第24話 大事です
「鎌田さんは、仕事に対して、なんというか、一生懸命じゃないですか」
「まあ。それは、仕事ですし……」
「そうなんですけど、鎌田さんが仕事のことを話すとき、すごくキラキラして見えるんですよね」
「キラキラ……ですか?」
そんなことを言われたのは初めてだった。鎌田
「はい。塾講師って仕事が、生徒たちのことが、本当に好きなんだなぁ、って」
たしかに、そう言われてみるとそうなのかな……という気がしてくる。塾の講師というのは私にとって天職なのかもしれない。勉強することも、勉強を人に教えることも苦ではないし、生徒の理解力や個性に合わせて上手く教えられたときは楽しい。
生徒に「学校の先生よりわかりやすい」なんて言われた日には、帰り道でスキップをしたくなるくらいハッピーになる。疲れたな、大変だな、と思ったことはあっても、辞めたいと思ったことはなかった。考えたことすらも。
「そう見えたのなら、すごく嬉しいです」
私はそう答えた。自然な笑顔を浮かべられたことに、自分で驚いていた。
「高校生も教えられてるんですよね?」
あまり自分のことだけ話すのもどうかと思ったけれど、水谷さんが質問してくるぶんには仕方ない。
「はい。やっぱり、高校生を教えるのは大変ですね。数学は大学でも専攻していたのでどうにかなるのですが、化学や生物なんかは、今でも少しずつ勉強している状態です」
「そうですよね。僕なんて、高校生のときの勉強は何一つ覚えてないですよ。今の状態で入試とか解いたら、どこにも受からない自信があります」
「いやいや。意外と覚えてるものですよ」
「へえ。そうなんですね」
「はい。手が勝手に動いたりします」
会話を楽しめていることに気づいたのは、料理が運ばれてきて話が中断されたときだった。
水谷さんはサバの塩焼き定食で、私はチキン南蛮定食。どちらも美味しそうだ。
「僕は塾に通ったことがないのでわからないんですけど、塾の先生って、少し思っていたのと違うなって思いました」
「どういうふうにですか?」
「塾って、学校と違って、勉強だけをする場所だと思ってました。ただ淡々と、静かに合格だけを目指すところで、イメージ的には、学校が暖色で塾が寒色……みたいな。すみません。上手く言えないんですけど」
「いえ。わかります」
「でも、鎌田さんのお話を聞いていると、ちょっと違うのかなって。塾も、しっかり生徒たちのことを考えてるんだなって」
「たしかに、生徒との距離が、学校の方が近いイメージがありますよね」
「そうです。そんな感じです」
「それに塾によっても……例えば、個別指導と集団指導でかなり違うかもしれません。私の勤めているところは個別なので、生徒との距離が近いのかも」
「ああ、そっか。なるほど」
「私が大学生のときに小学生だった教え子の男の子が、今は高校三年生なんです。学校の先生は、長くても六年間ですけど、私はもう、その子とは八年の付き合いなんです」
松崎柊のことだ。
「すごいですね」
「はい。なんだかもう、親戚のおばちゃんみたいな感覚です」
「まだおばちゃんって年じゃないでしょう。それだと、僕もおじちゃんになってしまいます」
水谷さんが楽しそうに笑いながら言う。
なんだか、胸の辺りが温かい。
「それは大変失礼いたしました」
私も笑いながらおどけてみる。
この人となら、穏やかに月日を重ねていけそうだな、なんてことをふと思った。
「でも、高校三年生っていうと、その子の勉強を見るのは、今年で最後なんですね」
「はい。もうすぐ終わっちゃうんだって思うと、寂しいです」
「ずっと、教えてきたんですもんね」
「そうですね……」
松崎との塾での日々を思い返して、懐かしくなる。
「鎌田さんは……」
水谷さんは何か言おうとしたが、考え込むように黙ってしまう。言葉が出てこないというよりは、言いたいことは決まっているけれど、口にするのを躊躇っている。そんな印象を受けた。
「どうかしましたか?」
「いえ。本当に、その生徒のことが大事なんだなって」
しみじみと言葉を紡ぐ水谷さんに、
「はい。大事です」
私はそう答える。
照れ臭かったけれど、それが本心だった。
心臓の鼓動が速くなったような気がした。
食事を終え、前回は少し多めに支払ってもらったから、と私が多少強引に多めにお金を出して会計を終える。
駅に向かって歩いている途中で。
「えっと、今日は……その、鎌田さんにお伝えしたいことがあります」
それまでは砕けていた水谷さんの口調が、突然、丁寧になった。
「は、はい」
私もつられてかしこまってしまう。
せっかく自然に話せるようになったと思ったのに、初めて会ったときみたいな、不安定なぎこちなさが漂う。
まだ出会ってから短いけれど、とても誠実で、真面目で、ちょっと不器用だけど優しい。そんな水谷さんに、私は好感を抱いていた。
それをはっきりと、恋愛感情だと断言することはできないけれど、もしもそういう関係になれたのなら、それなりに上手くいくんじゃないかという予感があった。
心拍数が増加する。
少し熱くなった私の体を、晩秋の夜の風が冷やしていく。
正直、こういう経験が乏しい私には、水谷さんが今から何を言おうとしているかを察することはできない。だけど、これからの二人の関係について、彼が真剣に話をしようとしていることは理解できた。
「こうして、鎌田さんと一緒に過ごしてみて思ったのですが――」
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