最後の舞台へ

 硬い床のはずなのに、座ると線路の感触があるような気がするのは何故だろうか。


 運転席の手元を照らす明かりと、ボイラー室から漏れ出す炎の灯り。他には何の光源もない真っ暗なトンネルの中、片腕で鞄を抱えたレイトは壁に身を預けていた。もう一つの懐中電灯はニタの視界を確保するのに使ってしまっていて、道行きの確認どころかメーターの針を読むことすらできない。


 線路の継ぎ目で車輪が小さく跳ね、ゴトゴトと単調な音のリズムを刻む。重心がほんの少しだけ左右に振れ、車体がゆったりとうねる。防護服越しに伝わるボイラー室の熱が、暖かく全身を包み込む。


 ハルキがシャベルの裏側を使い、床にこぼれていた石炭をまとめてボイラー室へ押し込んだ。やや低くなった石炭の山で、大きな影がチラチラと踊る。


 運転席の薄暗がりからニタの手が伸び、下側のブレーキレバーを半分ほどひねる。鋭いブレーキ音と共に、レイトの身体が前方へ引っ張られた。


 ぼんやりと意識を失いかけた頭を強く振り、レイトは足の位置を調整して腰を浮かせる。二人が頑張っているのに、自分だけ寝てしまうわけにはいかない。


「……ねぇ、ニタちゃん。運転の感触はどう?」


 レバーから手が離れたのを確認して、レイトはニタに話しかける。集中力を乱してしまうのは気が引けたが、座って荷物を守ったまま襲い来る睡魔に抗うにはこれしかなかった。


「うん、なんとなく分かってきたよ」予想外にのんびりとしたニタの声。「あのね、ハルちゃんの言ってた通り、下のレバーは二本ともブレーキみたい」

「え、マジかよ。はー、ヤケクソでも当たるときは当たるもんなんだな……予備か?」

「ううん、止まり方が違うから種類があるんだと思う。でも、それがなにかはやっぱり分かんないかな……」


 言い出した本人が一番驚いているのは、なんだかハルキらしかった。レイトは鞄を足で抑えて中腰になり、自分の側の窓から前方を眺める。


「やっぱり、なにも見えないね。そういえばどこに続いてるかって確認しなかったけど、まさか一周回って帰ってくるだけの路線とかじゃないよね?」

「それこそ誰も分かんねぇよ」ハルキが答える。「まっすぐ続いてんなら、方角的に先に進んでるだろうと思うけどな。見えないトンネルの中で曲がってようが切れてようが落ちてようが、出発しちまった以上は即座にトンネル掘って離脱! なんてできねぇしよ」

「考えるだけ無駄?」

「そりゃあな。手元に地図があるってわけでもねぇんだし」


 ハルキがまた石炭をひとすくいして足元に転がす。特に大きいかたまりの一つが、オレンジ色の光を浴びて命を持ったかのようにカタカタと揺れ続けていた。


 こう常に振動があると、多少左右に方向転換したところで気づけそうにない。せめてどれだけ進んだかを把握しようにも、通り過ぎる景色から速度のアタリもつけられなければ時間の感覚だって曖昧だ。


 なんというか、この無力感。ある種、強制連行ともいうべき状況なのかもしれないとレイトは思う。


「……あれ、遠くの方。なんだか明るくなってる気がしない?」


 ニタがそう言って身を乗り出したのは、まさにその時だった。


 レイトは一旦降ろしていた腰をもう一度持ち上げて、窓の向こうに目をこらす。

 足元に転がる石炭を一瞥してから、ハルキもニタに近付いて顔を寄せた。


「ああ、確かにあれは……そう見えるな。レイト、もう少し様子見しててくれ。あれなら見えるだろ?」

「うん。あの距離で反射してるとも思えないし、光源であることは間違いなさそうだね」


 時間が経つうちに、光点は段々と大きくなっていく。時々その位置が左右に動くことから、列車がカーブを曲がっているらしいことも分かった。


「んん……あの光、かまぼこ型だね。だいぶ大きくなってきた」

「向こうの景色とかそういうのは見えねぇのか?」

「暗闇に目が慣れちゃってるのと、単純に明度差で……白い、明るいってそれ以上のものは何も見えないね。でもあれ、さすがにライトじゃないでしょ」

「まんまトンネルの形だしな。果たしてあの先にはどんな世界が待ち受けているのでしょう……それは、くぐるまでのお楽しみってか」


 ハルキが忍び笑いをして石炭を勢いよくボイラー室へ放り込む。とにかく屋外に出られれば自分の仕事がまともに果たせそうだ、とレイトは人知れず胸を撫でおろした。このまま目的地までずっとトンネルのまま、言葉を話す荷物として道程を終えてしまうところだった。


