第8話 探偵モード


「私に何か、隠し事をしてるような気がするんだよね」


 隠し事……。


「サプライズとかじゃない?」


 数回しか会ったことはないけれど、恵実の旦那さんはとてもユーモアがある人だった。誕生日や結婚記念日に、サプライズで何かをしてくれるようなイメージもなくはない。


「いや、あれは後ろめたいことを隠してる顔だった」


 恵実の勘は昔から鋭かった。彼女がそう言うのであれば、その可能性が高いのだろう。


「後ろめたいことって……」


 彼女の表情を見るに、具体的な部分も予想はできてしまっているらしかった。


 なんとなく私も察していたけれど、念のため確認してみる。


「浮気、とか?」


 恵実の顔が泣きそうに歪んだ。


「うん、もしかすると……浮気、してるのかも」


 いつも明るい彼女の弱々しい表情を、久しぶりに見た気がした。彼女もかなり酔っていたのだと思う。




「それだけだと、なんとも言えないですよね」


 松崎は私の話を聞いて首をひねる。


「そうだよね~」


 ここまでであれば、ただの雑談で終わる。友人が浮気されているかもしれないという情報を、自分の生徒に流す塾講師。……言葉にすると最低だな。


 しかし、なんの考えもなしに、私は松崎にこの話をしたわけではない。


 松崎は謎を解くことが得意なのだ。


 ミステリー小説をよく読むらしい。彼自身も頭の回転が速く、与えられた事実から、誰もたどり着けなかった真相を言い当ててしまう。今までも何度か、塾で不思議な出来事が起こったときに、彼の推理に助けられたことがある。


 しかし、今回はさすがに難しいのではないかという気もする。浮気をしていることを証明するのではなく、浮気をしていないことを証明しなければならないのだ。


「具体的に、先生の友達が旦那さんのことを怪しいと思ったのはどうしてなんですか?」


 松崎が尋ねた。すっかり探偵モードだ。


「その友達――面倒だから名前も出しちゃうね。恵実っていうんだけど、恵実の前で旦那がよくスマホを隠すんだって。恵実は、見られたくないメッセージがあるからじゃないかって思ってるらしいの」


「それはたしかに、怪しいかもしれませんね」


 松崎は神妙にうなずく。


「でも、それだけで浮気を疑うものなんでしょうか」


「う~ん。微妙なところだよね」


 たしかに、自分のプライベートは他人に見せたくない。しかし、不審に思われるというリスクを取ってまで、自分の妻に見せたくないものがあるというのは、やはり怪しいような気もする。


 私は彼氏すらいたことがないので、一般的なイメージでしか考えられないけれど。


「あ、でもね、恵実にも決定的だと思った出来事があるらしくて、旦那さんは恵実の前で、何かカード状のものを隠したらしいのよ」


「カード状のもの……」


 松崎は考え込むように、指を顎に当てる。


「うん。恵実は、それがキャバ嬢の名刺か何かじゃないかって思ってるらしいんだけど」


 恵実の『今、何か隠さなかった?』という問いに対して、旦那は『いや。なんでもない』と歯切れが悪そうに返したという。恵実がそう思い込んでるだけの可能性もあるけれど。


 キャバ嬢の名刺なんてよくピンポイントで思いついたな、と思うが、じゃあ配偶者にも隠さなくてはならないカード状の物って、他に何があるんだろう……と考えると、何も浮かんでこないのも事実だ。


「なるほど。それが本当に別の女性に関わることかどうかはわかりませんが、奥さんに見せられないようなものであることは間違いないみたいですね」


「そうみたい。あと、最近節約するようになったって。旦那さん、自転車が趣味だったらしいんだけど、活動頻度も減ったらしいんだよね。その代わり、ずっとスマホを気にしてるんだってさ」


「恵実さんは、旦那さんがその節約した分のお金をキャバ嬢につぎ込んでいると疑っているわけですか?」


 話が早い。さすがだ。


「まあ。そこまでは言ってなかったけど、そういうことなんだと思う」


 恵実の不安そうな表情が脳裏に浮かぶ。旦那を信じたい気持ちと疑う気持ちがごちゃごちゃになってしまっているような、苦悩の表情。


「今の話だけ聞くと、明らかに怪しいですね……」


 とはいえ、わかっているのは怪しいということだけだ。それも、恵実の主観的に見聞きした出来事を並べただけ。先入観もないとは言い切れない。


 さすがに松崎も、現時点での情報だけでは何も仮説は立てられないようだ。


「あ、でもね――」


 私はもう一つ、恵実が言っていたことを思い出した。


「旦那さん、月曜日だけはスマホを見ないらしいの」


 これが手掛かりになるかどうかはわからない。


「月曜日だけ……」


 松崎が呟く。何かにピンときたようだ。思い当たることがあるのだろうか。


 月曜日はスマホを気にしている様子がないからといって、浮気を否定するだけの材料にはならない。


 旦那さんは浮気をしているけど、月曜日は相手の女性が忙しいだけなのではないか、という推理も成り立ってしまう。


「それとこの前、旦那さんが大きめの箱を持って帰って来たんだって。ビニール袋に入ってたから、外側からはよく見えなかったみたいなんだけど、恵実が『それ、何?』って聞いたら、慌てて『何でもない』って答えて、隠すようにこそこそしてたらしいの」


 恵実の悲しそうな顔が脳裏をよぎる。信じたいけれど、どうしても疑念が生じてしまうというような、苦悶の表情。


 いつもお世話になっている分、今回は私がどうにかしてあげたい。


「大きな箱、ですか……」


「うん。浮気相手に貢いでるんじゃないかって言ってた」


「……いえ。それはたぶん、違うと思います」


「え?」


 違う?


「先生のお友達の旦那さんは、浮気をしているわけではありません」


「本当?」


 今の私の話だけでわかるとは思っていなかったので、とても驚いた。少しでもヒントになればと思って、半ばダメ元で聞いてみたのだけれど……。


「たぶん……ですけど」


 私が大げさに反応してしまったからだろう。松崎は少し自信がなさそうに付け足した。


「ああ、うん。別に間違ってても大丈夫。で、どう推理したの?」


「結論から言うと、おそらく浮気ではないですし、他の特定の女性との関わりもないはずです。でも、早めに友人に伝えてあげた方がいいと思います」


「どうして?」


 早めに、って……浮気ではないが、何か別の問題があるということだろうか。


「旦那さんはたぶん――」


 私は松崎の口元に注目し、次の言葉を待つ。

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