第5話 彼氏を召喚して結婚するゲームとかないかな……


 私はプリントの採点に戻る。


「先生、また違うー」


 五分ほど経って、坂本が手を上げて言った。不満そうな表情でプリントをひらひらさせている。


「えー? 最後に三百六十分の中心角もかけた?」


「かけたよー」


「計算ミスはない?」


「確認した。電卓も使ったし間違いないと思う」


 電卓を表示させたスマホを私に見せながら彼女は言う。最近の子は文明の利器を使うのが上手いなぁ……って、そうじゃない。授業中にスマホをいじるな。……まあ、確認に使うくらいならいいか。


 坂本の書いた途中式を眺める。うん。途中までは問題なし。……あー、そこか。


「周の長さなんだから、この部分を足さなきゃ、弧の長さになっちゃうでしょ」


 扇形の直線の部分を示しながら教える。


「あ、そっか!」


 坂本は能天気に笑いながら、計算式を書き足して答えを導いた。


「はい。やっと正解」


 頼むから学校のテストとか入試で同じ間違いをしてくれるなよ……と念じながら赤ペンで丸をつける。


 授業終了まであと三十分。それなりに静かに、三人はプリントを進めていく。私は生徒たちの手元を見つつ、適度にアドバイスを加えていく。


 手が止まっている場合でも、むやみに声をかけたりはしない。思考を進めているのか、完全に行き詰まっているのか、そこをしっかりと見極める。


 この仕事も八年目だ。始めた当初と比べて、教え方はもちろん、生徒への接し方なんかもかなり上手くなった。と、自分では思っている。


 プリントを終わらせた米原が居眠りを始めた。彼は解くスピードが速いが、その分ミスも多い。採点しておいて、最後に起こして間違えた部分だけ復習させよう。


 鶴岡のペンが止まっているのを見つけて、助言を加える。このパターンは……展開図を書けば彼なら解けるだろう。鶴岡はあまり自分から質問してこないタイプなので、適度に見に行かなくてはならない。


 授業が終わる十分前に坂本が飽きて落書きを始めた。まあ、前半は集中していたし、十分くらいならいいか。来週の授業で、円の周の長さと面積の求め方の公式を覚えているか確かめなくては……。彼女の授業評価シートにメモしておく。


 さて、そろそろ米原を起こすか。


「米原くん。起きて」と声をかけると「あと五分だけ……」と寝ぼけた声が返ってきた。あと五分経ったら授業が終わるわ!


 しつこく声をかけてなんとか目覚めさせ、間違ったところを確認して直させていると、時計が授業終了の時刻を示した。


「はい、それじゃここまで」


 中学生三人組の授業が終了した。


「っしゃー終わったー」


「……疲れた」


「政樹、スタスタしようぜ!」


「うん!」


 米原と鶴岡が立ち上がり、バッグからスマートフォンを取り出す。


 授業が終わった瞬間元気になりやがって……。


「あ、私もやるー」


 坂本も追随する。授業中に米原とくだらない言い争いをしていたことなんて忘れたかのように、彼の後ろについていく。


 ちなみにスタスタというのは、インスタントモンスターというスマホのゲームだ。若者を中心に爆発的に流行していて、最近ではテレビのCMでも見るようになった。もはや社会現象と言ってもいいだろう。私は流行に疎く、興味もないため、モンスターを召喚して戦うゲームということしか知らない。


 世間ではスマホゲームがすっかり流行っている。しかし私は何もやっていない。何度か人気のゲームをインストールしてみたことはあるけれど、最初のチュートリアルでついていけなくなってしまうのだ。子どもを相手にする職業ということもあり、話題作りのために何かやってみようか……とも思うが、どうせすぐ飽きてしまう。


 彼氏を召喚して結婚するゲームとかないかな……。ないな。


 彼らは、スキルがどうだとか、ガチャがどうだとか、などとやかましく会話をしている。


「こらこら。休み時間だからゲームは別に構わないけど、自習してる人もいるんだから静かにね」


 三人分の授業評価シートを書きながら、私は注意する。


「俺なら別に大丈夫ですよ」


 机と椅子が並んだ自習スペースに座って問題集を解いている松崎まつざきしゅうが言った。次の時間は私が彼の授業を担当する。松崎は高校三年生、つまり受験生である。今は三ヶ月後に本番を控えた大事な時期だ。


「さっすが柊! わかってるね」


 米原が四歳年上の先輩に向けて親指を立てる。しかも呼び捨てだし。相変わらず生意気だ。米原も小学生のときからこの塾に通っていて、彼と松崎は仲の良い兄弟のような関係になっている。


「あー、そっか。今日月曜じゃん。もうすぐメンテナンス始まる」


 鶴岡がスマホの画面を見ながら嘆いている。


 先週も同じような光景を見た気がする。


 月曜日の夜は、ギルドポイントの集計のためメンテナンスをすることになっており、スタスタの一部のモードが遊べなくなるらしい。毎週彼らと接しているからか、私もそこだけ覚えてしまった。ギルドもポイントもよくわからないけれど。


「マジかー。ギルドバトル用のスタミナ余っちゃうよ。授業中にやっておけばよかった……」


 坂本がいかにも残念そうに言った。さっき数学の問題を間違えたとにその表情をしてほしかったなぁ。


 あと授業中はダメだからな。


「ん? 政樹、それってもしかして!」


 突然、米原が興奮したように立ち上がる。

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