想い出のおはなし③
狭い路地を通り、川に架かる橋を渡る。
冬は日が短い。さほど歩いてはいないものの、見る見るうちに日が落ちていく。辺りはぼんやりと薄暗い。すれ違う人の顔が判別できないほどだ。
正司は、歩く老人の背中を見つめていた。ゆっくりとだが着実に進む老人の足は、どこかを明確に目指している。
正司はモコを見下ろす。モコは小学生だ。そのため、両親から早めに帰るように言われている。本来なら、既に帰宅していなければならない時間だ。
「モコ、お前は帰ってていいんだぞ」
正司はモコに耳打ちするが、モコは首を横に振った。
「だって、おじいちゃんが心配だもん」
モコは言う。名前を知らない、二度話しただけの老人を心配するほどに優しいモコを、正司は黙って撫でた。
ちらちらと雪が降り始める。冷たい風が、雪の粒を踊らせる。一粒モコの鼻に引っ掛かる。体温で溶けたそれを、モコは片手で拭った。
橋を渡り切り、坂を登る。住宅が密集したそこは、路地より道幅が狭く、急勾配である。油断をしたら後ろに転げ落ちそうだ。
老人は杖をつきながら、坂道を登っていく。目的地があるのだろう。迷いのない、しっかりとした足取りであった。
そうしている間にも日は落ちていく。辺りは暗くなる。夜の訪れに正司は不安を感じて、一歩後ろを歩くモコに片手を差し出した。
「しっかり握ってろよ」
モコが一人で迷子にならないようにと配慮したのだ。モコは頷き、兄の手を強く握り返す。
民家がなくなり、辺りには木々が茂っている。やがて進む先に展望台が見えてきた。
「ああ、そうだ。ここだ」
老人は展望台へと向かう。数段の階段を上がり、展望台の柵まで近付いて遠くを見た。
「マナちゃんと、ショウと。またここに来たかったんだよ」
老人は振り返り手招きした。
正司はモコの手を引いて、駆け足で展望台へと向かう。モコもそれに
「うわぁ……」
正司は声を洩らした。
展望台から見える景色は、街の営み。ビル街の明かり、民家の明かりが、まるで星のように光っていた。
遠くを走る光は、車のライトだろうか。黄色や赤の光は流れ星のように、軌跡を描いて走っていく。
明滅する緑と赤の光は、幾重も幾重も連なって、銀河を構成する恒星のように見えた。
自分たちが住む街に、こんなに綺麗な景色があったなんて。正司もモコも、夜景の美しさに目を奪われていた。
老人は何も言わない。ただ、モコの頭を撫でている。慈しむように。懐かしむように。
どれだけの時間、そうしていただろうか。やがて老人が二人に声をかけた。
「お母さんが心配するから、そろそろ帰ろうか」
老人の言葉に、正司とモコは頷いた。
三人は美しい夜景に背を向けて、山道を下り始める。
来た時よりも暗くなっていた山道は、まるで違う道のように思えた。コウモリが飛び回り、野鳥の声が辺りに響く。あまりの不気味さに、正司もモコも足が
「大丈夫だよ。おいで」
老人が手を差し出す。モコは、差し出された手を、片手でしっかりと握る。
正司はモコのもう一方の手をしっかりと握る。二人とはぐれてしまわないように。
山道を抜け、住宅地へと下りてきた。しばらく歩いていくと、住宅地の一角に向かっていることに正司は気付く。
「なあ、爺ちゃんの家ってこの辺りなの?」
正司が訊ねる。
その時だった。
「父さん!」
大人の声が聞こえて、正司は辺りを見回した。
男性の
「ああ、近所の田中さん……」
「何言ってんだよ、父さん。探したよ」
老人を「父さん」と呼ぶ彼は、老人の息子であった。見れば、老人と同じ灰色の羽を
男性は正司とモコに気付いたようだった。目を丸くして正司を見遣る。
「ああ、君達が送ってくれたんだね。こんな遅くまで子供を連れ回しちゃ駄目だよ、父さん」
「田中さん、耳元で怒鳴るのはやめてくれんか」
「ああ…………あー、とにかく帰ろう……
君達も来なさい。家まで送るよ」
男性はそう言って老人の肩を抱いた。
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