約束のおはなし⑤

 あれから更に一週間が経った。

 店は相変わらず静かで、ニコはカウンターに座り本を読んでいた。しかし、心はここにあらず。ページを捲る手も止まっている。

 ニコの隣には、裕太のランドセルがある。先日返しそびれてしまったランドセルだ。

 その後母親がランドセルを取りに来ることはない。もしや、裕太本人が取りに来るつもりなのではないか。ニコはそれを期待しているのだ。


「こんにちはー!」


 ベルの金属質な音と同時に、元気な少年の声が、店内に飛び込んできた。その聞きなじみのある声に、ニコはパッと顔を上げる。

 元気になった裕太が、本を抱えて立っていた。


「裕太、もう体の具合は良いのですか?」


「うん、大丈夫!」


 ニコが問いかけると、裕太はにっこり笑って頷いた。

 

「おや、裕太君久しぶりっスねぇ」


 店の奥から、礼哉らいかが顔を出す。彼も心底嬉しそうに、目を細めて笑った。

 ニコは、自分の隣に置いていたランドセルをカウンターに置く。


「これ、お返ししますわ」


「ありがとう。預かっててくれたんだね」


「いや、預かるというよりは……」


 ニコは言葉を濁す。預かっていたわけではない。本屋に置いておかざるを得なかったのだ。


「あぁ、ニコさん、ランドセル背負しょって飛べなかったんスよ。重すぎて」


 礼哉らいかは裕太にそう説明する。

 裕太は、ニコに背負われて家まで送られた時のことを思い出したのだろう。次第に目が輝き始める。


「そうだ。お姉ちゃん、すっごいね! やっぱり鳥子とりこって飛べるんだ」


「いつもは面倒くさがって飛びやせんけどね」


 礼哉らいかのからかいに、ニコは顔を背けた。


「え? 何で?」


「飛ぶにはね、体力かなり使うらしいっス。だから、あの時はニコさん必死だったんスよ。自分から飛ぶと言うくらいに」


 裕太はニコの顔を見上げる。彼女の顔はほんのりと赤みが差していた。見られていることに気づくと、首を振って照れをごまかす。


「私のことはいいですわ。それより、裕太。お母様は怒ってらした?」


 ニコは、最も心配していたことを口にする。だが、裕太の様子を見ていれば、それが杞憂きゆうだということにはすぐに気づいた。

 裕太は満面の笑みで返事した。


「お母さんね、本読んでもいいよって言ってくれたんだ! だから、貸してくれた本、両方読んじゃった」


 裕太が抱えている本は、二冊の『シャノワールの冒険譚』。ニコが母親に押し付けたものである。


「お母さんね、僕に、読書禁止にしてごめんねって言ってたの。何かあったのかな?」


 ニコと母親が言い争いをしていたことを、裕太はどうやら覚えていないらしい。ニコはそれに安堵した。覚えていないのであれば、その方がいいと思った。

 裕太はニコに本を差し出す。本は貸した時そのままの状態で戻ってきた。大事に扱われたらしい。

 

「シャノワール、最後まで読んでどうでした?」


 『シャノワールの冒険譚』は全四巻の長編である。つまり、裕太はこの小説を結末まで読んでいるのだ。先日は一巻のみの感想であったが、全てを読んだ今、どのような感想を抱いたのか、ニコは気になって問いかけた。

 裕太は嬉しそうに語り始める。


「まさか、あれが最後に繋がると思ってなかった。ハイエナはハイエナで、辛かったんだね。でも、最後はシャノに止めてもらえてよかったよ。綺麗な終わり方だったと思う」


 ニコは笑みを浮かべながら聞いていた。この少年に本を貸して良かったと思いながら。


「ねえ。この作者の、他の本ってないの? 僕、他のも読みたい」


 裕太は言うが、その要求に応えることはできなかった。


「ああ、シャノワールの作者は一発屋なんスよ。シャノワール以外には本出してないっス」


「ええ、そんなぁ」


 礼哉らいかの言葉に、裕太はガックリと肩を落とす。どうやら『シャノワールの冒険譚』を相当気に入ったらしい。


「もっと、この人の本読みたかったなぁ。本当に本出してないの?」


「あら、相当気に入ったのですわね」


 ニコは含み笑いをする。その視線の先にいるのは、裕太ではなく礼哉らいかである。

 礼哉らいかは裕太から顔を逸らし、ヘヘッと笑った。


――――――

『約束のおはなし』おしまい

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