突発的短編集

nira_kana kingdom

不変

『世の中に変わらないものはない。歴史、文化、生物、地形、大気、水の循環、季節、人の心に至るまで、全てのものは常に変化する。始まりがあるものには終わりがある。それは周知の事実であろう。しかし、人々はこれに抗おうとする。醜くも限りある"生"に執着する。誰もが一度は変わらないことを望む。でも、それは不可能だ。諸行無常とはよく言ったものだ。世の中には変化に弱いモノで溢れている。流行りの音楽やファッション、話題の有名人……、1年経つ頃にはその名前すら記憶の彼方だ。今、私達が身に付けているもや、趣味で集めているコレクションもなくなる。モノも友人も家族も知らない人も動物も植物も……、自分自身でさえも、死んだら何も残らない。何て無駄な人生なんだ……、どうせ全部無くなるのなら、私達がこれまでやってきた行動に本質的な意味はないのではないかという空虚に囚われる。それと同時に自分のレーゾンデートルに懐疑的になる。実際そう思う人も多いだろう。でも、これが現実だ。世は儚くも時間は流れる。全員砂時計が少しずつ減っていくように命を燃やしている。物事は変化し続け、留まることを知らない。私達はただ、生きることしか赦されていない。だからといって絶望の淵に佇む訳にもいかない。とにかく、この命有る限り生きねばならない。時の流れに身を任せるも良し、己で道を切り開くのも良し、他人に盲信するのも良し。"生"に仮初めの意味を……』


「コラァッ!吉田ァ!授業中に何を書いてるんだ!」


教壇から響く先生の怒号を聞いて、吉田は体を震わせた。どうやら、物書きに没頭しすぎて、当てられたことに気付かなかったみたいだ。クラスの皆が彼に好奇の視線を向けた。先生はズカズカと吉田の席に歩み寄り、彼のノートを取り上げた。先生はノートを空中に掲げ、激しく揺さぶりながら彼に檄を飛ばす。


「いいかァ!お前ももうすぐ大学受験なんだ!!こんなくだらんもの書くぐらいなら、真面目に授業聞きやがれッ!」


そう言うと先生は、吉田のノートをビリビリに破いてゴミ箱に投げ捨ててしまった。彼は、信じられないという目でその光景を凝視した。すると、どこからともなく「クスクス」と嘲笑の声が聞こえた。吉田はこの時、初めて自分が馬鹿にされていることに気付いた。彼は込み上げる怒りを抑えるのに必死だった。下唇を噛みしめ、震える拳を机の下に隠した。そのうち、吉田は恥ずかしさに耐えられなくなり、逃げるように教室から飛び出した。


『悔しかったのだ、彼は。自分の文章や行動を否定されたからではない。理不尽に己を追い詰める世の中が悔しかった。勉強、スポーツ、仕事を真面目に取り組み、集団文化を重んじ、上の思い通りに動く無個性人間製造国家の日本が憎かった。権力がのさばり、反抗も抵抗も悪と断定される。表現も不自由、持つ者が持たざる者から平気で奪い、弱者は淘汰される。一般的な幸福(金を生む、結婚する、家庭を持つ)を強要し、夢や目標を蔑み否定する。そのくせ、上手くいくとすぐに手のひらを返す。「何だこの世界は?」と問いかけたくなる。要するに、吉田は現実から逃げ出した。世間一般では、現実逃避せずに努力することが大切だ。でも、「本当にそうだろうか?」と吉田は思っていた。必死に努力して手に入れた功績、名誉、富、権力、これらは必ずいつかは失われる。もし、今世界が終わるのだとしたら、皆が気付くのではないか……。「私達のやっていることは無駄でした」と。吉田のしていることは単なる自己防衛なのだろうか?言い訳なのだろうか?答えは簡単……、「人による」だ。他の人にとって、世の中はちょうどいい広さなのかもしれない。しかし、彼の場合世界はあまりにも狭すぎた。刻一刻と流れる時間、絶えず変化する世界、敷かれたレールの上を進み続けるクラスメイト。全てを点と点で繋いだ時、目の前が急速に色褪せていくのを感じた。物事は時間に逆らえない。きっとそうだ、そうなのだ!』


吉田は発狂しながら廊下を走り回った。力の限り叫び、怒ったり、泣いたり、笑ったりした。ブンブンと腕を回し、脚を大きく振り、できるだけ大振りな動作にした。こんな吉田の奇怪な行動も、100年、200年経てば誰の記憶にも残らないはずだ。吉田は内に秘めし本音を叫んだ。


「あんまりだ!最低な世の中よ吹き飛んじまえ!」


その時、吉田は眼前に非常階段の扉があることに気付いた。『しまった!』と思った時にはもう遅かった。彼は思いっきりドアと激突し、その向こう側--すなわち、外に放り出された。倒れた拍子に錆びた手摺にぶつかり、そこからメキメキっと亀裂が入った。手摺は崩壊し、ドアごと彼は空中に投げ出された。


「ここは4階、もはや助かる道はない……。もうダメだ……」


そう思った時、吉田はあることを思い出した。


『4年前、吉田は自宅で親友と対談していた。雰囲気を出すために、部屋の明かりを消し、カーテンを閉めて、蝋燭1本を部屋の中央に立てた。ゆらぐ火を見つめながら、2人は至上の時間を過ごした。ぼんやりと見える親友に吉田は意気揚々と語りかけた。


「なあ、お前は世の中に変化しないものがあると思うか?」


「そうだな……、数学とか化学とかそういうものなんかじゃないか?実際に英語の参考書にも不変の真理と書いてあるからなあ」


親友は間髪入れずにこう答えた。しかし、吉田はまるでその答えを待ってましたとばかりに親友に畳み掛けた。


「フフフ……、皆同じ事言うぜ。でも、考えてみろよ、もし数学や化学に間違いがあったとしたら、公式や化学式は変化する……。そうだろ?」


吉田は勝ったと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべた。しかし、親友は臆するでも、考え込むでもなく、淡々と返した。その言葉は吉田にとって印象深く、今でも鮮明に思い出していた。


「そうか……、お前は物事が永遠に変わらないことを"不変"と思っているのか。だが、永遠なんてものはない。宇宙にも始まりがある。始まりがあるということは、終わりがあることを指し示す。お前の言う通り、これは変化している。時間の流れる限りその真理は変わらん。でも、よく見てみろ、人々を。彼等は一体何を指して"不変"と言うのか。これは完全な個人の見解にすぎないが、1つだけ例示すると、を"不変"というのかもしれない。世の中に変化しないものは確かにないが、人々はそれとに美しさを見いだす。変わらないことへの憧れ、願望。それこそが"不変"。だから、"不変"というのはそれ自体ではなくて、そういうものへの美的感覚を言っているのかもしれないよね。それにもう1つだけ付け加えると、"死"というものは"不変"かもしれない。それは、人に恐怖、救い、憎しみ、ありがたみ、虚無……、様々な感情を植え付ける。だが、反対に死で成し遂げられるものもある。そこに人々は美しさを見つける。死んだという事実すなわちというものをね」』


吉田は当初、親友の言っている意味が分からなかったし、理解できなかった。日々、苦労しながらこの言葉を噛みしめているが、納得のいく答えは未だに出ていなかった。それが、どうだ。今、この瞬間彼は彼なりの真理に辿り着いた。


「やはり、奴の言っていたことは正しかったのかもしれない。そう考えれば納得できることも多い」


吉田は落下しながらそう思った。


「そうだ……、俺が死ぬことによって"不変"が生まれる。俺の言っていることは正しかったと証明できる。やった……、やってやったんだ俺は!長年の苦労は決して無駄ではなかった。ありがとう、友よ。俺は大切なことに気付けた。死を受け入れよう」


吉田はバッと両手を広げた。どんどん加速し、地面に近づいた。そして、地面に着こうとした瞬間、彼はふと思った。


「待てよ……、俺が"不変"と思っているこれを正しく認識できる人間は一体何人いるんだ?少なくともこの学校にはゼロ……」


吉田は自身が犯した最大の過ちに気付いた。理解者がいない。死で成し遂げられるものは、死後それを他人がどう評価するかによる。死後名を広めたゴッホも絵を理解できる人、評価できる人、物事を正しく見極める人がいて始めて成立していた。それに対し、理解者のいない吉田の死はただの無意味なものになる。後悔した時にはもう遅かった。強い衝撃が走った後、急速に光が失せていくのを吉田は感じた。

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