第12話 自然に還れ!


「は、はい。えっと、鎌田さん、ですよね?」


 優しく、それでいて聞き取りやすい低い声だった。


「はい。そうです」


 次に何を言えばいいのかわからなくなって、二人の間に沈黙が流れてしまう。


「あ、あの、とりあえず歩きましょうか」


 水谷さんが言った。どうやら、緊張しているのは私だけではないようだ。少しだけ安心する。


 ちょっぴりお洒落で、だけどそこまで高級ではない、つまるところ、ちょうどいいイタリアンでお話をすることになった。


 といっても、何を話せばいいのだろう。


 寒くなってきましたね。


 うーん。無難すぎる。却下。


 その服、素敵ですね。


 男物の服はよくわからないし、もし安物だったら恥ずかしいので却下。


 最近はどうですか? 何かありましたか?


 ダメ。却下。私は同じ失敗は二度は繰り返さない。そもそも馴れ馴れしいだろ。


「水谷さんは、どういったお仕事をされているんですか?」


 お互いに社会人ということもあり、これに落ち着いた。


「僕は公務員です。市役所で働いています」


 ひえ~。強い!


 今まではフリーターが基本で、良くて派遣だったのに! 別に非正規雇用が悪いってわけじゃないけれど、やっぱり安定志向の人って素敵だよね。


「そうなんですね」


 上がりそうになったテンションを抑えて、あくまでも冷静に答える。


 さて。どう話を膨らませればいいんだ? どんなことをしてるか突っ込んで聞くべきか? いや、仕事の話はあまりしたくないかもしれない。仕事の話をしていたから、私の仕事も話すべきか? でも自分から話すと自己主張の強い女と思われるかもしれないな……。ただの会話なのに、どうしてこんなに疲れなきゃいけないんだろう。


「……鎌田さんは、どういったお仕事を?」


 よかった。向こうから聞いてきてくれた。


「塾講師です!」


 私はとても元気よく答えた。身を乗り出すようにして。


 あ。今、完全に仕事大好きな女みたいになった。たしかに嫌いではないけど。


「そうなんですね」


 水谷さんはちょっと引いたっぽい顔で言った。


 あああ……違うんです。そうじゃないんです。弁明したかったけど、余計に変な人みたいになりそうな気がしたのでやめておく。


「はい。大学生の時からアルバイトしていたところで、卒業してそのまま就職したんです。えっと、大学は教育学部でした」


 聞かれてもいないことを、べらべらと喋ってしまう。面接か。距離感を考えなさい、と、頭の中に住むもう一人の私が呆れてため息をついた。


 それなのに水谷さんは、


「すごいなぁ。人に何かを教えるのって、すごく難しいですよね」


 と、会話を続けてくれる。いい人かよ。


「そ、そんなことは! まあ、なくもないですけど……」


 褒められて思わず否定してしまいそうになる。


 せっかく好意的なことを言ってもらえたのに、それをちゃんと受け止めないのは失礼だと思い直す。


 行き過ぎた謙遜は嫌われるだけだ。ある程度は素直に喜んだ方がポイントも高い。立ち読みした自分磨きの本に書いてあったから間違いない。


「でもやっぱり、子どもがわからないことを教えて、わかってもらえるようにするっていうのは、とてもやりがいはありますね」


「なんか、鎌田さんって面白いですね」


「あ、よく言われます。私、面白いんですよ!」


 と、元気よく答えたところで、いや、違うだろ! 今のは謙遜すべきところだろ! とセルフツッコミを入れる。


「あはははは。おかげさまで緊張もだいぶ解けました」


「それはよかったです!」


 私はまだ緊張してるけどな!


「塾の講師をされているとおっしゃってましたが、鎌田さんはなんの科目を担当されてるんですか?」


「ふふふ。なんだと思います?」


 なんだと思います? じゃねえよ! そこは普通に答えるべきだろ!


「うーん」


 水谷さんは真面目に考えてくれている。なんて優しい人なのだろう。仏様かな?


 真っ直ぐな視線に射抜かれて、体温が上昇するのを感じる。自分の変な発言が恥ずかしかったというのもあるけどね。


「どっちかっていうと理系っぽいような気がするんですよね……」


「すごい。その通りです!」


「じゃあ、化学?」


「あー、残念。数学です」


「数学かぁ」


「どうして化学だと思ったんですか?」


「いや、白衣が似合いそうだなーと思いまして」


 と、水谷さんは照れたようにはにかんで答えた。


 あ、この人、笑うと少し幼くなるな。そんなことを考えて、思わずドキッとしてしまう。


「あ、ごめんなさい。変なこと言ってしまって。引かれちゃいました?」


 私が見とれていたのを勘違いしたらしく、水谷さんは慌てて言った。


 いいえ。惹かれました。などと気の利いたことを返せるわけもなく。


「いえ。全然大丈夫です」


 ぼそぼそと答える。


「すみません。僕、よく天然だって言われるんですよ。最近になって、それがポジティブな意味ではなく、空気が読めないことを遠回しに非難されてるんだなってことがわかってきたところです」


 水谷さんはわかりやすくしゅんとしてしまう。散歩に連れて行ってもらえなかった犬みたいだなと思った。犬を飼ったことなんてないけど。


「大丈夫です! クラスに一人はいるような、ボディタッチの激しい自称天然女に比べれば全然マシです!」


 あたし、よく天然って言われるんだよねぇ~じゃねえよ! 黙れ! 自然に還れ!


「あはは。本当に鎌田さんは面白いな」


「そ、そんなことないですよ!」


 やった。今度はちゃんと謙遜できた!


 最初に会ったときの緊張が嘘みたいに会話が弾み、気づけば夜の八時半を回っていた。


「そろそろ行きましょうか」


「はい。えっと、お会計は……」


 言いながら、私はバッグから財布を取り出す。

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