嘩している感じではない。一方的に米原が二人を避けているような印象だ。
「先生、何か考え事でもしてるんですか?」
松崎に尋ねられた。どうやらボーっとしてしまっていたらしい。
「あ、ああ。ごめんね」
「俺でよければ、また力になりますよ」
ここで松崎に相談すれば、簡単に正解を導き出すかもしれない。でも……。
「いや。もう共通テストも近いし、勉強に集中しましょ。ね」
余計なことに思考を裂かせるわけにはいかない。
「わかりました」
口ではそう返事をしつつも、松崎は納得がいっていないような表情をしていた。
彼は再び集中して数式を展開していく。
真剣な横顔を見ながら、私はクリスマスイブのことを思い出していた。松崎と竹原が一緒にいるとことを見てしまった日のことだ。
仲良く談笑しながら歩いていた彼らは、お互いのクリスマスプレゼントでも買っていたのだろうか。いいなぁ。私もクリスマスプレゼントほしいなぁ……。アクセサリーとかも嬉しいけど、どっちかっていうとヘッドホンとかボールペンとか、実用的なものの方がいいなぁ。結局、今年も私はクリスマスぼっちだったなぁ……。来年もぼっちかなぁ。このまま結婚できずに独身のまま生涯を終えるのかなぁ。嫌だなぁ……。
なんだか悲しくなってきたので、別のことを考えよう。
それにしても、米原たちは大丈夫だろうか。
いつも楽しそうに言い争っていた彼らが見られなくなるのは寂しくもある。
――う、うるせー! バカって言った方がバカなんだよ!
――小学生みたいなこと言ってるし。でも流星は一月生まれでまだ十三ちゃいだからしょうがないでちゅねー。ってわけで私には敬語使ってくださーい。敬ってくださーい。
――学年は一緒ですー。早生まれなのに同じ授業受けてるので俺の方が優秀なんですー。残念でしたー。バーカバーカ。
「あっ!」
閃きは突然に訪れた。
「え?」
ノートにペンを走らせていた松崎も、驚いたようにこちらを見る。
「あ、いや。ごめん。なんでもない」
もしかすると、米原が二人を避けている理由がわかったかもしれない。
松崎の授業が終わったあと、鍵のかかった棚にしまわれていた書類を確認する。生徒の個人情報が載っているものだ。
米原流星のものを探して、私の考えが正しいかどうかを確認した。
うん。確証はないけれど、可能性は十分にある。
――俺だって空気くらい読めるし。
米原のその発言ともつじつまが合う。
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