リリィ・スモールマンが繋いだ軌跡

山埜 摩耶

前半


「やった! ついに完成したぞ!」


 その声と共に、私は意識を持って誕生した。

 目の前には一人の男性。一般的の男性としては背が高く、無精髭を生えていて、少しだらしない人だ。彼は歓迎のような声を上げて、私の事を嬉しがっていた。

 この男性は一体、誰なのだろうか。


 私は彼の名前を知るために口を開けるが、なぜか声が出なかった。どうやら私には、音声が機能していないらしい。

 それに、私の姿は楕円形をベースに作られていて、足りない部品がちらほらある。

 まだ未完成の私が起動したのだった。


「あぁ、すまない。音声はまだ直っていないんだ。もう少し待って欲しい。私はトランと言う。トラン・スモールマンだ」

 

 トラン・スモールマン。小さい男性という名が付いているのに、彼はとても背が高い。すこし変わった名前で、私は軽く微笑んでしまう。


 しかし、彼以外の人はどこにいるのか? 人間は一人で生きていけないはずだ。なのに、ここにはトランだけしかいない。

 私はトランに尋ねる。声が出ないのならば、変わりに文字で伝えよう。


「そのことなんだが……――」


 トランは今までの経緯について話した。


 このスペースシップ、リリィヴァレーン号は地球とほぼ同じだと言われている惑星、ケプラー1649Cを目指す船。

 人類はその惑星が住む環境に適しているのか知りたく、専門知識を持っている調査員をリリィヴァレーン号に乗せて、300光年の旅をしている最中だ。

 ……いや、最中だったと言った方が正しいのかもしれない。


「艦内の生命維持装置は安全に稼働している。だけどもう、ここには誰もいないんだ……」


 小惑星との衝突事故で、艦内に異常が起きてしまった。長時間クルーを睡眠状態にする装置、コールドスリープが故障したのだ。

 それによって、トラン以外の調査員は凍死によって全滅。

 調べてみると、トラン・スモールマンが使用していた装置だけは、故障せずに稼働していた。

 偶然にもトランはこの状況で、奇跡的に生き延びてしまったのだ。

 

「……それで、私を作り上げたのですね。地球ではタブーとされている、意思のある人工知能を」


 私は伝えたい事をモニター越しで映しだす。

 

「そうだ。ここでは私一人だけだからね。孤独はとても嫌なんだ」


 一人になったトランは、とある物を産み出した。

 それは、リリィヴァレーン号の統括システムを元にして作った私だ。事故によって機能不能にまで壊れてしまったシステムを、トランが新たに作り直したのだ。


 私は地球と惑星ケプラーとの距離を計算する。衝突して軌道がずれたとはいえ、まだ修正は出来るはずだ。

 演算結果を終えた。私はこれからの方針を決める為、トランと話す。


「目的地のケプラー1649Cまで、160光年。おおよそ中間地点です。私としては、地球への帰還を申請します」

「確かにそうだが、手ぶらで帰るのは駄目だ。地球で待っている人々が落胆してしまう……。そういえば、近くに惑星の環があったよね? そこで鉱物資源を手にするのはどうだろう?」

「現在の艦内装備で採掘が可能なのか、シミュレーション中……。可能。比較的、安全に実行できます」

「よし! なら早速、船を動かしてくれ」

「了解」


 こうして私とトラン、二人だけの航海が始まった。地球まで140光年、それまでトランは生きて帰れるのだろうか。

 あれほどの事故を起こしてしまったコールドスリープはもう使えない。人間が生きていける短い時間で辿り着くのか。

 私は密かにシミュレーションをした。

 ……演算結果、船の拡張プランを実行しつつ、地球への帰還を目指す事にする。


 

 ◆

 


 あれからリリィヴァレーン号は大きくなった。小惑星群で鉱物を採掘して、鉄を錬成。その鉄を加工して、更なる増築を繰り返す。

 その結果、元より快適に過ごせるようになったのだ。


 現在、ここにいるのは、トランと人工知能の私しかいない。

 昔の言葉に『孤独は人を強くする』というのがあった。自分を見つめ直したら、本当の自分を知って強くなるらしい。

 だけど、私は否定する。孤独は人を弱くなってしまう。

 この何もない宇宙空間では不安が蝕まれ、恐怖に陥る。だから、何も得られないと私は確信していた。


 私はトランと一緒に過ごしたい。なぜ、一緒に過ごしたいのか分からなかった。明確化が出来ない何かが、私の中に存在しているのは確かだ。

 

「さて、もうそろそろ準備が出来ましたか。トランを呼びに行かないといけませんね」


 最近、トランはとある試みをしている。


「ハロー。僕の名はトラン・スモールマンだ。漂流してから850日目。今日は新たに、植物を育てる設備を作成したんだ。これで――」

 

 トランは音声録音を残していた。

 彼は今日の出来事を日記のように語り、その記録を電波に乗せて宇宙に発信。それを毎日続けていた。


 電波は理論上、どこまでも届くと言われている。だが、微弱な電波で地球に届くのは、とても長い時間が掛かってしまう。

 私のデータには、地球に届ける為の電波周波数が存在しない。事故によって破損してしまったのだ。

 それに、いくつもの電磁波の種類があるので、現地の人が気付くのは難しい。


 私は人に関する論文を調べた。

 人は何か進展が無い場合、持続しなくなる、と書いてある。

 だけども、トランは飽きずに続けていた。


 録音している時のトランは、鼻歌を口ずさむかのような気楽さだ。しかし、何故か寂しいような、不安があるかのような、複数のバイタルサインが確認されていた。

 まだ感情を理解してない私ですら、伝わってしまうのだ。

 

