きっかけのおはなし②

 風呂から上がり、髪をタオルで拭きながら、フクはスマートフォンを片手で弄っていた。


「フクー。あがったのー?」


 キッチンから母の声が聞こえる。


「あがったよ」


 フクは返事をしながらキッチンを横切る。

 母はフクの横顔を見ながら頼み事をした。


「お父さんに声かけてきて。お風呂入ってって」


「うん、わかった」


 そう言った直後の出来事である。

 スマートフォンに映していたTooTube動画の画面から、コミュニケーションアプリであるLONEの画面に切り替わる。トークではなく、着信の知らせだ。

 フクの心は踊った。相手は「みう」という名前と、恐竜の化石のアイコン。佐藤が連絡してくれたのだ。


「母さん、ごめん。やっぱり無理」


 フクは一言断り、駆け足で階段に向かう。母が怒る声が背中にぶつかってくるが、それがどうでも良くなるくらいに舞い上がっていた。

 二階の一室。自分の部屋にフクは篭る。ベッドに飛び込むと、緊張しながら通話ボタンを押した。

 

 スマートフォンを耳にあてる。ややあって、佐藤の声がスピーカーから聞こえてきた。


「し、四嶋しじまくん……?」


 佐藤の声は震えていた。きっと緊張しているのだろう。


「メッセージでもよかったのに」


 てっきりメッセージで連絡をしてくれるものと思っていた。電話をしてくれるなど、期待以上だった。

 だが、佐藤が電話をしてきた理由は、何となく察したフクである。


「え? あ、電話じゃないといけない気がして……」


 佐藤は天然なのだ。天然で、不思議ちゃんで、たまに常識からズレた行動をしてしまう。今回は、連絡をするなら電話しなければならないといった、佐藤の勝手な思い込みが原因だろう。

 だが結果として、それはフクを喜ばせることになる。フクは、佐藤の思い込みを幸運だと感じた。


「いや、電話も嬉しい。ありがとう」


 フクは平常を徹し返事をした。

 沈黙が流れる。フクは、連絡をしろと自分から言った癖に、何を話すか全く考えていなかった。舞い上がってしまって、それどころではないのだ。

 だから、佐藤に問いかけた。


「鳥が恐竜ってことは、僕も恐竜ってこと?」


 突拍子のない質問であっただろう。電話の向こうでは、佐藤が「へ?」と間の抜けた声を出している。

 ややあって、佐藤から返事があった。


「うん。そうらしいよ。

 鳥子とりこは鳥から進化したから、恐竜であるとも言えるって」


「へえ。でも何で、鳥は恐竜なんだろう?」


 フクはまたも問いかける。佐藤は黙る。考えているのだろう。


「あの、そういうのは動画を見てもらった方が」


 佐藤はおずおずとそう言った。佐藤が喋り下手であることは、フクも知っている。だからこその提案だろうが、フクはそれに拒否をした。


「僕は君から聞きたい」


 ぶっきらぼうな物言いだったのは、照れ臭さを隠すためだ。だが、佐藤にはフクの感情が伝わったらしく、驚きの声は上擦っていた。


「わ、私から?」


「うん。楽しそうに話す君の声を聞きたい」


 電話の向こうでは何が起きているのか、フクは想像を巡らせる。

 受話器から聞こえる忙しない足音。佐藤はフクの言葉に動揺し、部屋を歩き回っていることだろう。小さく洩れる「どうしよう」という声は、どこか嬉しそうにも聞こえる。


「えっとね。恐竜にも羽があったって話は知ってる?」


 佐藤が問いかけてくる。


「聞いたことあるよ」


 フクは返事をする。


「えっと、四嶋しじまくんは鳥子とりこだから、私よりよく知ってると思うけど、鳥や鳥子とりこの羽って、すごく複雑な作りなの」


「ああ、そうだね」


 フクは自分の翼を見る。

 羽は複雑な構造だ。一本の太い羽軸うじくがあり、そこから何本も何本も羽枝うしが生えている。

 対して、人間のような哺乳動物が持つ体毛は、ひょろりと長い一本の毛が、密集して生えている。

 羽の方が、随分と複雑な作りをしていることは、生物学の知識を持たないフクでもよくわかる。


「そんなに複雑な構造を、ただの偶然で、何の関係もない二つの動物が持っているなんておかしい。だから、鳥は恐竜の血を継いでいるんじゃないかって言われてるの。

 あ、他にも、骨格の共通点が多いからっていう理由もあるよ。色々似てるんだって。鳥と恐竜って」


 佐藤は、話しているうちに興奮してきたらしい。言葉に熱が入る。

 フクは、佐藤の表情を思い描く。佐藤はきっと、いつものように目をまあるく輝かせているのだろう。興奮して電話にかじりつきながら話しているのだろう。パラパラと紙をめくる音が聞こえるが、もしかして資料を読みながら話しているのだろうか。

 フクはふふっと笑いをこぼす。

 途端に佐藤は黙ってしまった。フクは「しまった」と顔をしかめた。


「ああ、ごめん。佐藤が楽しそうに話してるから」


「へ、変だよね……お洒落より生物史が好きなんて……」


 フクは目を見開いて立ち上がる。


「そんなことない!」


 フクが思わず出した声は、彼の想定以上に大きかった。慌てて布団に座り直し、声量をおさえて話す。


「違うんだ。僕が笑ったのは、夢中になって話す佐藤が、その…………可愛かったから」


 ぽつりと言った「可愛かった」の言葉は、きっと佐藤を慌てさせたのだろう。電話の向こうから、言葉にならない声が聞こえる。

 佐藤が慌てる時は、いつも小さく声を上げるのだ。その上擦った声さえも可愛くて、フクは頬を緩ませる。


「あ、あの、それはどういう……」


「言葉通りの意味」


 フクはぶっきらぼうに返す。冷たい物言いをしてしまう自分に、フクは腹立たしさを覚えた。こんな癖がなければ、佐藤ともっと仲良くなれるだろうにと。


 二人の間には、暫しの沈黙。

 互いが互いの出方をうかがい、何も言えなくなっていた。

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