第9話 結婚っていいなぁ……
「旦那さんはたぶん、スマホゲームに熱中しているんだと思います」
「スマホゲーム?」
予想外のワードが出てきたので、思わず聞き返してしまった。
「はい」
「鎌田さん、今日もお疲れさま」
塾長の
「お疲れさまです」
泉澤
「あ、そうだ。一つだけ、聞きたいことがあるんです」
「何かな?」
恵実のことについてだった。
さっき松崎から聞かされた仮説は、どこにも矛盾がなく、私も納得するものだった。しかし、だからといって、恵実の旦那が浮気をしていないと断定することはできない。
誠実な人間だという印象はあったけれど、他人のことなんて、すべてを理解することは無理なのだ。
松崎の推理が合っているかどうかは別として、信じたい人間を信じ切ることができない状況にあるとき、人はどんな気持ちになるのだろうかと、疑問に思ったのだ。
昨日の恵実は、どうすればいいのかわからない様子だった。
問い詰める。見て見ぬふりをする。探りを入れる。
思いつく選択肢は色々あったけれど、どれも間違っている気がした。
恵実は、いい意味で女子らしくないサバサバした性格で、知りたいことがあれば、たとえ聞きづらいことでも正直に言葉にするような人間だ。
それなのに……。
――結婚って、いいことばっかじゃないよ。私も最近ちょっとね……。
昨日の恵実の悲し気な表情が脳裏に焼きついている。
私には、恵実と同じような状況に陥ったことがなかった。というかそもそも、恋愛の経験自体がない。あれ、私まで悲しくなってきたな。
「もし、奥さんが浮気をしているかもしれないとしたら、塾長はどうしますか?」
だから、他の人に聞いてみようと思った。ただそれだけだったのに。
「妻が……浮気を? まさか、そんなことが……そんな馬鹿なことがあるわけが……」
どうやら、質問する相手を間違えてしまったみたいだ。
「だから、もしもの話ですって! 塾長の奥さんは塾長のことが大好きなので大丈夫です! 絶対に」
「そうだよね。うん。それはわかってるんだ」
と、さりげなくのろける。
「しかし、仮定の話だとしても、こう、つらいんだ。妻が、私以外の男にあの笑顔を向けていることを想像するだけで、心臓発作が――」
「あ、じゃあもう大丈夫です。今度こそお疲れさまでしたー」
左胸を抑えてうずくまる泉澤に背を向けて、私は帰路についた。
時刻は二十二時すぎ。塾から家までは自転車で十分ほど。
途中で深夜まで開いているスーパーに寄り、安くなったお惣菜を買って帰ると、時刻はだいたい二十三時。
ご飯は、炊くか、冷凍してあったものを解凍するか。合間に洗濯やお風呂掃除をしながら、食事の準備。
パソコンでネットサーフィンをしつつ、効率よくすべきことを詰め込んでいく。夜中の三時までには布団に入り、一人で寂しく眠る。
私は、大学を卒業すると同時に一人暮らしを始めた。実家までは二駅ほどだから、あまりする意味もないような気もするけれど、精神的に自立したかったのだ。一人で全部のことをするのは意外と大変で、親のありがたみがわかった。
そしてそれ以上に、家に一人でいるというのは、意外と寂しいもので。
結婚っていいなぁ……。
そんな気持ちは年々膨らんでいる。
恵実の悩みについて松崎に相談した次の日。つまり、彼女と飲んでから二日後、私は電話をかけた。
私が起きるのは基本的に午前十時ごろだ。塾の講師という職業の都合上、どうしても生活は夜型になってしまう。
恵実がちょうど昼休みのタイミングでコールする。
〈もしもし〉
恵実の声は、心なしかこわばっていた。事前に、旦那さんの件について話す、とメッセージを送っていた。
私は松崎の推理を彼女に話して聞かせる。
浮気ではないという確証はないけれど、旦那さんはスマホゲームにはまっていて、それなりのお金を使っている可能性がある。
隠したカードというのは、ゲームに課金するためのプリペイドカードではないか。
月曜日にスマホをいじらないのは、ギルドポイントの集計が行われているためではないか。
帰りに買ってきた大きな箱は、そのゲームの関連グッズなのではないか。
一つずつの説得力は低いけれど、まとめるといかにもそれらしく思えてくる。
〈スマホゲームかぁ。その発想はなかったな〉
恵実の声は、幾分か柔らかくなっていた。少しでも安心してくれたのならよかった。
「私も思いつかなかったんだけど、うちの生徒がね」
〈ちょ、あんた、生徒に話したの?〉
「別にいいじゃない。こうして解決の糸口がつかめたかもしれないんだから」
〈まあ、いいけどね。とりあえず、ちゃんと旦那と話してみるよ〉
「頑張って。心臓発作起こさないようにね」
〈心臓発作?〉
「なんでもない。こっちの話」
〈ああ、うん。そういえば玲央、あれ、明日だったよね?〉
「へ? あれって?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます