想い出のおはなし④

 正司とモコは、鳥子の男性が運転する車に揺られていた。

 鳥子の男性は、ショウタロウという名前であった。老人とは親子の関係らしい。ショウタロウが言うには、老人はやはり認知症との事。夕方になると徘徊して、家族を困らせているのだと語った。


「本当はね、僕がつきっきりで面倒を見なくちゃいけないんだろうね。息子は僕だけだから。でも仕事の関係上、妻や息子に任せっきりだ。

 本当にごめんね。君達まで振り回して」


「いえ、俺は大丈夫です」


 正司はぽつりと呟く。

 老人の家庭環境は、決して悪いものでは無い。だが、徘徊癖のある認知症患者を一人でうろつかせることを、良いとは思えない。あの老人が優しかったから、正司は尚更やり切れない思いだった。


「マナちゃんは?」

 

 モコが声をあげた。ショウタロウの言葉に違和を感じたからである。

 老人は、正司とモコをそれぞれ「ショウタロウ」「マナちゃん」と呼んでいた。老人は、マナちゃんをショウタロウの妹だと言っていたはずだ。


 ショウタロウは息を呑んだ。


「マナ……」


「ああ、爺ちゃんが、モコをマナちゃんって呼んでたんです。で、夜景を見に連れて行ってくれて……」


 正司の声が萎む。ショウタロウのただならぬ様子に気付いたからだ。

 車内が沈黙に包まれる。


「そうか……父さん、マナを……」


 ショウタロウの口から、言葉が、嗚咽が溢れ始めた。

 あまりに唐突な男泣きに、正司は目を丸くする。何か不味いことを言ってしまっただろうかと心配した。

 だが、ショウタロウが泣いてしまった理由は、不快感ではなかった。


「僕にはね、妹がいたんだ。五歳年下の、可愛い可愛い妹だった」


 ショウタロウは語り始める。正司もモコも、黙って彼の話に耳を傾ける。


「妹は小児癌でね。二歳の頃から七歳になるまで、ずっと入院生活だったんだ。幼稚園なんて、とても通えなかった。だから、病院より外の世界に、強い憧れがあってね」


 ショウタロウが鼻を啜る。正司には、ショウタロウの頬を伝う涙が見えていた。落ちても落ちても止まらずに、ジーンズを濡らしていく。


「とうとう癌は治らなかった。治しようがなくてね、最期には自宅療養という選択をした。マナは、家に帰りたがっていたからね。

 父さんはね、マナと僕を、色んなところに連れて行ってくれたよ。水族館、動物園、遊園地……でも、マナの一番のお気に入りはね、鳥美咲の山から見る夜景だった。

 寒い冬の日だった。『お星様みたいだね』なんて言って、いつまでも夜景を見ていたんだ。また来ようね、なんて、指切りして約束したんだ。

 その次の日に、マナは急変して、亡くなってしまったよ」


 みんな口を閉ざした。

 正司は、老人の行動の意図を理解した。老人は、娘との約束を果たすため、娘と息子を展望台まで連れて行ったのだ。

 認知症患者は、自分の人生の中で、一番輝いていた時期を思い出すと、正司は聞いている。その話が本当ならば、老人が一番輝いていた時期とは……


「おじいちゃん、おじさんとマナちゃんとで見に行った夜景が、すごく楽しかったんだね」


 モコは無邪気に笑う。


「おじいちゃん、マナちゃんのこと、大好きだったんだね。可愛い可愛いって言ってたよ」


 さり気ない言葉であったが、ショウタロウの胸には強く響いた。嗚咽の声が大きくなり、やがて号泣へと変わる。

 ショウタロウもまた、妹を愛していたのだ。幼くして亡くなった小さな妹のことを想って、ただひたすらに泣いていた。

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