逸般人たち

 三人が事前に予想した通り、街の入り口付近には十人程度の人が集まっていた。年齢も性別もバラバラ、一見珍妙にも思えるその集団の唯一の共通点は、全員がアイゼルと同じ――身体のどこかに、何らかの異常を負っていることだった。


「見ての通り、訳ありでな」集団の先頭に立ったアイゼルが片手で仲間を指し示す。「俺たちの故郷は、西の地下都市だ。宇宙船にあぶれた者同士、なんとか生き延びられる場所を探している。それだけだ」

「ああ、火山の地下の……」レイトは管理区域で見た地下都市の資料を思い出す。「僕とハルキは、東からです。こっちのニタちゃんとは、途中で知り合って」


 海の地下だな、とアイゼルが首肯する。


 自分たち以外にも同じような状況にある人々がいたとは、正直予想外だった。考えてみれば同じ人間なのだからその可能性も当然なのだけれど、レイトはなんとなく自分たちだけが特殊すぎるのだと思い込んでいた。


 少し間を置いて、ハルキが疑問の声をあげる。


「ん、ちょっと待てよ。宇宙船にあぶれる、ってどういうことだ? 階級はどうあれ、全員分の椅子はあったはずだろ?」

「ああ、東ではそうだったらしいな。……は。実に羨ましい限りだ」


 そう言い捨てたアイゼルの顔が怨嗟に歪む。背後の人々も、そのほとんどがみるみるうちにあからさまな嫌悪や悲観を浮かべていく。


 急激に変化した空気に三人が戸惑っているうちに、アイゼルの口から続く言葉が流れ出した。


「労働環境やら何やら平等を謳っていたがな、いざとなって蓋を開けてみればこれだ。劣悪な遺伝子は必要ない、そう言って搭乗を拒まれた。ああ、それこそ階級も地位も関係ない『平等』だったさ!」


 莫大な怒りを纏った、荒々しい語気。勢いに押され、ハルキは顎を引いて絶句する。ニタが一歩後ずさり、レイトの心臓もバクリと一度大きく鼓動した。


 しかし三人のその反応は、どうやら己の意図するところではなかったらしい。顔をしかめたアイゼルは、素早く視線を落として地面に固定する。そうして震える息で何度も深呼吸を繰り返して、元の冷静さを取り戻したようだった。


「……それで。貴様らの目的はなんだ? 椅子があるのにわざわざそれを蹴り棄てた、それだけのなにか、崇高な目的があるんだろう?」

「いえ、僕たちは……」答えようとして、レイトは言葉に詰まる。「そう、ですね。僕たちの目的は、戦争を止めることです。四百年間ずっと続いている、機械仕掛けの戦争なんですけど」

「聞いたことはあるが……それを、たった三人で? あまりにも無謀……いや、それ以前に、宇宙船に乗ってしまえばそんなもの関係ないだろう。狂ってるな」


 唾棄するように言い切って、アイゼルは嫌悪感を隠しもせずに腕を組む。

 やはり、そう言われるか。レイトは大袈裟に首を振って、悪評を即座に否定した。


「宇宙船に乗らなかったのは、別の理由です。詳しくは言えませんが、僕たちにはあの宇宙船……正確には、その中に押し込められた都市社会。リスクを承知であれを拒むだけの事情がありましたから」

「衣食住の保証、雇用と福祉、発展技術の恩恵。それを棄てるだけの事情となると……いや、まあいい。無理には訊かん」


 簡単には思いつかなかったのだろう、アイゼルはそう言って嘆息する。情報交換は済んだとばかりに仲間の方を振り返り、そのまま街を出るように指示をし始めた。


 自分に危害を加えようとした人物だからだろうか。見られているというだけで固まってしまっていたレイトの筋肉が、背を向けられたことで弛緩する。

 と同時に、今まで失念していたことが浮かび上がってきた。汚染エリアを前に、どうしても乗り越える必要がある課題だ。


 レイトはアイゼルの名を呼ぶ。まだ何か用か、とアイゼルは面倒臭そうに振り返った。


「ここで準備を整えたあと、僕たちはこの先の汚染エリアに向かうつもりです。そこに侵入するための防護服の類を手に入れたいんですが、心当たりはありませんか」

「汚染エリア? ああ、例の不毛地帯のことか。それなら……ほら。俺たちは、そこから出てきたところでな」


 アイゼルの視線を受けて、背後にいた恰幅の良い男が口元だけで微笑み両手を持ち上げた。三本しかない指で器用に抱えられているのは、レイトが求めていた通りの大量の防護服である。


「この通り、持っているとも。だがこれは都市から持ち出したもので、あいにく余りは一つもなくてね。すまないが、貴様らにくれてやることはできん」

「……そうですか。いえ、仲間を大切に想う気持ちは僕にも分かります。他にも探せばきっとあるでしょうし、なんとか見つけますよ」


 レイトはそう言って笑顔を作る。ひきつってしまっているのが自分でも分かった。


 見つけるとは言ったものの、出発前に想定していた他都市からの確保は正直に言ってかなり難しかった。距離が遠いのは時間が解決してくれるが、森の中をそれだけ歩き回らなくてはならない。


 アイゼルたちが今までどこにも滞在しなかったとして、ここから西の地下都市までは約一週間。たった二日の直線移動でさえも犬の脅威にあれだけ晒されたのに、武器を持った兵士でもない三人がとても生きて辿り着けるとは思えなかった。


 そんな内情を知ってか知らずしてか、あるいはレイトがただ単純に表面を取り繕うのを不得手としているだけなのか、アイゼルはレイトの表情から何かを汲み取ったようだった。気付かない方が遥かに幸せだったに違いない、そんな表情をありありと浮かべて歯をギリリと鳴らす。


「ああくそ……分かったよ。その代わりと言ってはなんだが、情報を提供してやろう」


 ふむ。やはり、根は善人のようだ。


 出発の準備を続けるよう仲間に指示を出し、自分一人で歩き始めたアイゼル。その後ろに付き従いながら、レイトはそんなことを考える。ハルキとニタも、互いの顔を見合わせてからレイトのさらに後ろについてきていた。


 やがてアイゼルが三人を連れてきたのは、街の中ほどの音波壁のあたりだった。


「ここから奥に向かって半日ほど斜めに進むと、地下へ続く入り口がある。その先は不毛地帯に繋がっているが、地下であれば放射線の影響が少ない。崩れている場所さえ避ければ、防護服無しでも充分活動できるはずだ。もっとも、それで新たな防護服が見つかるか否かは俺の知ったことじゃないがな」


 アイゼルが街道からやや離れる方面を指先で示した。が、例によって例のごとく緑が豊かすぎて、残念ながら目印になりそうなものはない。レイトは差し当たって足元の土をつま先で矢印の形に掘り、起点と方向を忘れないようにしておくことにする。


 それと、と言い加えながら、アイゼルは続いてニタに目を向けた。全身に視線を走らせ、納得したように一人で頷く。


「ニタ、だったか? こいつら二人とは地上で知り合ったんだったな。であれば、貴様が一番役に立つ。不毛地帯では、率先して先頭に立つといい」

「……ええと。私が? どうして?」


 ニタは首を傾げている。レイトも同感だった。自分たちと比べてニタの身体は傷つきやすく脆い、むしろ囲んで精力的に守るくらいのことはしなければいけないはずなのだが。


「貴様の祖先は四百年前、人類の大多数が地下に移住した段階で地上に残ることを選択した人間たちだ」アイゼルが答える。「そこから放射能を避けてシェルターで暮らすようになった結果、地上の人間には地下のそれと比べて二つの大きな変化が現れた。すなわち――物理的な損傷に弱くなり、毒、ひいては放射能に強くなった」


 ニタは実感が湧かない様子で、かさぶたの取れかけた自分の両手を見つめて瞬きを繰り返している。マジか、とハルキが驚嘆とも懐疑ともとれない声を漏らした。


 しかし。実際問題として、百年前までは廃虚街の周辺にも基準値以上の放射能が漂っていたはずなのだ。シェルターから一歩出れば被曝が免れない状況で、日光にもろくに当たらず地下にこもってばかりいれば身体が脆弱になってしかるべきだろう。当然だ。


 加えて言えば、コアラが毒性のあるユーカリを食物としていたように、必然的に隣り合って生活していく過程で放射能への慣れも存在したのかもしれない。こればかりは推測の域を出ないが、あってもおかしくない可能性だとレイトは考える。


「とはいえ、貴様らの最終目的地ではその耐久性も形無しだろうがな。不毛地帯程度であれば、たとえ地上部分であろうとニタ、貴様には関係ないだろうよ」


 三人があからさまに驚いているのを見て、アイゼルは気分を良くしたらしい。口の端がピクピクと上向きに跳ね、話しながらの動作が若干芝居がかる。


 となれば対照的に気を悪くするのが、ハルキという生き物だった。さっき謝罪して和解したはずじゃなかったのか。


「ていうかアイゼルよぉ、おまえも地下の人間だったんだろうが。地上の人間がどうとか、なんでんなこと知ってんだよ」

「仲間の内に、中枢部の研究機関で働いていた者がいてな。……先天的な身体異常を劣悪な遺伝子と断じて卑下するような社会だ。地上に文明の衰退した珍しい人間がいると聞けば、何をしたか大体予想はつくだろう?」

