第16話 じゅんじょーかれん
木曜日の二時間目。
中学二年生の
「鎌田先生、この前の『マジカル少女しるく』視た?」
瑞樹が目をキラキラさせて話しかけてきた。ここ最近、週に一度ある私の授業で、彼は必ず聞いてくる。『マジカル少女しるく』というのは、瑞樹が好きなテレビアニメで、その名の通り、魔法少女のしるくちゃんが悪いやつらと戦う話だ。
「ごめん、視てないのよ~」
放送されているのは日曜の朝で、夜型の私はその時間、だいたい夢の中にいる。
「え~。次は視るって約束したじゃん」
頬を膨らませて抗議する。可愛い。はぁ……可愛い。それしか言えない。
でも約束した覚えはない。時間があったら視てみるね、とは言ったけど。
行けたら行くね。また何か、機会があれば。そうやって、仮定法を用いて物事をあやふやにするのが、年をとるにつれてどんどん得意になっていく。そう。大人は汚い生き物なのだ。
「ごめんね~。私も忙しくて」
とりあえず、瑞樹の期待に背いてしまったことに対して謝っておく。
「え、結婚してないのに?」
この野郎。全然可愛くない。
「結婚してないから忙しいのかもしれないね~」
精神的に余裕がなくなってくるのよ~。うふふふふ。
「ふ~ん。来週は視てね!」
私の笑顔にヒビが入りそうになっていることにも気づかず、瑞樹は無邪気に言った。ふ~んってなんだ。
「はいはい。時間があったらね」
と、再び保険をかけて会話を終わらせる。
兄の政樹は、弟の話に興味がなさそうに問題集と向き合っていた。この時間は
弟の方もそろそろ授業に入らなくては。そう思い、プリントを渡そうとしたところで、
「でねでね、これ、見てほしいんだけど」
そう言って、瑞樹は一枚の写真を取り出した。そこに写っていたのは、三次元のマジカル少女しるくだった。テレビから抜け出してきたような完成度の高さに、私はその写真に見入ってしまう。
「わ、すごい!」
思わずそんな声が出てしまっていた。
ピンク色の衣装に身を包んだマジカル少女しるくこと鶴岡瑞樹。同じくピンクの髪は、おそらくウィッグだろう。持っているステッキも作り物なのだろうけれど、そこらのおもちゃよりもリアルだ。ポーズも決まっている。それに光の加減なども調整してあるのか、写真としての完成度がとても高い。素人の私でもわかるくらいに。
「でしょでしょ! 全部ママに作ってもらったの」
瑞樹は自慢気に話す。
「へぇ~」
そういえば、鶴岡家の母親はなかなか強烈な人だったな。
現役コスプレイヤーで、色々なイベントに参加しているという。旦那さんはカメラマンで、彼女のファンだ。夫婦そろって生粋のオタクだった。だからといって常識がないとか、そういうことはまったくない。普通にしっかりした大人である。
子どももがっつり影響を受けるかといえばそうでもないらしく、政樹はゲームはそこそこ好きなものの、アニメや漫画にはあまり興味がないらしい。瑞樹の方は順調にオタクの道を歩んでいるようだが……。
それにしても……。瑞樹は男の子で、シルクは女の子をターゲットにしたアニメだ。男の子が魔法少女のコスプレをするなんて、昔だったら大多数に馬鹿にされていただろう。いじめに発展していた可能性だって大いにある。
私は、別に人の趣味なんてどうでもいいじゃないか、という立場だったし、自分もどちらかといえばマジョリティ側だったからあまりそういうことは考えずに生きてきたけれど。
今は昔と比べて、胸を張って好きなものを好きと言えるようになっていると思う。時代は変わっている。少しずつ、いい方向へ。
「じゅくちょーも見てー」
私に褒められて嬉しかったのか、瑞樹は席を立ち、事務仕事をしている泉澤のところまで駆け出す。
「あー、こらこら。今は授業中だからあとにしなさい」
私の注意も意に介さず、瑞樹は嬉しそうに泉澤に写真を見せびらかす。両手を合わせて、すみません、というジェスチャーをしておく。
「おー、純情可憐だな~」「じゅんじょーかれんって何ー?」「鎌田先生に教えてもらいなさい」「はーい」という会話をして、瑞樹が戻ってくる。
さすが塾長だ。子どものコントロールが上手い。
「先生、じゅんじょーかれんってなんですかー?」
戻って来た瑞樹は、席にちょこんと座り、私に尋ねた。
「純情可憐っていうのは、私みたいな人間のことよ」
「えー、ぼく結婚できないのー? それはヤだなぁ」
「あ?」
思わず素の声が出てしまった。いけないいけない。
あと後ろでこっそり笑った兄、私は気づいたからな。宿題をいつもより二割多めに課すからな。覚悟しておけよ。
その後は、瑞樹も大人しく算数の授業を受けてくれた。
瑞樹の授業は五十分で終了。小学生以下は基本的に一コマ五十分で授業を組んでいる。
「今度は『マジカル少女しるく』視てね~」
「はいはい。時間があったらね。それじゃ、気をつけて」
たたたっと、軽やかに走っていく瑞樹を見送る。
「おまたせ。どう? どこまでいった?」
戻ってきて、兄の政樹の机を覗き込んだ。中学生なので、授業は九十分だ。もちろん、ずっと集中していられるわけではないけれど。
「半分くらいまでは」
「いいペースじゃん。それじゃあこっちは採点しときます」
すでに解き終わっている一次方程式のプリントを回収し、採点を始める。ところどころケアレスミスはあるものの、ほとんど正しく解答できている。内容はしっかり理解しているようだ。
「鶴岡兄はコスプレしないの?」
普段は鶴岡くんと読んでいるが、この時間は二人とも鶴岡くんなので、鶴岡兄と呼んでいる。
「しませんよ」
どこか寂しそうな顔で、鶴岡兄は呟くように答えた。
「どうして?」
ただ単に興味がないのだろうか。それとも……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます