争いのおはなし

争いのおはなし①

 鳥美咲小学校とりみさきしょうがっこう鳥子とりこも人間も分け隔てなく受け入れる学び舎。そこはとても平和な学校であった。

 とある二人の鳥子とりこにとっては、そうとは言えなかったが。


「本田君なんか、大っ嫌い!」


 真っ黒な髪、真っ黒な翼をした、一見大人しそうな見た目の少女、橋本が、声の限りに叫ぶ。彼女は全身が濡れており、今にも泣き出しそうな声をしていた。

 彼女は小学六年生。美化委員のリーダーを務めていた。毎日夕方には、校庭の花壇に植わったマリーゴールドやパンジーに、水遣りをしなければならないのだ。

 それを邪魔したのは、緑の髪と翼をした少年。同じく六年生の本田である。


 本田は美化委員ではない。たまたま近くを通り過ぎただけであった。だが、本田は筋金入りの悪戯いたずらっ子であった。

 本田は、ホースが繋がれている蛇口を全開にしたのだ。その時、ホースの先端は橋本が握っていた。シャワーヘッドから勢い良く噴き出した大量の水は、花壇の土を散らし泥水となり、橋本の全身に跳ね返ったのである。

 おかげで橋本は全身ずぶ濡れ、泥だらけとなってしまった。


「本田君酷い! もう、泥だらけだよ……」


「本田君サイテー!」


 橋本と、彼女に付き添っていた人間の女子、市川が、本田に向かって叫ぶ。だが本田は悪びれた様子もなく、蛇口を締めて立ち去ろうとした。


「何も言うことないの?」


 市川は本田の翼を掴み、引っ張る。

 本田はその痛みに顔をしかめた。振り向きざまに抗議する。


「いてて! やめろよ」


「ふざけないで!」


 市川は本田をにらみ付けた。さほど迫力はなかったが、本田はびくりと肩を震わせる。


「あんた、橋本が嫌いなの?

 そりゃあんたはワカケインコで、橋本はハシブトカラスだし、そもそも相性が悪いのはわかるけど。でも、それにしたってあんたはやり過ぎよ!」


 本田は橋本をちらりと見る。

 橋本は、泥だらけに汚れてしまったことが、あまりにショックだったようだ。鼻を鳴らし、嗚咽おえつを洩らしていた。大きな瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちている。

 流石に本田は反省したらしい。だが、謝罪の言葉は一言だけ。


「あー、悪かったよ」


「真面目に謝れ!」


 市川は今にも掴みかからんとしている。その時、彼女の腕を橋本が掴んだ


「謝ってもらったから、もういい」


 橋本は事態を大きくしたくないのだ。首をゆるゆると振って、自分の代わりに怒る市川をなだめる。

 市川は、涙で濡れた橋本の顔を見つめ、仕方ないとばかりにため息をついた。


「本田、次橋本に何かしたら、私怒るからね」


 市川は本田に顔を戻してそう言う。

 その瞬間だった。本田が橋本に向かって走って来たかと思うと、橋本の頭を平手で叩いたのだ。突然のことに橋本は驚き、避けることができないまま尻餅をついた。

 尻餅をついた場所が悪かった。水でグズグズに濡れきった花壇の中だった。スカートは泥水を吸い、橋本は冷たさに悲鳴をあげる。


「本田!」


「どんくせー! カラスの癖に!」


 本田はゲラゲラと笑いながら走って行く。校庭を突っ切って校門から外に出ると、彼の姿はたちまち見えなくなった。


「橋本、大丈夫?」


 市川は橋本に片手を差し出す。橋本は手を伸ばし、しかし自分の手が泥で汚れていることに気付いて、その場で固まってしまった。


「ほら」


 市川はかまわず橋本の手を握る。ぐいと引っ張って、橋本を花壇の外に立たせた。

 市川は本田の悪行あくぎょうが許せない。怒り心頭といった般若のような顔で、校門の向こうをじっと睨みつけている。


「橋本、やっぱり私許せない。何で橋本ばっかりなの? 橋本に怪我させたらどうするつもりなの?」


「いっちー、私は大丈夫だよ。気にしないで」


「いや、気にする。だって、私は橋本の友達なんだよ?」


 その言葉に、橋本は頬をほころばせる。先程の、本田からの乱暴は許せないが、怒りが静かにおさまっていくようだった。


「橋本はやり返さないの?」


「え?」


 唐突に、市川に言われた。やり返すなど、橋本は考えたこともなかった。確かに毎日のようにちょっかいは出されていたが、やり返すまでもない小さなことと思っていたからだ。

 だが、市川はそう思わなかった。橋本が泣く程のちょっかい……いや、あれは「嫌がらせ」と言ってもいいだろう。


「本田のやつ、ちょっとくらい痛い目見ればいいのよ」


 市川の声に力が籠る。

 その提案があまりにも魅力的に思え、橋本は「うーん」と唸った。


「黙ってるだけじゃ、なめられるよ」


「確かに、そうかも」


「でしょ?」


 市川はにんまりと笑った。

 とはいえ、大きな事件を起こそうというつもりはないのだ。次回嫌がらせをされた時、相応の仕返しをすればいい。

 二人はそう考え、体育着に着替えるため教室へと戻っていった。

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