第6話 初めての生徒


 彼は、鶴岡のカバンについているキーホルダーを指さしていた。


 水色の髪で左目を隠している、中性的な容姿のキャラクター。杖のような何かを持っているから、魔法使いっぽい。


「あ、これ? メビウスのアクリルキーホルダー。たしかワルキューレのもあったよ」


「どこで売ってた?」


 米原は食い入るようにキーホルダーを見つめる。


「駅前のゲームショップ。アクキーだけじゃなくて、缶バッジとかタペストリーも売ってたし、こんぐらいのフィギュアもあった」


 鶴岡は両手で教科書くらいのサイズの長方形を作る。


「おおお! 行くっきゃねえな」


 米原は興奮した様子で、坂本の方へ顔を向ける。


「えー。私はグッズ買うなら課金してガチャかな」


 ところが坂本はあまり乗り気ではないようだ。


「お前、ホントわかってねえなぁ。スタスタはこのグッズのクオリティがいいんだろ」


「元のイラストがいいからでしょ。なら、ゲーム内で手に入れればいいじゃん」


「メビウスもワルキューレも星七の激レアキャラだぞ。無理に決まってんだろ。ってか、俺のところは親が課金を許してくれねえんだよ」


 スマホゲームの多くは、基本的には無料だが、課金アイテムによって有利に進めることができるという形式をとっている。スタスタも例外ではない。


「私もちょっと前まではダメだったんだけど、お父さんにスタスタやらせてみたら、見事にはまっちゃってさ。月に三千円までならいいよってことになったんだよね」


「マジでか! 俺も父さんにやらせてみるわ!」


「いや、流星のところはおばさんが許してくれないでしょ。なんならグッズも許してもらえそうになくない?」


 と、鶴岡が横から突っ込む。


 何度かあったことがある米原の母親は、たしかに厳しい人だった。私もその通りだと思う。


「あー、そうだな……」


 わかりやすく米原が沈む。


「はいはい、三人とも、宿題はいいの? それに、もう次の授業が始まるから静かにね」


 はーい、と気の抜けた返事が三つ返ってきた。


 時間になり、松崎の授業が始まる。


 米原たちは大人しく学校の宿題をしている。授業中もそのくらい集中してほしかったなぁ……。


「さてと。今日はどうする?」


「じゃあ、前半は数学でお願いします。後半は、また考えます」


 私が尋ねると、松崎は答えた。


 この時間は一対一の完全個別指導で、彼の授業は私に一任されている。そのため、本人が望む科目の授業をするようにしていた。


「ん。共通テスト対策?」


「いえ。二次でお願いします。問題集持ってきたんで、それで」


「了解」


 一人しか見ていないからといって、決して楽なわけではない。高校生、それも入試の問題ともなると、難易度は高く、教える側も大変だ。


 答えだけがわかっていても意味がない。答えを導く過程まで完璧に理解していなければ、教えたことにはならないのだ。その場ですぐに解けるような、小・中学生の簡単な問題とはわけが違う。


 松崎が志望しているのは、愛知国立大学の工学部。一般的に難関校とされている大学だった。


 松崎は、基礎ができている分野では、かなり難しい応用問題も解ける。しかし、基礎的な部分が固まりきっていなかったり、忘れてしまったりしているところもある。土台が不安定なのだ。


 一、二年生のときにもそれなりに頑張ってはいたが、ガチガチに勉強漬けというわけでもなかった。知識の定着が中途半端で、なんとなく理解している部分が多くあった。


 とはいえ、受験本番まではまだ時間はある。本人も、二年生の三学期あたりから、そろそろ勉強に本腰を入れなければ、という自覚が芽生えたのか、授業数を増やしてほしいと言ってきた。


 それに、松崎は私が教えたことをすぐに吸収してくれる。若いっていいな。


 受験本番までにどれだけ多くの知識を身に着けられるかが勝負だ。


 今のところ、合格できるかどうかは五分五分といったところだろうか。


 個人的にも、彼には合格をつかみ取ってほしいと思っている。


 松崎は、私が塾の講師を始めたときから教えていた生徒であるため、思い入れが強いのだ。


 初めての授業は、私が大学二年生、松崎が小学四年生のとき。


 大人しい子、というのが、松崎柊の第一印象だった。


 言われたことをしっかりやる。集中力も高く、たまにわからないことがでてきても、少し教えるだけで理解してしまう。彼はそんな小学生だった。


 ただ、表情が乏しく、どこか無理をしているように私は感じた。勉強に関してというわけではない。もっと根本的なところで。


 あれから八年もの月日が経過していて、今ではもう、色々な表情を見せてくれるようになったけれど。


 運動会のことを楽しそうに話してくれたり、テストで満点を取ったことを喜びながら報告してくれたり。


 高校に合格したときは嬉しかったなぁ。


 だけどやっぱり進学校だから、周りも頭がいい子ばかりで、テストで見たことのない順位を取ったときは少し落ち込んでたっけ。


 まるで親のように、彼との思い出を振り返っていると――


「先生」


 声をかけられて、慌てて振り向く。

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