「……ち。分かりたくもねぇな」


 テンプレートのような非人道行為を示唆するアイゼルの言葉に、ハルキはそう言って顔を背ける。レイトが顔を青くしているうちに、ではな、とアイゼルは入り口に向けて歩き出した。

 再度、呼び止める。


「あの」

「なんだまだあるのか。なんだ」

「街の入り口からまっすぐ進むと池があって、そこから五時間もあれば街に着きます。僕たちがニタちゃんと出会った、廃墟の街です。そこなら、受け入れてくれる人もいるかもしれません」


 レイトがそう伝えると、アイゼルは片手をあげて把握を示す。そして今度こそ、自身を待つ仲間の元へと去っていった。


 少し空が暗くなってきただろうか。三人は拠点予定の建物へ戻ることにする。ニタが歩きながらハルキの横に並んで、その顔を覗き込むように見上げた。


「ねえ、ハルちゃん。さっき、アイゼルさんが『男か女か分からない』って言ってたけど……そういえば、私も聞いてなかったなって」

「んなもんどっちでもいいだろうが。好きに想像しろよ」

「んん。そりゃ、私はもちろんどっちのハルちゃんも好きだけど……いいの? ハルちゃんは不便じゃない?」


 ぐい、とさらに顔を近づけるニタ。ハルキは煙たがるようにその前で手をひらひらと振る。


「あのな。俺が『男みたいな性格の女』だったとしても、『女みたいな恰好の男』だったとしても、結局どっちも世間一般常識からしたらハズレ、一般人ならぬ逸般人ってヤツだろ? 論点は曖昧にしといた方が、誹謗中傷も曖昧になって何かと都合がいいんだよ。それこそアイゼルが言ったみたいに『どっちかよく分からないから気持ち悪い』って、みーんなそれしか言わなくなっちまう。低コスト極めたゲームみたいにな」

「でも、そんなの――」

「いいから! おまえの言いたいことは分かる、ここがあのクソみたいな都市と違うことも分かってる、でもそんな簡単なもんじゃねぇんだよ、これは。レイトも持ってるしおまえだって持ってるだろ、そう易々と人に触れられたくない問題ってのはさ」


 心当たりはあるはずだった。険しい表情で睨まれ、すごすごと引きさがったニタは後ろを歩くレイトの隣まで後退してくる。レイトは小さく息を吐いて、ハルキの背中をぼんやりと眺めながら口を開いた。


「……僕も、最初はおんなじこと言って怒られたよ。懐かしいなあ」

「ん……レイちゃんは、知ってるの?」

「まぁね、一応それなりには長い付き合いだし……でも、なんだろう。しっくりこないというか、ハルキはもう『ハルキ』っていう生き物なんだよね。性別がどうとかじゃなくてさ。新しい理論を提唱したらそれまでの正解が不正解になっちゃったというか」

「なぁレイト、おまえ俺のこと新種のモンスターか何かだと思ってねぇか?」


 ハルキが首だけで振り返り、器用に足元の石を後ろに向かって蹴る。レイトはわざとらしく笑い声をあげ、飛んできた石をジャンプで躱した。


「あははは! あれ? 聞こえてた?」

「すっとぼけてんじゃねぇよ。おまえの声なんざ、十キロ先からでもはっきり聞こえる」

「それはやっぱりモンスターじゃん」


 ふと隣に視線を向ければ、不自然に下を向いたニタの肩がプルプルと小刻みに震えていた。気づいたハルキが身体を反転させ、半笑いで顔を寄せる。


 何を言うのかと思えば、がおー、と一言。

 ニタが凄まじい勢いで吹き出し、身体を抱えよじって笑いだした。


「あーもうだめ、ハルちゃんかわいい‼」

「は、かわいい⁉ かわいいってなんだよ⁉」

「だってぇ! かわいいんだもん! うん、男の子でも女の子でも、やっぱりハルちゃんはハルちゃんだね!」

「嬉しくねぇ‼ 幼稚園児じゃあるまいし、なぁレイト⁉」

「え? あ、うん、まあ……かわいいと言って言えなくもない、かな?」

「おまえもなのかよ⁉」


 勘弁してくれ、とハルキは腕にしがみついたニタを振り回す。心底楽しそうな悲鳴をあげながら、ニタはさながら白い鳥のように赤みがかった空の中を舞っていた。


 この邪気の欠片もない純真さは、今までに一体どれだけの淀んだ空気を解き放ってきたのだろう。

 一緒になって笑いながら、レイトはそんなことを考えたのだった。

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