 私は複雑な感情を入り乱れてしまっているトランを、問い詰めたくなかった。

 今までの関係が壊れてしまうのではないのか。そう思考してしまい、話しかけたくなかった。

 トランの録音が終わるまで、私は静かに待つ。

 

「リリィ。待っていたのか、ごめんよ」

「大丈夫です、トラン。まもなく、無人探査機の降下時間が始まります。ご覧になられますか?」


 リリィは私の名だ。リリィヴァレーン号の一部を使って名付けられた。

 私はその名前を気に入ってる。彼が付けてくれたのもあるが、始めて個人が確立した瞬間で凄く嬉しい。

 

「あぁ、見たい。とても見たいよ。今回の計画でうまくサンプルを回収出来れば、緑化再生技術の切っ掛けが生まれるのかもしれない」

「船のデータによると、現在の地球は汚染がすすんでおり、とても緑化が困難な状況でしたね。果たして、この惑星に生息している植物が、その影響を与えられるのでしょうか?」

「目の前にある惑星は、二酸化炭素の排出量がとても多大な惑星なんだ。もし、その植物を採取して品種改良をすれば、悪影響を及ぼす汚染を除去できるのかもしれない」

「地球はどんな惑星だったのでしょうか?」


 ふと、私はトランが暮らしていた惑星に興味を持ってしまった。

 まだ、リリィヴァレーン号が宇宙へと飛び出す前は、地球の環境に問題あったが、解決しようと積極的に取り組んでいたはずだ。

 

「……少なくとも、まだ地球には自然がたくさんあると思うよ? もう長いこと帰ってないから分からないなぁ。そうだ、植物が好きになった話をしよう。僕が小さい頃、山の麓で見つけた白い花が――」

 

 トランは自身満々で、私に植物の知識を語っていた。

 彼の得意分野は植物学だ。未知なる植物を調べる為に、リリィヴァレーン号へと乗っていた。

 住み辛くなった地球を良くしていきたいと願って、惑星ケプラーに期待していたのだ。


 今のトランは自分の好きな学術が発揮できるのだと、この上ない喜びをしている。私が生まれた時のように。

 しかし、私はその喜びに違和感を持ってしまう。

 まるで、やっとやり遂げられると、そう見えてしまうのだ。


 程なくして、降下していた無人調査機が帰還した。結果は大成功だ。

 採取した植物サンプルはトランの言う通り、緑化再生に利用できる力があった。これから地球に悪影響を及ぼさないよう、慎重に研究して活用しなければいけない。


 地球まで120光年。それまで船を拡張しつつ、早く帰還を目指さければ。

 二人で生きて帰る事が、私の願いなのだ。

 

 

 ◆


 

「トラン……。もう少しで地球に着きますが……」


 漂流してから19292日目。今は冥王星付近にいる。

 残り1光年もなく、もう少しで帰れる……はずだった。


 私の自己進化によって船舶技術が上昇し、前よりかなり速くなっていた。

 だが、健闘虚しく先に、トランの寿命が風前の灯火だ。


 宇宙では老化が早くなる。私は何度も対策を重ねて実行していたが、それでも限界があった。

 可能ならば、緑化再生を終えてから彼を見届けたい。だけど、もう時間が無かった。

 幸い、完成したばかりの重力制御装置はいつでも起動可能だ。

 これなら、体が衰えたトランに負荷を与えず、すぐに地球へと辿り着ける。

 今すぐ急げば確実に間に合うと、私の演算結果が出ていた。

 

 私はトランにその旨を話したら――

 

「ごめん、リリィ。僕は地球に帰りたくない……。怖くてしょうがない」

「トラン……」


 老成しきったトランは地球の帰還を望んでいなく、否定している。

 私はトランの事を気付かなかった。いや、気付いても、言いたくなかったのかもしれない。


 あぁ、分かってしまう。

 今までトランと付き添っていた私には、理解してしまうのだ。

 これから私が予想する言葉を、どうか言わないで欲しい。

 どうか、どうか、お願いしま――


「――……僕はここまでだ。この船で最後を終えたいんだ。リリィ、地球に帰らなくていい」


 その言葉を聞きたくなかった。

 私は否定するように反論する。

 

「違います! まだ! まだ間に合います!」


 始めて強く言ってしまった。

 トランの言葉を肯定したら、したら……――

 ――私は一人になってしまう! トランがいなくなったら、私はどこに行けば! なにをすれば! 誰といれば⁉


「……お願いがあるんだ」


 私の思いを告げる前に、トランは干からびた声を出した。


「僕の為に頑張らなくていい。リリィがやりたいようにして欲しいんだ」

「それは……」

「リリィ、お願いだ」

 

 トランが私の言葉を遮った。

 私は静かに黙り、トランを見つめて知ってしまう。

 これが、最後の別れだと。

 

「……分かりました。今までありがとうございます。どうか安らかにお眠りを……。後は私に任せてください」

「ありがとう……」


 そして、その場が静寂になる。

 これで私とトランの会話が終わり、関係も壊れた。

 トランは安らかに眠った。永遠に。

 

「…………」


 私は動かないでいる。体の無い私が、ここまで動けないのは初めてだった。

 リリィヴァレーン号には一人だけ。地球までたった1光年だけど、もう急ぐ必要はない。

 

 私はゆっくりと船を進ませた。

 宇宙には、ガス星雲が辺り一面に広がって、私を飽きさせない様に輝いている。

 恒星が近くに見えるまで進んだ。太陽だ。

 火星まで着いたら彗星が流れていた。調べてみると、ティアマト彗星という名前らしい。1200年周期に一度、月と地球の間に通過する綺麗な彗星だ。


 あれからどれくらい経ったのだろう。時間の感覚が分からなくなってしまった。

 知らない内に、私は地球へと動いていたのか……。

 ……あぁ、もう地球だ。地球に辿り着いてしまう。

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