「ニタちゃん、スピードには気を付けてね。トンネルを抜けてすぐは眩しくて周りがよく見えないだろうし、空気に晒されて線路も荒れてる部分が多いだろうから」

「こんなに大きくて重たい列車でも、やっぱり木の枝とか石とか踏んじゃダメなのかな?」

「ぶつかってどうこうというより、脱線が怖いからね……どうしても踏まざるを得ない時には、できるだけゆっくり進んだ方がいいかも」


 そんな会話をしているうちに、トンネルの出口はもう目の前にまで迫って来ていて。まだほとんどが真っ白な世界の中、中央にまっすぐ伸びる線路とそれを囲む二色の青が見える。


 なんだか、既視感のある光景だった。どこで、かは言うまでもない。地上に初めて足を踏み出したとき、あのハイウェイの終端から一望した景色だ。


 レイトの確信を裏付けるように、列車は光のアーチを通り抜けていく。


「――う、わ」

「……はっ」

「わあ……‼」


 それはまるで、空と海の狭間、中空に浮いて走っているかのような錯覚だった。


 遥か遠くの方で荒地に消えていく線路と、それを支えるコンクリートの土台だけが近くにある。左右には手すりすらついておらず、足元まで開け放たれた入り口から見えないくらいに土台の幅は狭く、眼下の海面はハイウェイから覗いた時より何倍も下の方にあった。


 潮風が横一文字に吹き抜け、防護服の上から懐かしい圧力をかけていく。新鮮な酸素を浴びた石炭が、パチパチと元気な音をたてて爆ぜる。


 列車の後方を振り返れば、視界のほとんどを塞ぐような枯れ山が堂々とそびえたっていた。今しがた出て来たばかりのトンネルが、真っ黒な口をその中腹にぽっかりと開けている。


 潮風が吹いてきた方向には、何にも遮られていない水平線。反対側には、遠くに連なる山と平原。


 三方を陸地に囲まれた海、この地形は確か湾という名前だったとレイトは思い出す。列車が走る線路は、その湾を囲む陸地の両端を最短距離で繋ぐように設計されたものらしかった。


 ハルキが姿勢を低くし、予想外に燃え上がってしまったボイラー室の火力調整をしている。赤熱した石炭を数個かきだすと立ち上がり、足を大きく振り上げて入り口から蹴り落とした。


「靴は燃えて……ねぇよな、よし。レイト、メーターに異常がないか一回確認してくれ」

「分かった、えーっと……とりあえず炉内温度と水温、蒸気圧力は大丈夫かな。変に数値がゼロだったり計測域外だったりじゃないってだけだけど」

「了解。まともに動いてるだけでも上々だな」


 もう一度メーターに目を通して見落としや見間違いがないか確認し、レイトは鞄の外側に取り付けておいた計器の方もチェックする。こちらはもう完全に針が振り切れてしまっていた。もしかしたらと淡い期待を寄せてはいたが、やはり防護服を外してこの絶景を五感で味わうことはできなさそうだ。


 ニタの運転の邪魔にならないよう気を遣いながら、運転席の手元と前方を照らしていた懐中電灯を回収する。ニタはブレーキレバーに手をかけながら前に身を乗り出して、線路の異常をなるべく早く察知するというレイトの指示を忠実に遂行してくれていた。


 レイトも入り口から首を出して土台の様子を確認してみたが、幸い周りに遮蔽物がないためかゴミの滞留のようなものは見られない。その代わりに、ハイウェイでも見た塩の結晶が大量にこびりついている。


 今までベースを刻んでいたリズムに車輪が塩を削るゴリゴリという旋律も加えながら、列車はゆっくりと荒地に向かって進んでいった。

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