約束のおはなし

約束のおはなし①

 オキナインコ族の鳥子であるニコ。彼女は本屋で働いている。商店街の中にある、昔ながらの本屋である。

 店主の、人間である男性・礼哉らいかは、ニコの良き友人であった。


「ニコさん、本読んでばっかじゃなくて、手伝って下さいよ」


 礼哉らいかはニコに声をかける。レジカウンターに座る彼女は読書にふけっており、礼哉らいかのぼやきは耳に入らない。

 今読んでいるのは、『シャノワールの冒険譚』という王道ファンタジーの小説であった。十年近く前に発売された小説で、全四巻の長編である。ニコのお気に入りであり、何度も読み返したために表紙は傷だらけでくたびれていた。


「ニコさん」


「え? ああ、何かしら?」


 ニコは、礼哉らいかからの呼びかけにようやく気付き、彼を見て首を傾げる。

 礼哉らいかは呆れてため息をついていた。


「ニコさん、給料泥棒は困るんスよ」


「まあ、給料泥棒だなんて失礼ですわ」


「なら手伝って欲しいっスね。はい、これ」


 礼哉らいかはニコに竹箒を差し出す。ニコは本に栞を挟んで閉じた後、竹箒を受け取った。


「しかし、シャノワールの冒険譚、よく飽きもせずずっと読んでられやスね」


 礼哉らいかは呟く。

 その呟きはニコを苛立たせた。


「人の好みに口を出さないでくださいまし」


「いや、流石に十年経ってるし。うちにもあるけど、売れていかないから。

 もう王道ファンタジーは下火っスよ。今は異世界転移か悪役令嬢じゃないスか?」


「私は流行に流されませんの。確かに悪役令嬢も、ときめいて素敵ですが、昔ながらの王道ファンタジーが一番ですわ」


 そんな他愛もない話をしていると、人間の客が一人、店の中へと入ってきた。

 カランカランと、ベルの金属質な音が鳴る。入ってきたのは一人の少年。ランドセルを背負っている。年はわからないが、小学生だろうか。

 ニコは彼を知っていた。彼は毎日のように、この本屋に通っていたのだ。何を買うわけでもなく、ただ本棚の一部分をじっと見つめ、暫くして帰る。そんな毎日を続けていた。


「いらっしゃいやせー」


 礼哉らいかが声をかける。少年はそれに非常に驚き、肩をびくりと跳ねさせた。

 礼哉らいかは眉をよせる。そしてニコに目配せした。ニコもまた、その目配せの意味を感じ取り頷いてみせる。

 少年の反応がやたら大きいのは、おそらく極度の緊張状態にあるからだ。そして、緊張しているということは……


 ニコは掃除をするフリをして、少年の後ろ姿をちらりと見遣る。

 少年は、ファンタジー小説が詰まった本棚を見つめている。その視線の先には、王道ファンタジー小説『シャノワールの冒険譚』。ニコが持っている小説と同じタイトルであった。

 少年は辺りを見回す。ニコは、あえて少年の視界の外へと逃げた。もし事を起こすのであれば、事を起こした後でないと罰することができないからだ。

 

 ニコは待つ。


 暫くして、少年は本棚から離れ、出口へと向かった。何かを抱えるような、不自然な格好で。

 店の扉を開け、敷居をまたぐ。

 少年の両足が、店から出た瞬間のことだ。


「お待ちなさい」


 ニコが少年の肩を掴んだ。


「ひぃっ!」


 少年は情けない悲鳴をあげる。


「服の下に何を隠しておりますの?」


 ニコは淡々と問う。

 少年はたまらずニコの腕を振り解く。


「きゃっ」


 あまりの力に、ニコは驚いて声をあげた。少年はちらりと振り返ったが、「ごめんなさい」と呟くと、猫背の姿勢でお腹を抱え、その場から逃走を図った。


「待ちなさい!」


 すかさず礼哉らいかが走り出す。あっという間に少年の正面へと回り込み、小さな体を捕まえた。


「何を盗んだんスか?」


「ひいっ」


 礼哉らいかは少年を小脇に抱える。少年がお腹に抱いたハードカバーの感触が、礼哉らいかの腕に伝わった。

 礼哉らいかは少年を店内へと連れ込む。ニコはその後ろに続いた。扉を閉めると、逃げられないように施錠する。


「今なら謝るだけで許します。何を盗んだんスか?」


 ブラインドを下ろし、店内を隠す。少年は、服の下からハードカバーの分厚い小説を取り出した。表紙に書かれていたタイトルは、『シャノワールの冒険譚1』。


「ごめんなさい……どうしても読みたくて……」


 少年は顔を伏せる。


「学校の図書室にはないんスか?」


 礼哉らいかの質問に、少年は首を振る。


「なんか嫌なことがあったんスか?」


 その質問にも、少年は首を振った。


「何でこんなことしたんスか?」


 少年は肩を震わせる。しばらく深呼吸をしていたが、やがてこう語り出した。


「お母さんが、小説なんて勉強の邪魔になるから買うなって。買うなら参考書にしなさいって」


 礼哉らいかはため息をつく。

 ニコは驚愕から卒倒そっとうしてしまいそうだった。この時代に、小説を邪険に扱うような大人がいるのかと、耳を疑ったのだ。


「お小遣いなんて貰えないし、買って帰ったら怒られる。けど、僕……」


 どうしても読みたくて、万引きをしてしまった。そういうことなのだろう。

 少年の体は、可哀想なくらいにブルブルと震えていた。もし礼哉らいかが親を呼んだら、万引きの理由が小説を盗むためと知られたら、どれほど酷く叱られるか。そんな、恐ろしい想像をしているのだ。


 礼哉らいかは少年の恐怖を理解したようだった。


「はあ……今日は注意だけっス。次またやったら、わかるっスね?」


 少年は安堵した。その両目から、真珠のような涙がボロボロと落ちていく。


「あー、泣かないでくれまスか? 本屋が子供を泣かせたなんて、噂されたら困りまスから……」


 少年は頷く。すぐに涙を止めようと、鼻を啜りながら袖で顔を拭っていた。

 ニコは、そんな少年にハンカチを差し出した。


「ほら。拭きなさいな」


「あ、ありがと、おねーちゃん 」


 少年はニコを見上げ、頬を赤くする。ハンカチを受け取ると、真っ赤に腫れた瞼を擦った。

 

 ニコは腹立たしかった。少年に対してでは無い。彼の母親に対してだ。小説を禁じられている、少年の境遇に対してだ。

 だから、少年を応援したいと思った。


「わたくし、『シャノワールの冒険譚』を全巻持っておりますの」


 そう言って、少年に一冊の本を差し出す。

 表紙がボロボロに擦り切れた本だった。ニコが大切に読んでいたものだ。

 少年は意図がわからず首を傾げる。


「お貸しいたしますわ。家に持ち帰るのが駄目なら、学校に置いて、休憩時間にお読みなさい。読み終わったら、きちんと返してくださいまし」


 ニコは微笑む。

 少年はパッと笑顔を浮かべた。差し出された本、『シャノワールの冒険譚1』と書かれたそれを受け取り、胸元に抱えた。


「次に来た時のために、名前を教えてくれまスか?」


 礼哉らいかは言う。

 途端に少年は慌て、名前を名乗る。


「僕、鶏冠井 裕太かえで ゆうたって言います」


 少年の名前が可愛らしくて、ニコは声を弾ませる。


「あら、珍しい苗字ですわね」


「うん。鶏に、冠に、井戸の井って書くんだ」


 随分と珍しい苗字である。ニコは感嘆の声を洩らす。

 

 「私はニコ。仲良くしましょうね」


 裕太は大きく頷いた。


 礼哉らいかはブラインドを上げて外を見る。

 日は傾きかけていた。冬の昼は短い。裕太が学校に寄って帰るのであれば、そろそろ本屋を出なければ、帰る頃には真っ暗ではないだろうか。


「裕太君、そろそろ帰るべきじゃないスか? それも隠さなきゃいけないでスしね」


 礼哉らいかの言葉を聞いて、裕太も窓の外を見る。


「ほんとだ!

 お姉ちゃん、おじちゃん、ありがとう! また来ます!」


 来た時とは全く違う晴れやかな笑顔で、裕太は本屋を後にする。その後ろ姿を見送りながら、ニコと礼哉らいかは手を振っていた。

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