不安の中で

 ニタの持つ野草知識の恩恵は凄まじいものだった。


 なにせ街の周りには、どこを見ても木と草とそれに類するものしかないのである。ニタが次々と選び取った食材の山を積み上げていく半面、レイトの収穫量は両手の指で数えきれるくらいの微々たるものでしかなかった。見覚えがあるような気がする、程度のものをプチプチと摘み取ってニタの元へと持っていくが、それも大半が却下されてしまう。


「例えばこう……葉の裏をひっくり返してみたら、名前とか成分とかのラベルが貼ってある……とか。うん、ないよね。知ってた」


 子供に与えれば、いい遊び道具になるだろうか。傘のような形をした撥水性の高い大きな葉をつまみ、水滴をコロコロと転がしながらレイトはそう考える。もはや成果をあげようという気力は残されていなかった。


 目を皿のようにして穴が開くほど見詰めたって、知らない情報はいつまでたっても手に入らない。今まさに自身が触れている葉の地下茎、ざらざらと細かい毛の生えた丸い芋がこの日最大の収穫物になることも、日没間近にニタがやってくるまで知り得ないのだった。


 一日、二日、三日。慣れない作業に辟易としながらひたすらに手を動かす時間は、思ったより何倍も早く過ぎていく。

 池で水を補充するついでに魚や貝でも捕まえられないかと、水の中を探ってみたことも一度や二度ではなかった。しかしその度に底の泥と少しばかりの水草が指に絡みつくだけで、肌がつるつるになる以上の手ごたえは一向に得られずじまいである。


 そんな調子で全くの能無しでしかなかったレイトがついに力を発揮したのは、食料集めが終わった後、道先の確認をしに行こうという時だった。


 犬の侵入を阻んでいた音響装置の発信源となる機械を、それまでの三日間でレイトはすっかり特定できていた。下草に覆われツルがこれでもかと絡みつき、街の中心部にほど近い廃屋の裏側で生き埋めになっていたのである。


 機械の形状自体は今までに見たこともないようなものだったが、電気関係ともなれば大体の構造はパターン化での記憶ができていた。『電源』『発信機』『コンソール』『バッテリー』と、それらを繋ぐいくつかの小回路。各部位の役割と配置を大まかに把握してから、レイトは街中を探し回って廃材や鉄くずを集めてくる。


 そうして丸一日かけて組み上げたのが、不格好な携帯用小型音響装置と一辺が約一メートルの正方形をした二枚の反射板だった。


「チャンネルが二つ余ってたんだ。この機械、電波強度がやけに強くてね」レイトの説明を、ニタは三パーセントだけ理解できたような顔で聞いている。「自家発電機でも余ってれば、電波の中継器も作れそうだったんだけど。この板で電波を上手いこと反射させて、障害物になっている木を避けていければ……歩いて半日、の距離は難しいか。そこまでじゃなくても、半分くらいの距離は補えるかもしれない」


 進むべき道の方向だけは、アイゼルのおかげで既に判明している。ハルキという戦闘要員がいない以上、危険な道のりをただ確認だけで終わらせるというのは犬の口に自ら飛び込んでいくようなものだ。


 反射板の設置と、音響装置の有効範囲の確認。それが現状の二人にできる最良の手段であり、範囲外については一発勝負で行くしかないとレイトは考えたのである。


「んー、やっぱりレイちゃんの説明は難しくてよく分かんなかったけど」ニタが反射板の一枚を持ち上げ、甲羅のように身を隠してしゃがむ。「こうやって隠れれば、犬の噛みつきにも耐えられそうだよね?」

「重いから、回り込んでの二撃目には間に合わないだろうけどね。あー、でもハルキなら余裕で振り回せるかもだし……あらかじめ持ち手を付けておいて、殴れる盾として一枚持ってってもらうのもいいかもしれないな」


 試しに、レイトも反射板を担ぎ上げて身体の軸を回転させてみる。その場で立って一歩も動かず、防戦一方という条件下であれば、それなりに持ちこたえられそうだった。


「なるほど……うん。まあ、どっちにしろ運ばなくちゃいけないんだもんね。よし、明日までに木かツルで裏側にそれっぽいのを付けとくよ」


 ニタが期待に満ちた瞳でレイトをキラキラと見詰めている。レイトは緩む頬もそのままに、大袈裟な動作で意味もなく袖をまくり上げた。


 薄いとはいえ素材は鉄、長距離を運ぶには少々重くなってしまった反射板。作業はもれなく二日間に分けられることとなり、終わった時点で既に六日目も日暮れを迎えていて。


 結論から言ってしまうと、七日目の朝を迎えた時点でハルキはまだ帰ってきていなかったのだった。


 三人が何とか一週間食いつないでいけるだけの食料は集まり、電波も大体ではあるが三分の一ほどの距離まで確保できている。あとはハルキさえ帰って来てくれれば今すぐにでも出発できる、そんな状態で二人は足踏みをしているのだった。


