思いを馳せるおはなし②

 順路通りに、美羽みう四嶋しじまは廊下に出た。

 そこは、光が少ない薄暗い廊下であった。


「うわっ!」


 四嶋しじまは壁を見て仰天する。廊下の壁には、ヘンテコなエビに似たモンスターが描かれており、薄く発光していた。


「なんだこれ、気持ちわり……」


 四嶋しじまがそう思うのも無理はない。

 しかし美羽みうにとっては見慣れた絵。彼女は四嶋しじまが驚く理由がわからず、思わずくすくすと笑っていた。


「これがアノマロカリス。カンブリア紀を代表する生き物だよ」


 エビのように節が刻まれた胴、その両側に何枚ものヒレ。頭にはギョロリとした二つの目があり、口元にはくるりと巻いた、触手状の付属肢ふぞくし


「昔の頂点捕食者だったんだって」


「ちょうてん、何だって?」


「一番強かった生き物ってことかな」


 廊下の壁には、びっしりと絵が描かれている。その全てが、アノマロカリス同様、薄く発光しているのだ。

 アノマロカリスに追いかけられる三葉虫。地面を這うハルキゲニア。群れを成して泳ぐオパビニア。他にも様々。

 四嶋しじまは唇をきゅっと結んで、壁を見ないようにしていた。


「苦手?」


 美羽みうたずねる。


「なんか、すごいな……」


 四嶋しじまは言葉を選んだようだった。美羽みうはそれを聞いて苦笑いする。


「こいつらが人間や鳥子とりこに進化したの?」


 四嶋しじまは怖々たずねる。こんな、モンスターとしか形容できない見た目の生き物が進化してきたとするならば、四嶋しじまは卒倒しただろう。だが、幸いなことに、そうではない。


「カンブリア紀の生き物は、ほとんどが絶滅しちゃったの。生き残ったのは魚と、あとは三葉虫とかかな。で、ご先祖様は、多分これ」


 美羽みうは、海底の岩場を描いた部分を指さした。そこにいるのは、木の葉の形をした小さな魚。白く塗り潰された体は、他の絵と同様に発光している。


「ミロクンミンギア。昔の魚なんだって。この魚が大量絶滅を乗り越えて、私達にまで繋がるんだって」


 美羽はミロクンミンギアをじっと見詰める。三センチメートルにも満たない小さな存在が今日まで進化を重ねてきたのだ。感慨深くてため息が洩れた。


「ちっちゃ。え、これが僕らのご先祖?」


 四嶋しじまは目を丸くしている。


「すご」


「すごいよね」


 廊下を進む。

 カンブリア紀の生物群を展示している部屋は、廊下程ではなかったが、やや薄暗い。美羽は真っ先にオパビニアの模型へと向かって指を差した。


「あれね。オパビニアって言うんだけど、最初学会で発表された時は、姿がおかしすぎて笑われたんだって」


「へえ」


 五つの目を持ち、象の鼻のようなふんを伸ばした姿。コミカルに見えないこともない。


「ちょっと行ってみるか」


 四嶋しじまが足を踏み出そうとした時だった。


「ま、待って……背中に何か……」

 

 美羽みうの背中に軽い衝撃があった。何かがしがみついてきたらしい。美羽みうは振り返る。


「ママ……じゃない……」


 背中にくっついていたのは、人間の女の子だった。五歳くらいだろうか。


「ママぁ……パパぁ…………」


 女の子の大きな両目に涙が浮かぶ。両目を両手で拭いながら、しくしくと泣き始めてしまった。

 美羽みうは慌てて女の子に向き直り、屈んで女の子の顔を覗き込んだ。


「迷っちゃったの? お名前、言える?」


 女の子は泣きじゃくるばかりで何も言えない。

 美羽みうは「どうしよう」と訊ねるように、隣に立つ四嶋しじまを見上げた。


「あー……親探すっていっても、名前がわからないと……」


「そうだよね。受付に連れて行った方がいいのかな?」


 美羽みうは女の子に手を差し出す。女の子は美羽の手をぎゅっと握った。

 女の子の顔も、顔を擦っていた手も、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れていた。しかし美羽は、嫌な顔をすることなく、女の子の頭を撫でてあやしている。


「受付のお姉さんのとこ行こっか」


 そうして順路を逆に進もうと、廊下側に顔を向け、女の子の手を引いた。


「やだ……」


 女の子は美羽みうの手を引っ張り返す。美羽はきょとんとして首を傾げた。


「そこ、オバケたくさんいるからイヤ」


「お、オバケ……?」


 美羽みうは面食らった。美羽みうにとっては魅力的なカンブリアモンスターは、幼子にとっては恐ろしいモンスターなのだ。


「大丈夫だよ。アノマロカリスは何もしてこないよ」


 美羽みうは言うが、女の子は首を振るばかり。しまいには号泣し始めた。

 部屋中に響き渡るその声に、観覧客は驚いて振り返る。美羽みうは途端に恥ずかしくなってしまい、顔を真っ赤にした。


「どうしよう……」


 美羽みう四嶋しじまに助けを求める。

 四嶋しじまは女の子の正面にしゃがみ、顔を覗き込んだ。女の子はびくりと肩を跳ねさせる。


「寂しくなっちゃったか?」


 女の子はうつむいたまま。叫ぶような泣き声はなくなったが、泣き止んだわけではない。

 四嶋しじまは、突然女の子の脇腹をくすぐりはじめた。


「こちょこちょこちょ」


 その行動に、始めこそ女の子は驚いたが、次第に顔が綻び笑顔に変わる。


「きゃふふっ」


 黄色い声をあげ笑う。女の子の顔からすっかり涙はなくなっていた。

 四嶋しじまはしばらくくすぐりを続けていたが、やがて女の子から手を離す。


「もう大丈夫?」


「うん」


「じゃあ、パパとママ探そうか」


「うん!」


 女の子は四嶋しじまにすっかり懐いたようである。片手は美羽みうの手を、片手は四嶋しじまの翼を握り、ニコニコと笑った。

 美羽みうは目を見開いて四嶋しじまを見上げる。


四嶋しじまくん、すごい」


「すごくないよ。全然」


 四嶋しじまははにかむ。褒められたことが嬉しいようで、彼の羽角うかくが揺れた。

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