五章 ここで生きるために
線路の終着点
時々役割を交代しながら列車を走らせ、八時間ほど経過しただろうか。辺りがとっぷりと闇に染まった頃、列車は目的地近くに到着したようだった。
風が吹くと、防護服の皺に乾いた砂がたまる。荒い質感を指先で感じながら払い落とし、レイトは寒くもないのに身を震わせた。
周辺が荒漠としているのを、見えないながらに直感で感じ取る。
それだけでなく、どこか殺伐とした空気に満たされているのも。
「……聞こえるか? エンジン音だ」
ハルキがシャベルを動かす手を止め、天井を睨んだ。レイトは耳に意識を集中させるが、車輪とボイラー室の音に邪魔されて他の音は聞こえてきそうにない。
ならば、と前方の窓から首を突き出して直接空を見上げる。星の一つも見えない垂れこめた曇天を背景に、チカチカと点滅する小さな光が遠くの方で動き回っていた。
「あれが、件の無人兵器だね。見えるのは戦闘機だけだけど……あの様子じゃ、他の種類もしっかり生き残ってるだろうなあ」
「兵器……戦争って、やっぱり私はよく分かんないんだけどね」ニタも同じ光景を見ているのだろう、声は外から列車の『頭』を超えて聞こえてくる。「今、私たちの周りにあるのが、戦争の空気なんだとしたら……私は、嫌い。レイちゃんとハルちゃんが止めようとしてるっていうの、なんだか分かるような気がするな」
「こんなもん、好きなヤツなんていねぇだろ。どいつもこいつも争うのは好きなくせに腰抜けばっかだから、だから無人兵器なんてもんを作ったんだ」
ハルキが垂直に振り下ろしたシャベルの下で、石炭が粉々に砕け散る。
レイトもハルキも、戦争に直接関わりがあるわけではない。地下都市は国家の概念を失くして久しく、だからこそ忌まわしい歴史の一ページとして話に聞いていた程度に過ぎない。
それを他人事でなくちゃんと調べ始めたのは、止めるという目標を定めた時からだった。
戦争は、国家の権力者が己の支配欲と物欲に任せてぶつかり合うために始めたもの。それを知った時、やるせのない怒りと無力感に襲われたのを覚えている。ハルキに至っては衝動に任せるまま、情報デバイスを地面に叩きつけて破壊してしまったほどだ。
レイトにとっては、自分から両親を奪い絶望の淵に叩き落としたもの。最高にくだらない、人間社会における権力というもの。
耐えて、耐えて、ようやく逃げおおせたと思ったら今度は過去のそれが立ちはだかるというのだ。歴史の残滓とはいえ、どこに向かおうとも頭上にその影が落ちる、逃れられないというプレッシャーを無責任に浴びせられるのは苦痛でしかなかった。
「アレ、もともとの発端は何だった? 油田の取り合いかなんかだったか?」
「記録には、表向きは石油資源の権利問題だったって書いてたね。裏に陰謀論的な本音があって、公的文書こそないけどメディアや言説の流布とか……プロパガンダがどうとか……」
言っていて自分でもよく分からなくなってくる。巧妙な情報統制による民意の誘導というのが地下都市になかったわけではないが、そもそも国家間の争いなんていうものに馴染みがなさすぎるのだ。実感の湧かない知識は、どうも記憶の中心にまで染み込んでこない。
ハルキもいまいち理解が及ばないらしく、上を向いたまま完全に手を止めてしまっている。レイトは首を振って、この不毛な話題を変えることにした。
「ニタちゃん、そっち側に兵器っぽいのは見える? まだしばらくは大丈夫だと思うけど、あんまり近づきすぎないようにしないと」
「んー……あのね、まだまだ遠くだけど、建物っぽい光が見えるの。動かないから兵器じゃないかもだけど、このまままっすぐ進んだら結構近くを通りそう」
「え、建物? いま建物って言った?」
レイトは窓から身を離し、ニタの後ろに移動する。遠くに見える複数の光は一か所に集って並んでいて、確かに独立した大きな建物のように見えた。
いや、戦闘機がまだ正常に飛んでいるくらいなのだから、建物に明かりが灯っていてもおかしくはないのだが。
「補充用の格納庫かもな」ハルキのいる場所からも、光は見えているらしい。「建物ならむしろ好都合じゃねぇか? なんかあったときのために管理者の一人や二人はいただろうし、自分の手を汚したくない人間様が出入りする場所……いわば、それだけ安全ってことになるんだしよ」
「うん、それなら近くを通るどころか駅があるかもしれないね。こんな場所であんまり屋外活動はしたくないし、願ったり叶ったりだ」
線路は緩やかな曲線を描き、当初の想定よりもさらに建物へと近づいていく。
そして数十分後、飛び回る戦闘機のシルエットが辛うじて視認できるようになった頃に、列車は断末魔のごとき金切り声をあげて停車した。レイトが予想した通り、建物の一階でガレージのようになったそこはれっきとした駅のようだった。
「通過駅じゃなくてここが終着点とはな」ボイラー室から完全に炎が消えたのを確認し、ハルキは列車から飛び降りる。「んで、結局ここはどういう施設だ? 戦争の道具が詰まってるにしちゃ、やけに小綺麗だけど」
「照明もしっかり現役だね……ありがたいけど、不気味といえば不気味というか……」
「ちょっと二人とも! これ忘れないでってば!」
両手いっぱいに荷物を抱えたニタが、まとめて持ち上げようとして尻もちをつく。探求心のまま外に踏み出しかけていたレイトは、慌てて踵を返すと自分が担当していた方の鞄を担ぎ上げた。
「よいしょ、ごめんごめん……ほらハルキも、水持ってってば」
「あいよ。ま、置いてったところで、こんなところにわざわざ奪いに来るヤツなんていないと思うけどな」
ハルキも水の袋を受け取り、三人はこんどこそ列車から降りる。駅に他の列車の姿はなく、人や野生動物らしき気配も感じられなかった。戦闘機のエンジン音とかすかな銃声、建物内の機械が動作する低い駆動音だけが、そこにある全てだった。
駅の調査もそこそこに、ニタが隅に設置されたガラス扉を発見する。どうやら、この扉から建物の内部に入れるらしい。取っ手のないセンサー式の自動ドアは、レイトが手をかざすと簡単に開いた。来訪者を選別する機能はついていないようだった。
「ええ、駆動系まで異常なし? ここほんとに四百年間ほったらかしなわけ?」
「俺としちゃ、無理矢理ぶち破る手間が省けて良かったけどな。ガラスって刺さると地味に痛ぇし、取るのめんどくせぇんだよ」
手を前に出したまま固まるレイトの横を、ハルキは当然のようにすりぬけて中の小部屋に入っていく。後ろから顔を出したニタも続いて、それでも動かないレイトの顔を振り返って心配そうに覗き込んだ。
「どしたの、レイちゃん? 入らないの?」
「え、いや、うん……入るけど……」
単純な構造の照明設備とは違い、複雑な信号処理回路を要する自動ドア。ましてやセンサーなんて、一番肝心な部分が露出しているのだ。仮に地下都市で最高の技術力を注ぎ込んだとしても、何の不具合も故障もなく四百年以上通常稼働を続ける機械だなんてありえない。
となると、導き出される解答は一つだった。
この建物のどこかに、少なくとも機械のメンテナンスができる程度の人間がいる。
いっそ、未知の超絶科学力が当時の主流だった、などと楽観的に捉えてしまおうか。
「おいレイト、いつまでそこに突っ立ってんだよ。そっちのドアが閉まらないとこっちのが開かねぇって、ここに書いてあんだけど」
小部屋の反対側に金属製の扉があり、ハルキはその傍らに取り付けてあるプレートを指先で叩いていた。レイトが一歩前に進むと、背後で入り口の扉が音もなく閉まっていく。
「ねぇハルキ、何か感じ取れたりしない?」
「何かってなんだよ。俺に霊感はねぇぞ」
「いやそうじゃなくて誰か――」
鼓膜を直接切り裂くようなサイレンの音が、レイトの言葉を遮った。赤い回転灯が頭上で動きだし、機械音声が天井の隅にあるスピーカーから流れてくる。
『空質測定器の異常を検知しました。清浄化を開始します』
『清浄中……防護服の着用を維持してください』
「は、おいなんだよ異常って⁉ 俺たちを排除する気ならかかって来いよ迎え撃ってやる!」
「ちょ、ハルキ落ち着いて‼」
今にもスピーカーに殴りかからんとするハルキを、レイトは全身で押しとどめる。とはいえなんの歯止めにもならずただぶら下がっていただけだったが、ハルキは幾分か冷静になってくれたようだった。
「……そうだよな。スピーカーじゃなくて、その向こうにいるやつをぶっ倒さないと解決しないよな」
「んんんだからそうじゃなくて!」
「ハルちゃん、たぶん空気を綺麗にしてくれてるんだと思うよ。防護服って言ってたし……」
ニタの言葉に同調するように、機械音声が清浄中の音声を繰り返す。
膠着状態のまま、さらに十秒ほどが経過して。
不意にサイレンと回転灯が止まった。こう突然静かになると、残響が耳の奥でぐるぐる回転して平衡感覚が失われるような気分だった。
『清浄化が完了しました。防護服の脱衣後、速やかに施設内へ進んでください』
『登録情報、確認できません――ようこそ。貴殿の来訪を、心より歓迎します』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます