四章 弱者の奔走

地下遺跡へ

 冷たい、湿った風が吹き出している。


 草だらけの地面に突然ぽっかりと現れた長方形の穴を前に、レイトとニタは無言で顔を見合わせた。


 アイゼルが教えてくれた地下への入り口は、拠点の地下室への階段とほとんど同じ構造だった。穴の四方に折れた金属のポールのようなものがあることから、昔はここに屋根がついていたのだろうとレイトは考える。


 幸い階段は崩れておらず、奥から獣らしき気配もしない。ただ、ひたすらに真っ暗だった。つまりここでも、電力消費がどうとか言っている場合ではないということ。レイトは迷わず鞄から懐中電灯を引っ張り出す。


「あっ、待ってレイちゃん、その前になんだけど」


 いざ、階段に踏み込もうとしたレイトをニタが引き留めた。レイトは振り返り、周りを見回して眉をひそめる。


「あんまりゆっくりはしていられないよ。もう雨もやんじゃったからいつ何が出てくるか分からないし、ここは周りよりも見通しがいいから」

「うん、それは分かってるんだけどね。真っ暗だから、枝とか拾っておいた方がいいと思って」

「枝? なんで?」


 首を傾げるレイトに向け、ニタは足元の枝を一本拾い上げてみせる。太さは指を回してぴったり掴めるくらい、長さはニタの前腕ほどだった。


「レイちゃん、もしかして松明って知らない? こういう枝の先に枯草とか油に浸した布とか、燃えやすいものを付けて火をつけて灯りにするの」

「うーん、聞いたことないかな……地下都市じゃ電気が全域に普及してたせいだと思うけど、ちょっと待ってね」


 手法はなんとも原始的だが、補充目途の立たない電力を節約できるのならこれを使わない手はない。手早く鞄を身体の前に回し、レイトは中を確認する。


 タオルが数枚とニタと出会った時に使っていたロープ、ハルキが置いて行ったライターと大量のライターオイル……ニタが言った通りのものが作れるだけの材料は揃っていた。


「そうだね、これなら……分かった、じゃあ二人で手早く何本か枝を探して、組み立ては下でやろう。完全に封鎖された地下なら酸素の問題があるけど、アイゼルさんは崩れてる場所もあるって言ってたし大丈夫だと思う」


 ニタが大きく頷き、近くの木の下を両手でかき分け始める。レイトはその場に留まって視界を確保しつつ、強く息を吐いて水の袋を担ぎ直すと周囲全体にまんべんなく視線を走らせた。


 その気になれば案外簡単に見つかるもので、発見した枝がニタの手によって次々とレイトの足元に投げ落とされていく。

 それが五本を数えたところで、レイトはニタにストップの合図を出した。


「おっけー、じゃあこれは私が持つね! いい組み立て場所、あるかなあ」


 ニタは両腕に枝を抱え、なんだかうきうきしている様子だ。苔の生えたコンクリートの階段に先導して一歩一歩足を踏み下ろしながら、レイトは組み立て作業の手順を脳内で復唱する。

 あるいは手元の懐中電灯を見て、スイッチ一つで灯りが手に入るのはなんて素晴らしい技術進歩なのだろう、などと一人で感動したりして。


 そうして階段を降りきった場所は、どうやら地下道のようだった。

 粉っぽくどこか獣臭い空気に満たされた、階段の二倍ほどの幅の四角い通路が奥までまっすぐ続いている。奥壁までは懐中電灯の光も届かず、その先がどうなっているかを今すぐに知ることはできなかった。


 割れた蛍光灯が等間隔に並ぶ天井と、元は何かカラフルなペイントがされていたであろう壁。それらの表面が崩れ、コンクリートの破片が薄く降り積もる床はタイル貼りになっているらしい。森の中から続く通路といえば洞窟のようなものだとばかり思っていたが、なかなかどうして近代的な造りをしていた。


「わあ、不思議な場所……なにか、また落ちてるかな?」

「ちょっとニタちゃん、遺物を探すのは後だって。先にここで組み立てをやっちゃおう」


 残念ながら、周囲に手ごろな台は見当たらなかった。レイトは足元の地面を覆う破片を足で雑によけ、その脇に鞄を置いて材料を取り出す。簡易作業スペースとして設定した範囲を懐中電灯で照らすと、ニタが持って来た枝をその中に転がした。


 ナイフでタオルの一枚を裂き、枝に巻いてロープで縛り固定。完成した中から一本だけを選び取り、ライターオイルをぶっかけて火を灯す。少し時間はかかったが、綺麗なオレンジ色の炎が棒の先端で見事にゆらめいた。


 レイトは懐中電灯の明かりを消し、松明を壁にかざしてみる。遠くを見るには人工物のライトに敵わないが、なるほど、周囲を照らす目的ならこちらの方が優秀かもしれない。


 ニタがもう一本を拾い上げてしきりに差し出すので、そちらにもオイルをかけて火を灯してやる。残りの三本を片腕で宝物のように抱き締めながら、レイトとは反対側の壁を念入りに調べ始めるニタだった。


「ずっとこんなことやってたら、全然進まないよ」レイトは笑ってそう声を投げかけるが、自身もあふれ出る興味には逆らえない人間である。「でも、まあ、最初だし。ちょっとくらいはいいか。よし、調査だ調査!」

「調査だ調査!」


 弾むような声でニタが復唱する。二人の声が、通路の奥の方まで飛んでかすかに反射した。


 左右に分かれたまま、亀より遅い速度で前進しながら壁をくまなく照らしていく。瓦礫ばかりで草すら生えていない風景は、全くと言っていいほど変化を見せる様子がなかった。地下都市の管理施設も無機質さにかけては同等だったが、あそこには少なくとも投影掲示板やら伝達モジュールやらが散見されたものだ。


「それにしてもさ」代わり映えのしない光景に段々と嫌気がさしてきたレイトは、背後のニタに声をかける。「ここの入り口って、普通に森の中にあったよね。本当に、この先が汚染エリアに繋がってるのかな? アイゼルさんは不毛地帯って呼んでたけど」

「んー、どうだろ。奥に高い丘みたいなのがあったし、見えないだけであの先から変わってるんじゃない?」

「あー、確かにその可能性はあるか。でも放射線って、地形で遮られるものなのかな……?」


 この通路やシェルターを例に挙げるなら、分厚い土やコンクリートで遮断しているということになる。出発前に仕入れた情報から、とりあえず鉛で囲えば大丈夫らしい、ということだけが最低限分かっているが……もしかしたら、通路やシェルターの外壁にも鉛が埋め込まれているのだろうか。汚染エリアから先は防護服を着て侵入する前提であったため、生身での被曝対策をすっかり怠ってしまっていた。


「あ! ねえレイちゃん、こっち来て!」


 と、ニタがなにやら発見したらしい。振り向くと、ニタが指さす先に二つの入り口が並んでぽっかりと穴をあけていた。扉はない。腐食して崩れたのではなく、そもそも最初から設置されていないようだ。


「この感じだと……トイレかな? ちょっと覗いてみようか」


 レイトは松明をニタに渡す。懐中電灯を取り出して、光を右側の入り口の中に向けた。仮にこちら側が女子トイレだったとして、さすがにそれを糾弾されることはないと信じたい。


 最初は足元から、徐々に奥の方へと光を移動させる。レイトの読みは当たっていたようで、細かなタイル張りの床に銀色の排水口が現れた。壁側に光を移せば複数のしきりと空いた扉、反対側には曇った鏡と洗面台……。


「さすがに怖いな、この雰囲気。幽霊とか都市伝説とか、ホラーな話題に事欠かないのも分かるよね」


 ともあれ、差し当たって危険な要素は見当たらなかった。再び懐中電灯を松明に持ち替え、レイトはニタと共にトイレ内へと踏み込む。一番近くの個室を覗き込んだその瞬間、大きく黒い影が高速で視界の外へと移動していった。


「うわぁあっ⁉」

「どしたの、なんかいたの⁉」


 一歩後ずさったレイトの背にニタの手が触れる。レイトは慌てて周囲をできる限り照らしてみたが、もう影の姿はどこにもない。


「いや、たぶん、虫だと思うんだけどさ……」レイトは呼吸を整えながら話す。「十五センチくらいはあったよ。犬と同じで、虫も巨大化してるのかな? だとしたら、これって環境レベルの影響……まさか、それこそ放射線とか……?」