 今日の天気は雨。一週間前の豪雨とは違う、しっとりと柔らかな霧雨である。


「レイちゃん、干してた野菜まだ大丈夫だったよ! すっかり乾いてたから、全部取り込んできちゃった」


 水分が抜けて半分以下にまで小さくなった森の幸を両腕いっぱいに抱え、前が半分見えていないような状態のニタが拠点に戻ってきた。天井の穴からぼんやりと上空を眺めていたレイトは、名前を呼ばれてはっと我に返る。


「あ……ああ! ごめん、すっかり任せちゃって……濡れてなくて良かったよ」

「カビが生えたら困るもんね。これはもう鞄に押し込んじゃうけど……レイちゃん、顔拭いた方がいいよ?」


 言われて、レイトは自分の両頬に触れる。雨粒が細かすぎて全く気にしていなかったが、顔全体がとてつもなく潤っていた。そういえば以前、これと似たような化粧品の広告を地下都市で見たような、見なかったような。


 レイトは床に積んでいたタオルを一枚拾い上げ、広げて顔面に押し当てる。背後でガサゴソと荷物整理の音を響かせながら、ニタが言葉を探すようにゆっくりと話しだした。


「私の記憶が間違ってなければ、今日で一週間、だよね。ハルちゃん帰ってこないけど、どうする? 今日一日は、まだここで待ってる?」

「ああ、うん。それなんだけどね」レイトは顔を上げて振り向き、ニタの背中越しに戸口の外へ視線を送る。「ニタちゃんも見たと思うけど、今日の雨はほとんど霧みたいな感じなんだ。濡れるのをそんなに気にしなくてもよくて、音は雨がある程度吸収してくれて、遠くの景色は白く霞んでる。だからその……出発するには、最高のコンディションなんだよね」


 途端、ニタの動きがピタリと止まった。返事はない。鞄の中身をいじくる手を止め、下を向いたままじっと身をこわばらせている。


 その様子をレイトが静かに見ていると、やがてニタは小さな掛け声と共に鞄を抱え上げた。そのままくるりと方向転換して、レイトの腕の中に鞄を押し付けるようにする。伏せた視線は、レイトの胸に固定されていた。


「えへへ……やっぱり、ハルちゃんがいないとちょっと怖いね。頑張るって決めたはずなのに、いざ出発、って考えたら足がすくんじゃった」

「うん……僕が、ハルキの十倍くらい強かったら良かったんだけどね」レイトは鞄をニタの手から受け取り、そう言って苦笑する。「でも、この短期間で怖くなくなる方が異常だよ。相変わらず犬が脅威であることに変わりはないし、ハルキがいなくて心細いのは僕も同じだし。だけど弱いのは僕たちの方だから、安全確保をできる限り優先した方がいいと思うんだ」

「でも、もし、ハルちゃんが今日の夜に帰ってきたら?」


 ニタが勢いよく顔を跳ね上げ、上目遣いにレイトを睨む。レイトはたじろぎ、顔を僅かに横へ逸らした。無理やりにでも理由を見つけて居残りたいのは、レイトだって同じだった。


「そりゃあ、それが確実なら待った方がいいだろうけど……この天気がいつ終わるか、次にいつ来るかなんて分からないからさ。場合によっては、逆に自分たちを追い込むことになるよ」

「でも、ハルちゃんは『一週間戻らなかったら』って言ったんだよ? 今日までで一週間なんだから、今行ったらハルちゃんに怒られるよ」

「朝いなくなったんだから、初日を含めれば広義でちょうど一週間でしょ。行き先はハルキも知ってるんだし怒られるいわれはない……まあ、そりゃこんな天気じゃなければ、僕も今日は待つって言ったと思うんだけどさ」


 だんだんと自分の発言が屁理屈じみてくるのを自覚しながら、それでもレイトは決して意見を曲げまいとする。ずっと先頭に立っていたハルキが姿を消した今、仲間の命を守るその使命は自分に託されたのだと信じていた。


 ただ、レイトにはハルキのように何もかもを突破するほどの膂力がない。道具にしろ自然にしろ、使える要素は最大限利用しなくてはならない。あまり逡巡してはいられなかった。


 レイトの答えに、とりあえずは納得したのだろう。ニタは頬を膨らませ、レイトの両腕をぎゅっと掴んで目線を下げる。一呼吸おいてから、小刻みに何度も頷いて一歩後退し、あらかじめ分けて置いてあった野草の束を手に取った。


「……ん、分かった。それじゃあこれ食べて、しっかり鞄の中身を確認して、忘れ物のないようにして。それから出発しよう、レイちゃん」

「うん、そうしよう」レイトは微笑んで鞄を壁際に置き、近くに置いていたライターと薪用の廃材を拾い上げる。「ていうか思ったんだけど、手紙を無視してずっと待ってたらそれはそれでハルキに怒られそうじゃない?」

「あ、それは確かに。『なんでおまえらまだいるんだよ』とか、言いそうだよね」


 ニタが真似たセリフは、レイトの脳内で当然のように本人の声として再生される。幻聴だと分かっていても、こみ上げる妙な懐かしさと息苦しさは簡単に振り払うことができなかった。

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