思いを馳せるおはなし③

 カンブリア紀の暗い廊下は、女の子が入りたがらなかったため、三人は順路の先へと進む。

 オルドビス紀、シルル紀、デボン紀と、展示物の時代も進む。やがて、石炭紀に生きてきた生物が展示されるコーナーへとやってきた。

 女の子はまたも身を固くする。無理もない。石炭紀に繁栄していた生き物といえば、巨大な虫と両生類である。

 部屋の入口に立つ、巨大なトンボ、メガネウラ。その模型は無感情な目で三人を見つめている。


「みうおねえちゃん、あれ、こわい」


 女の子は美羽みうにしがみつく。美羽みうは女の子の頭を撫でながら、メガネウラを見つめた。


「今の虫さんは、こんなに大きくないもんね。これ、怖いよねぇ」


 そう言う美羽みうの声は弾んでいる。台詞と噛み合わない美羽みうの様子に、四嶋しじまは問いかける。


「佐藤は虫平気なのか?」


「虫は苦手。でも、石炭紀も面白いんだよ」


 美羽みうのスイッチが入ってしまった。順路を進みながら、美羽みうは語る。


「石炭紀の空気って酸素濃度が高くてね。虫はそのおかげで大きくなれたの。気門を使った呼吸法の虫達は、今の酸素濃度だと効率が悪くて、大きくなることができないんだよ」


「なら現代の空気に感謝だな。こんなのいたら怖いし」


 四嶋しじまは展示物を見る。アルトロプレウラという名前の巨大ムカデは、ぞっとする程に不気味だった。

 女の子はすっかり顔を伏せている。このコーナーは、早めに過ぎ去ってしまった方が良いだろう。


「お兄ちゃんがね、恐竜見たいって言ったの」


 女の子が言う。四嶋しじまは女の子の顔を覗き込んだ。


「恐竜を?」


「うん。だから恐竜のとこいたんだけど、まいちゃんね、お魚が見たくて戻ってきたの」


 四嶋しじまは顔を上げ、美羽みうと顔を見合わせた。

 ようやく、女の子の口から有益な情報が聞けた。


 恐竜の展示ブースから後戻りしてきたということ。

 そして、女の子の名前である「まいちゃん」。


「お名前、まいちゃんっていうの?」


 美羽みうたずねた。女の子は首を振る。


「まいちゃんはね、マイカっていうの」


 女の子、マイカの名前がようやくわかった。情報が増えたことにより、美羽みう四嶋しじまも、人探しがよりしやすくなった。


「マイカちゃん。今日は、誰と一緒に博物館に来たの?」


 美羽みうたずねると、マイカは快く答えてくれた。


「パパと、ママと、お兄ちゃん」


「最後にパパとママを見たのは、恐竜さんのところ?」


「うん」


 向かうべき場所も決まった。

 おそらくマイカの家族は、恐竜ブースでマイカを探しているだろう。早く送り届けなくては。


 ペルム紀、三畳紀の展示ブースを早足で抜けて、三人は恐竜化石の展示ブースへと足を踏み入れる。

 展示ブースの入口では、ステゴサウルスの模型が三人を出迎えてくれていた。


「パパとママ、いる?」


 四嶋しじまはマイカに問いかける。だが、マイカの身長では遠くまで見渡すことなどできない。マイカはじいっと上方向を見上げるが、やがて四嶋しじまを見上げて首を振った。

 

「見えない」


「そっか」


 四嶋しじまは苦笑いする。

 美羽みうは閃いた。マイカの正面でしゃがむと、背中を向けて、顔だけでマイカを振り返る。


「まいちゃん。おんぶしよっか」


 マイカは驚いたようだったが、すぐに笑顔を浮かべて美羽みうの背中にしがみついた。五歳児の体重は想像より重く、ずしんと美羽みうの背中に伸しかかる。


「よいっ、しょ。どう? 見える?」


 美羽みうは問いかけながから展示ブースへと進む。ブース内には様々な骨格標本が置いてあり、そのほとんどは残念ながらレプリカであった。

 だが、子供の興味を引くには十分すぎるほどに精巧せいこうな作りである。マイカは、両親を探すという目的を忘れて、化石に目を奪われていた。


美羽みうおねえちゃん、あれ見たい!」


「ま、マイカちゃん。先にパパとママ探そうよ」


 美羽みうは慌てて言うが、マイカはすっかり恐竜のとりこである。ガラスケースの中に閉じ込められた始祖鳥の化石をよく見ようと、ぐっと身を乗り出しているのだ。


美羽みうおねえちゃん、あれは鳥さんなの?」


「あれは始祖鳥。鳥さんによく似てるけど、実はちょっと違うんだ。直接的な関係性はないんじゃないかって言われてるの」


「ちょくせつてきな、かんけーせー?」


「えっとね。鳥さんのパパやママじゃなくて、叔父さんや叔母さんみたいな感じかな」


 マイカにはうまく伝わっていないようだ。マイカも美羽みうも、揃って首を傾げている。


「そうだ、パパとママ!」


 一拍遅れて、マイカはハッとした顔をした。

 辺りを見る。しかし、両親の姿は見つからない。


「いない……」


 マイカはしょぼくれてうつむいた。


「まいちゃん、おいて行かれたのかな?」


 マイカは呟く。

 親が子を置いていくなど有り得ない。博物館まで遊びに連れて来てくれるような優しい両親だ。尚更有り得ない。

 だが幼いマイカは、悪い方向へと思考が傾いてしまう。最悪の状況が頭をよぎり、再び泣き出してしまった。


「ふええ……」


 パタパタと、美羽みうの肩に涙が落ちる。美羽みうは驚いて、マイカをあやすべく体を縦に揺らした。


「大丈夫! まいちゃんのパパとママは、きっとまいちゃんを探してるよ」


「パパぁ……ママぁ……」


「大丈夫、大丈夫」


 観覧客の迷惑にならないよう、人混みを外れて壁際へ寄る。辺りの大人達は、何事かと振り返る。美羽みうは、慣れない状況に顔を赤らめながら、マイカを床に下ろしてひたすらあやす。

 四嶋しじまは困り果てて、額に手をあてた。迷子の親は見つからない。一旦博物館の入口に戻り、受付に預けてしまうのが良いのではないか。


 その時、ざわめきの中、かすかに聞こえた。


舞花まいか! どこなの、舞花まいか!」


舞花まいかー! 舞花まいかー!」


 一組の男女が、マイカを呼んでいる。

 四嶋しじま美羽みうを見る。美羽みうもマイカも、全く気付いていない。


「ああ、そうか」


 これは、シマフクロウ族の鳥子とりこである四嶋しじまが、持って生まれた特性だ。四嶋しじまは耳が良いのだ。


「佐藤、こっち」


 四嶋しじま美羽みうの手を握る。


「えっ?」


「マイカちゃんの親が呼んでる」


 四嶋しじまはぶっきらぼうにそう言って、マイカを見下ろした。


「お兄ちゃん、耳がいいんだ。パパとママの声、聞こえたよ」


 マイカはいまだに泣いている。だが、四嶋しじまの言葉を聞くと、表情を弛めて首を傾げた。

 四嶋しじま美羽みうの手を引く。美羽みうの手は、汗なのか涙なのかわからないが湿っていて、熱を帯びていた。


 恐竜に別れを告げ、三人は新生代の展示ブースへ。


 猿から人に。

 鳥から鳥子とりこに。


 その進化を描いた廊下は、橙の柔らかな光が差していた。


 廊下を抜けた先。

 人類や鳥類の剥製が展示されたそこに、夫婦はいた。


舞花まいか!」


「パパー!」


 マイカは美羽みうからパッと手を離し、夫婦へと駆け寄った。父親と思しき男性にしがみつき、抱き上げられる。

 夫婦のそばでは、マイカより少し年上の男の子が、べそをかきながら母親の足にしがみついていた。


「あのね、お兄ちゃんとお姉ちゃんと、一緒にいたの」


 マイカは美羽みう四嶋しじまを指差した。美羽みうはぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございます」


舞花まいかが無事で、本当によかった」


 両親は安堵した表情で、何度も丁寧に頭を下げる。

 美羽みうは「どうしよう」とでも言うように四嶋しじまへ目を向けるが、四嶋しじまもアタフタとしていた。二人とも、こういった状況には慣れていない。

 お互いにペコペコと頭を下げ、それは暫く続いていた。

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