約束のおはなし④
地上からは、人間がニコを見上げる。鳥子達もちらりと見上げては、何事かと声をあげている。それくらいに、人を背負っての飛行は珍しいものなのだ。
「裕太、しっかりなさいな」
裕太の腕の緩みを感じ、ニコは声をかける。
この時裕太の意識は
裕太は薄ら目を開けて、地上に視線を落とす。
自分達が飛んでいる景色はさほど高くない。だが、人間であれば到底見ることができない景色だ。裕太は少しだけ目を見開く。
小さくなった人達が、みんなニコと裕太を見上げている。周りではスズメの群れが飛び、チチチと警戒の鳴き声を発している。
落ちかけた日が眩しくて、裕太は目を細める。たまらずニコの背中に突っ伏した。
「大丈夫ですの?」
ニコは驚いて大声を出す。裕太はそれに対して、突っ伏したまま首を振り、「大丈夫」とくぐもった声を返す。
ニコはバサリと羽ばたいて、翼の角度を調整する。空気を叩いたことにより、飛行の速度が更に増す。
やがて、ニコは
「裕太、立てます?」
ニコは裕太に問いかけるが、返事はない。背中に伸し掛る重みは、本屋を飛び立った時よりずっしりとしていた。どうやら裕太は寝てしまったのだろう。
裕太に家までの道を案内してもらうつもりだったが、起こすのは忍びない。ニコは裕太の名字を頼りに家を探すことにした。
裕太は非常に珍しい名字をしていた。ニコは思い出す。
「確か、
辺りはすっかり暗くなっていた。ニコは目を凝らしながら、一軒一軒表札を見る。
田中、市川、小谷、橋本……珍しくない平凡な名前が続く。
「ああ、ありましたわ」
さほど歩き回らないうちに、ニコは
ニコはチャイムのボタンを押す。扉の向こうで、電子音が鳴る。
「はい、どなた様?」
玄関チャイムのスピーカから、女性の声が聞こえてきた。ニコは一拍間を置いて、チャイムの向こうに居るであろう女性に声をかける。
「ニコと申します。裕太君が熱で倒れてしまったので、送りに来ました」
スピーカーからの音声がブッツリと切れる。
次の瞬間、玄関の扉がけたたましい音を立てて開いた。出てきたのは、品のよさそうな中年女性である。どうやら、彼女が裕太の母らしい。母親は小走りでニコに近付くと、ぐったりしている裕太に近寄り声をかけた。
「裕太! だから今日は休みなさいと言ったのよ!」
ニコは綿ロープを解く。裕太は母に抱き抱えられた。
「あなたは何処の誰なんですか?」
母はニコを
感謝されるならともかく、睨まれるいわれは無い。ニコは呆れながらも名乗った。
「隣町で本屋を営んでいる、ニコと申します」
「本屋? なんでうちの裕太が本屋に?」
「まあ、話は長くなりますが……」
「あなた、裕太を
言いがかりである。
「失礼ですわね。私と裕太は友達ですの」
「友達?」
母はニコの姿を舐めるように眺める。
自分の息子に、年上の友人がいると思ってもみなかったのだろう。少し戸惑いをみせたが、ややあって鼻で笑った。
「裕太は受験を控えているんです。今後この子に関わらないでください」
ニコは母の態度が許せなかった。
話を聞こうとしない、感謝もしない。こんな親の元にいる裕太が不憫だと思った。
「その受験は、裕太のやりたいことなんですの?」
ニコの問いかけに、母は振り返る。ニコは彼女を睨みつけていた。
「裕太はあなたに読書を否定されたと言っていましたわ」
「ええ。受験の妨げになるからね」
「でも、裕太は小説を読みたがっていたのですわ」
「まさか。裕太はそんな素振り見せませんでしたけど」
ニコはずいと進み出る。その顔は怒っていた。黒い瞳は細められ、裕太の母を睨みつける。
母は、ニコの剣幕に肩を跳ねさせた。
「あなたに馬鹿にされようとも、裕太には、どうしても読みたい小説があったのですわ」
ニコは、ショルダーバッグから二冊の本を取り出した。それを裕太の母に差し出す。『シャノワールの冒険譚』、三巻と四巻だった。
「まあ、汚ならしい」
「私が何度もページを捲ったから、ボロボロなのは仕方のないことですわ。
でも裕太は、この本を楽しみに本屋に通っていたのです。どうしても読みたかったから」
なかなか受け取らない母の手に、ニコは本を押し付ける。母は渋々それを受け取った。
「煮るなり焼くなり、好きにするといいですわ。ですが、裕太のことが大切なら、裕太のやりたいことを尊重してあげてくださいな。親ならそうするものでしょう?」
ニコは言う。
母はしげしげと本を眺める。そして、裕太の顔をじっと見つめた。
彼女が何を考えているのか、ニコにはわからない。だが、今は彼女の良心に任せることにした。
「では、失礼いたしますわ」
ニコは深々と頭を下げ、踵を返した。
――――――――――
「で、
カウンターにつっ伏するニコに、
「そんな母親、理解してくれると思わないっスけど」
ニコは何も言わない。
何故、喧嘩をふっかけるような真似をしてしまったのか。
何故、本を渡してしまったのか。
「まあ、後悔しても仕方ないっスよ。ただ、裕太が来なくなったら、寂しくなりやスねぇ」
「まだ来なくなると決まったわけじゃありませんわ。ランドセル、置きっぱなしですし」
ニコは裕太のランドセルをちらりと見やる。
裕太は、今後も変わらず本屋に来てくれるだろうか。
ニコの胸は痛んだ。
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