出発準備
「……なにこれ? これが『列車』?」
「そうは見えねぇけどな。ほらこっち」
ハルキの手招きに応じて、ニタが小走りで列車の側面へ向かう。レイトはその場に残り、見たこともない形状の『頭』を観察していた。
風圧など全く考慮されていないのっぺらぼうの顔の中心に、円形のハンドルらしき一つ目が目立つ。額に張り付けられているのは、型番らしき数字とアルファベットが刻まれた銘板だ。車輪のついた立体的な台座はそれ以上の大きさで、分厚い金属板を無加工のままただ貼り合わせたような無骨さと厳めしさが、支えている重さを如実に物語っている。
そしてそれが、失敗したパノラマ写真のように後ろに向かって引き延ばされているのだ。更に上部に光を当てると、最前部にコック帽のごとく乗っかっている……あれは煙突か?
正気を疑った。ここは地下だぞ。
地下都市の火力発電所にも煙突はあったが、あれは地上まで突き出していた。こんな狭い空間で煙をモクモクと吹き出したらどうなるかなんて、知識のない子供でも大体察しはつくものじゃないのか。
「レイちゃーん! こっち来てー!」
ニタに呼ばれ、レイトは遠くで漏れる光を頼りに列車の側面に沿って移動する。着いてみると、二人は車両の最後部に乗り込んでいた。
ハンドルやらレバーやらがごちゃごちゃと埋め尽くした空間の中、ハルキが床面近くの穴から『頭』の内部を覗き込んでいる。どうやら可動式の蓋があるらしく、ニタが近くのレバーを掴んでいた。
「ここが、動力部のはずなんだよ。この中に燃料を放り込んで燃やせば、蒸気でなんか動くっていう……俺も、現物で見たのは初めてだから詳しい構造とかは分かんねぇんだけどさ」
「電気がいらないなら動くかもしれないってハルちゃんと話してたの。レイちゃん、なにか知ってることある?」
「いや、むしろ僕は電気関係が専門なんだけど……」レイトはハルキの隣に膝をつき、同じようにして中を覗き込んだ。「蒸気ってことは水が中に入ってないといけないんだよね。沸騰させるためだから腐ってても平気だけど、そもそも入ってるのかどうか……うーん、やっぱりボイラー室からじゃ見えないか」
「揺らして確認ってのも、さすがにこの図体じゃ俺でも無理そうだな。一か八かで火ぃつけてみるか? もうそれしかねぇだろ」
もし爆発するようなことがあっても、駅にいる限りはある程度距離が取れる。それなら賭けてみてもいいか、とレイトは首を縦に振った。
「それと、もう一つは燃料だね。ボイラー室は空っぽだから、燃やすものを手に入れないと。木材なら戻ればいっぱいあるけど、たぶんこれ……ものすごい量が必要になるよね……」
「あ、それなら大丈夫!」
ニタが空いている方の手で列車の後ろを指さした。見ると、黒い石のようなものが鉄箱に山盛りになっている。どうやらこれも車両のようで、箱の乗った台車が先頭車両にしっかりと連結されていた。
「えっと、これは……ああ、石炭か! へえ、まだこんなに残ってたんだ……全部かき集めて宇宙船の燃料にしたって話だったと思うんだけど」
「地下の埋蔵分はってことだろ」ハルキが立ちあがって腰を伸ばす。「その前に採掘されてた分は探さなかったんじゃねぇの? 別にここ、正式な保管庫ってわけでもないんだしよ」
なるほど、とレイトは石炭を一つ手に取る。さらりとした感触と冷たい温度が防護服越しに伝わってきて、表面の粉が指を黒く染めた。軽く触った所感でしかないが、特に問題もなく使えそうだった。
「うん、それじゃあ燃料は大丈夫と。焚きつけには、せっかくだから余ってる松明を利用しようか」
手の中の石炭をボイラー室に投げ入れ、レイトは他に何かないかと狭い空間を観察する。隅に一つだけ、元は布張りだっただろう椅子が置いてあった。その周りにレバーの多くが集まっていることから、ここが運転席なのだろうと推測する。
「鼻先とはずいぶん距離があいてるな……ん。そういえばハルキ、運転ってできるの?」
「今日初めて触ったもんの運転を? 俺が?」
「いやだって、運転できなきゃ動いてもダメじゃん。せめてマニュアル的な知識とか――」
「はいはーい! じゃあ私、やってみたい!」
きょとんとするハルキの後ろから、ニタが元気よく手を上げる。ハルキの腕を持ち上げて下をくぐり抜け、椅子の上に腰を下ろした。
「わあ、レバーがいっぱい……えーっと、どれだろ。これかな?」
「ニタちゃん、今はたぶんどれ触っても反応しないと思うよ」
勇気があるのか無鉄砲なのか、手当たり次第にレバーを動かしまくるニタ。シールドの奥で眉間にしわを寄せながら、ハルキは片手で頭を押さえている。
「あー、なんだったかな……確か、写真見ながらそんな話を聞いたは聞いたんだよ。聞き流したんだけど」
「そんなって、運転の仕方を? 操車場のお爺ちゃんって一体何歳なわけ?」
「辛うじて人間やめてないくらい。あーそうだ、アレだ……えっとな」
レイトと場所を入れ替わり、ハルキはニタの腕に触れる。気づいたニタが大人しくなるのを待って、レバーのいくつかに手を伸ばした。
「メーターの上に天井から出てる、これが確かアクセル。で、下のこの臼みたいなやつに乗っかってるのが、ブレーキ。それだけ覚えてる」
「えと、ブレーキっぽいの、二本あるけど」
「知らん。どっちもブレーキ」
「え、それでいいの? ほんとに?」
疑わしそうな声を上げながらも、ニタは言われたレバーを数回ひねる。ハルキは満足そうに大きく一度頷くと、ニタの肩を軽く叩いた。
「んじゃあ、運転は任せたぜ。俺は、こっち担当だから」
言ってくるりと反転し、レイトの脇に手を伸ばす。機械の陰になった部分に、錆びた角型のシャベルが立てかけてあった。
「石炭、手作業じゃあるまいしこれで放り込むんだろ? どう見ても一番の力仕事だし、俺が適任だよな」
そしてハルキはシャベルを手の中で一回転させ、勢いよく石炭の山に差し込む。硬質な音が鳴ったが、簡単に折れないだけの強度はまだ残っていたらしい。そのままいくつかを転げ落としながら持ち上げ、ボイラー室へひょいひょいとリズミカルに放り込んでいった。
ボイラー室にみるみる石炭が溜まっていくのを眺めながら、ふと、レイトは自分が手持ち無沙汰なことに気づく。二人がそれぞれ自分に割り当てられた仕事に着手するなか、自分だけが隅っこでただじっと立っているのはどうにも所在ない。
何かないかと鞄に奥まで手を突っ込んでみると、底の方からくしゃくしゃになった地図が出てきた。そういえば自然エリアに一週間も滞在しているうちに、地図を描いていたことをすっかり忘れていた。
せっかくだし続きを描いてやろうかとも考えたが、あの森の街から先はすっかり白紙なのである。仕方ないと呟いて、レイトは地図を綺麗に四つ折りにするとまた鞄の底にしまい直した。街からここまではほぼ一本道だったわけだし、帰り道になったらまた活用することにしよう。
さて、それで。結局、やることがないのは変わらないわけだが。
「あの……僕は何をすれば」
「んー、燃料と運転以外の全部。見張りとか、荷物の管理とか、メーターの確認とか、疲れた時のピンチヒッターとか。おまえなら、器用に色々できそうだし」
案外あっさりと、ハルキは幾つもの仕事を羅列する。内容的にはどう考えても雑用係でしかなかったが、そういう役割が案外重要であることもレイトはまた知っていた。
ただし、これらが役立つのは出発した後である。すなわち、準備中の今現在においてはやはり仕事がないと、そういうことだった。
石炭が十分量になるまでには、まだもう少しかかるだろう。レイトは一旦先頭車両を降り、列車の後部の方まで足を延ばしてみることにする。
先頭車両、石炭車両のさらにその奥。半分崩れかけたような木製の客車が三つ連なっていたが、石炭車両との間に連結はされていない。荷物の運搬には客車があったほうがいいが、専門の知識がない以上これは諦めるしかないだろう。石炭車両がくっついてくれていただけで御の字だ。
通路は、列車の最後尾からもう少し先まで続いている。端まで行ってもう一つの通路の方を見ると、そちらにも違う列車が止まっていた。元々の彩色が分からないほどに古びてしまっているが、こちらはレイトにも馴染みがある形状に近い。つまり電力で動くということであり、となるとやはり今の状況で動かすことはできなさそうだった。
それならそれでなにか有用そうなアイテムを掘り出しに行こうか。一度はレイトもそう考えたが、上の階を捜索した時の無収穫っぷりが思い出されてその気も萎える。ヘルメットや計器のように、特殊環境で大切に保護されているものがあるとも考えにくい。
結局、通路上だけを全部照らしまわってレイトは調査を終わりにした。唯一、かつて駅名が書かれていたであろう錆びきった看板の発見だけが収穫だった。
「ハルキ、調子はどう?」
「おー、もう大体終わったぜ。ニタ、おまえはどうだ? 運転できそうか?」
「うん、たぶん。機械に触ることって今まであんまりなかったから、まだ心配だけど」
クイクイっとアクセルレバーを動かすニタ。なかなかさまになっているが、座高が少し足りていない。腰を浮かせてしまっているのを見て、レイトは鞄の中から大きめのタオルを取り出した。
「ニタちゃん、良かったらこれ、お尻の下に。高さもそうだけど、椅子が硬いでしょ?」
「あ、ありがとう! よいしょ……うーん、高さはもう少しかな?」
「じゃ、これ使え」
ハルキがタオルの下に大きな石炭を挟み込む。今度は足の裏が床から離れてしまったが、ニタはとても楽しそうに足をゆらゆらさせた。
「踏ん張りたかったら、そこら辺の機械にでも足置けよ。よし、じゃあそういうことで……戻るぞ!」
「え、戻る? どこに?」
「上だよ。これからしばらくは防護服脱げなくなるんだから、できるだけ食っとかないとな。あとタバコが吸いてぇ」
鞄を漁り、昨日焼いておいた犬肉を取り出すハルキ。レイトとニタも普段の倍近い食料を抱え、胸いっぱいに綺麗な空気を吸いこむべく通路を引き返していくことに決めたのだった。
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