 放射線と放射能と、どちらの言葉を使うのが正しいのだったか。ふと浮かんだ疑問をこの際どうでもいいと脳内で一蹴しつつ、レイトはその場で考え込む。個体差や他の生物のことにまでついつい思考が及び、ニタに肩を叩かれた時には思わず跳び上がってしまった。ニタもつられて身体を跳ねさせる。


「ひゃっ……ごめんね、集中してた?」

「いや、大丈夫。どうしたの?」

「これ、何かを計ってるみたいなんだけどレイちゃんなら分かるかなって」


 ニタが示したのは、壁に取り付けられた円形の計器だった。機械もパイプも付属しておらず、これ単体で機能する仕組みのようだ。プラスチックのカバーで保護されているせいか、アナログな一本針で示された内側の目盛がまだ読める。


「えーと、どれどれ……? 数字的に気温や湿度じゃなさそうだけど、見たことない単位だな……時間当たり、マイクロ……Sv?」


 正しく機能しているのであれば、今現在の数値は0.09だ。これが多いのか少ないのかは分からないが、目盛の中心よりゼロに近いということはきっと多い方ではないのだろう。


 それよりも、問題はこれがトイレに設置されていた、ということである。今までの人生でレイトがトイレに行った回数はゆうに数万回を超えているが、こんなものにはついぞ出会ったことがない。温度計や湿度計なら、二、三回ほど見た記憶があるが。


「分からないけど、もしかしたらこの場所で重要なものなのかもしれない。これ、持っていけるかな」


 そっと計器を掴み、軽く揺さぶってみる。壁には硬く接着されたままだったが、その壁がボロリと取れた。


「あっ……ま、まあ、取れたからいいか」

「だいぶおっきくなっちゃったね。鞄に入る?」


 大丈夫、とレイトは剥がれた壁の部分を残った壁面に軽くぶつけた。さすがに腐食が進んでいる部分らしく、案の定衝撃を受けた箇所から次々と細かな破片になって地面に零れ落ちていく。


 そうして計器の周囲ギリギリまで範囲を狭めれば、片手で簡単に握ることができる大きさにまでなった。

 それを鞄に入れてもらおうとニタに手渡す、その直前でレイトは考えを急転回させる。


「ん、いや、やっぱりいいや。このまま手に持って行こう」

「い、いいの? それだと両手がふさがっちゃうよ?」


 受け取ろうと片手を差し出したまま、ニタは瞬きを繰り返した。レイトは頷き、計器の目盛部分を表に向けてニタに見せる。プラスチックのカバーは一見原形を留めているように見えるが、周囲の壁と同じで軽く力を加えればバラバラに砕け散ってしまいそうだった。


「ほらこれ、鞄に入れたらいつのまにか振動とかで壊れてそうじゃない? それに、計器なんだから常に見られるようにしておかないと意味がないしね」

「うーん……でも、何を計ってるかはまだ分からないんでしょ?」

「それはそうなんだけど、ほら、道中にヒントになるものがあるかもしれないし。解説書なんかがあったら最高だけど、さすがに紙類は四百年も残ってないよね……液晶も、電源は生きてないだろうしなあ」


 言いながらトイレ全体を奥まで覗き込んでみるが、やはり関係がありそうなものは一つとして見当たらない。しいて言うなら排水口に近付いた時、計器の目盛が少しプラスに向かって揺れたことくらいだろうか。ただそれも誤差と呼べる程度で、もうこの場所から得られるものは他になさそうだった。


 二人はトイレを出て、再び通路の奥へと進むことにする。もう片方のトイレの中も懐中電灯で入り口から軽く照らしてみたが、こちらは天井が完全に崩れ落ちていた。外気の流入はなかったものの、とても調査できる状態ではなさそうだ。


 取り出したついでに、とレイトは通路の奥にも光線を向ける。つきあたりがようやく近付いてきたようで、終端にまで到達した光が奥壁に白い円を作る。


 その左右には、片側だけ光の当たらない場所があった。そこに小型のブラックホールでも生成されているのでなければ、その先に道が続いているということだ。

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