第23話 羨ましいです


 暗黒戦士ヴァイザール?


 何それ? しるくは? ねえ、しるくは⁉


「知らないの? しるくの後にやってるアニメだよ~」


 待って待って。せっかく『マジカル少女しるく』を視てきたのに……。


「しるくはどうしたの?」


「しるくは可愛いけど、ヴァイザールはカッコいいんだよ! こう、手から火がブオォーって出るの」


 目から星がブオォーって出てきそうな、キラキラした笑顔で話す瑞樹。


「へ、へぇ~」


 ただそれを聞くことしかできない私。無力なり。


 まあ、小学生なんてそんなものだよね。


 しるくの話ができなくて残念ではあるけれど、弾けるような笑顔で話す瑞樹の様子に、こちらまで嬉しくなってくる。


「今度、ヴァイザールのコスプレするんだ!」


「そうなんだ。お母さんがまた服を作ってくれるの?」


「うん! 今度はお兄ちゃんも一緒に着てくれるって!」


「あー、それ冗談なので気にしなくていいですよ」


 後ろで黙々とプリントを進めていた兄の政樹が言った。


「えー、なんでよ」


 瑞樹が口をとがらせる。かわいい。


「なんでもだよ」


 そういいながらも、政樹はまんざらでもないような表情をしていた。


「はいはい。じゃあ今日のプリントで瑞樹が全問正解したらお兄ちゃんもコスプレね」


「やったー!」


「ちょ、先生! 勝手に何言って……」


 弟の喜ぶ声と兄の慌てる声を聞きながら、私は笑う。


 アニメやゲーム、映画や本。スポーツに恋愛、そしてもちろん勉強。


 この世界は、たくさんの楽しいものであふれかえっている。


 子どもたちは色んなものを自由に受け取って、自分が感じたままに吸収して、素直にのびのびと育ってほしい。


 今の私の仕事は勉強を教えることだけど、心からそんなことを思った。




 泉澤のまどちゃんに対する誤解が解けてから二週間ほどが経過した、十一月がもう終わろうとしている、とある日曜日のこと。


 私は緊張しながら駅前で水谷みずたにさんを待っていた。


 約一ヶ月前、恵実に催促され、水谷さんにメッセージを送り、予定を合わせて再び食事に出かけることになった。


 こうして二人で会うのは二回目なのに、前回よりも緊張する。それだけ、水谷さんのことを意識しているのだろう。


 今まで男運がなかっただけに、水谷さんのようなまともな人は、私にとって超絶レアなのだ。


 おっと。危ない危ない。水谷さんがまだまともな人だと決まったわけではなかった。油断してはいけない。慎重にいこう。期待通りではなかったときの落胆を小さくすることが、平和に生きるためのコツだ。


 緊張している一方で、水谷さんとまた会えることを楽しみにしている私もいる。


 待ち合わせ場所は、都心から少し離れた、落ち着いた街だった。


 約束の十分前になって、水谷さんが到着する。


「すみません。お待たせしてしまって」


 彼は申し訳なさそうに言うが、時間に遅れたわけではないし、私が勝手に三十分前から待っていただけだ。


「いえ。私もついさっき来たところなので」


 二十分前はついさっきに含まれるんです。私の中では。


「それじゃあ、行きましょうか」


「は、はい」


 ぎこちない足取りで、私は水谷さんの後ろを歩き出した。


「お仕事の方はどうですか?」


 お店に向かって歩きながら、水谷さんが話を切り出す。


「もうすぐ受験なので、生徒たちも集中してやってくれてます」


 模範解答みたいになってしまった。実際には、生徒の集中力にはムラがあるし、受験と関係のない小中学生は授業中も騒がしかったりする。


 受験は自分との戦い。よく耳にする言葉だが、たしかにその通りだと思う。自分の受験のときも感じてはいたが、塾講師となった今、さらに強く実感している。ストレスで泣きながら勉強する生徒や、思うように問題が解けなくてひどく落ち込んでしまう生徒も見てきた。今年はまだマシな方だと思う。


「生徒たちはもちろんですけど、先生の方も大変ですよね」


 水谷さんは優しさを感じさせるスマイルで言った。


「まあ、そうですね。模試の結果とかを見て、精神的に参っちゃう子も少なくないですし」


 思い込みというのは怖いもので、自分はダメだと思うと、解けるはずの問題が解けなくなってしまうこともある。生徒たちのメンタル面の管理も、塾講師の大事な仕事だ。


「ああ、僕もそうでした。偏差値が下がったとき、すごく落ち込んだ覚えがあります」


 と、照れくさそうに話す水谷さん。


「みんな、偏差値とか順位とか判定とかを気にしちゃうんですよね。私はいつも、大事なのは合格最低点だ、って言ってるんです。それと、順位を気にするんなら、募集人数と照らし合わせろ、って」


 物事の表面的な要素に惑わされず、自分の頭で考え、本質を見抜けるような人間に育ってほしい。そういう願いもちょっとだけ込めつつ、生徒に言い聞かせている。


「ああ、たしかに。言われてみればその通りですよね。僕も模試の結果は判定しか見てませんでした」


「模試の判定って、意外と適当ですからね。大事なのは、合格に必要な点数と、その点数をどの科目でどのくらい取れるようにするかです。もちろん、間違えた問題の復習もですけど」


「あはは。さすが理系ですね。僕も学生のときに鎌田先生に教えてもらいたかったな」


「それはそれは。光栄です」


 ぽつぽつと言葉を交わすたびに、少しずつ不自然さはなくなっていった。軽口も叩けるようになる。


「あ、このお店です」


 水谷さんが足を止める。


 決して洒落ているわけではないが、静かで落ち着いた雰囲気の定食屋だった。隠れた名店というようなイメージ。センスのよさが感じられた。


 案内された席に座り、食事を注文する。


「そういえば、水谷さんは公務員ということでしたけど、具体的にはどんなことをされているんですか?」


 前回、そしてついさっきも、私の仕事のことをたくさん話してしまったけれど、彼の仕事についてはあまり詳しく聞いていなかった。


「僕は市役所で働いています。基本的にはデスクワークで、メールや書類を処理したり、会議に出たり、毎日同じようなことの繰り返しで、これといってやりがいも面白さもありません」


 水谷さんは軽く自嘲的な笑みを浮かべながら話す。あまり自分の仕事が好きではないのだろう、と思った。


「そうなんですね」


 真面目な水谷さんに向いていると思うのだけれど。


「はい。なので、鎌田さんが羨ましいです」


「え?」


 不意打ちのようなひと言に、大げさに反応してしまう。

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