同類

 レイトとニタが振り返った時にはもう、ハルキは建物の入り口近くまで移動していた。外の様子をチラチラと確認しつつ、全身に緊張をみなぎらせている。立てた人差し指が、二人に沈黙を強いた。


 砂利が敷いてある場所といえば、村の入り口から現在地までを繋げるあの道に他ならない。それはつまり、守られているはずの街の内部まで何かが侵入してきているということであり、更にそれが犬以外の未知の生物だということでもある。音響装置が今この瞬間に壊れた可能性もあるにはあるが、この数百年無事でいたのにそれはあまりにも確率が低すぎるだろう。


 足音が増える。もし人間なら十人以上、とんだ大所帯だ。足が二十本ある怪物の可能性もなくはない。


「……嫌な予感がするな。気配も足音もバチバチだってのに、一向に姿が見えてこねぇ」


 ハルキが戸口から首を丸々突き出して、そう呻いた。


 この建物から道の全貌を見渡す事はできない。見えないということはすなわち入り口付近にいるということになるが、視界に入らないようにあえてそう動いているのであれば、それが示す意味はただ一つだ。


 いつの間にか足音は一人分に戻り、やがてそれも消えた。止まったのか、道を外れたのか。レイトは外の様子を自分の目で確認するべく入り口まで移動しようとして、


「……何かがうごめいている、と思ったら。まさか、俺たちの他にも人間なんてものがいたとはな」


 そう、どこからか声が聞こえて。


 一瞬、レイトは自分の身に何が起こったのか理解できなかった。


 首を、絞めつけられている。

 左右均等な力を加えるその手の持ち主、目の前の顔は紛れもなく人間だった。

 

 黒の短髪に金色の瞳、スクエアフレームのシンプルな眼鏡。身長は、レイト以上でハルキ未満。

 その顔面の半分以上が、白く大きな手に鷲掴みにされている。声が聞こえてから今の一瞬の間に、ハルキがレイトの所まで駆けつけていたのだった。


 ハルキのもう片方の手はレイトの首にかかる男の手首を掴んでいて、男を見据える眼は零れ落ちんばかりにカッと見開かれている。

 レイトは首に食い込む指に両手をかけた。いくら引っかいても、指はピクリとも動かない。


 ハルキが、地の底から滲みだしたかのような低い声音を発した。


「……どっから湧いた?」

「それはこちらのセリフなんだがな。こいつと三メートルは離れていたのを確認したが」

「はん。あんな口上垂れてるヒマがあったら、もっと速く走る練習でもするこった」


 目を大きく見開いたまま、男を見下すハルキの口角が挑発的に吊り上がる。男の眼が鋭く細められた。


 レイトの首に加わる力が増す。視界がやや暗くなり喉奥からかすれた息が漏れると同時に、男の顔面からもミシリと不吉な音がする。


「あんまり野暮なことすんなよ、なぁ? おまえの顔面ひとつ、握り潰せない貧弱な手だとでも思ったか?」

「こちらこそ。貴様の大切な友人の首をへし折るくらいのことはできる」

「じゃ、やられる前に潰しとくか……」ギシギシと、男の手首からも鳴り続ける骨の音。「なあおい。おまえが生き残る選択肢は、分かるだろ。やるかやられるかじゃねぇんだ、レイトの首が折れても俺にはダメージなんて入らないんだよ」


 ハルキの手に、また力が増す。

 男の骨が軋む音は、もはや限界を訴えていた。指の間から見える僅かな面積からでも、男の表情が苦悶に歪み始めたのがありありと見て取れる。レイトの首にかかる負荷も、ある瞬間からむしろ軽くなりつつあった。


 男が空いた手で自らの顔に触れる。ハルキの指を引きはがそうとするが、五本の指を使っても小指一本すら動かせない。


「く、う…………離、せ。分か、った」


 そしてついに、男は呻き声の隙間からそう口にした。ハルキがにやりと笑って舌を見せる。


「決まりだな。んじゃ、公平にいこうぜ。ほら、先にこっちは解放してやるからよ」


 そう言っていとも簡単に男の腕を手放す。ほんの数秒、互いを試すような沈黙があって、レイトの首と男の顔面からゆっくりと二つの手が離れていった。


 その場にくずおれるように膝をついて、レイトは喘ぐ。どうにか脳への酸素供給は間に合ったようだった。暗くなった視界に光が戻り、遠くなった音が帰ってくる。


「……レイちゃん。大丈夫?」


 小さな足音。レイトの傍らに、ニタがしゃがみこんだ。大丈夫、と小刻みに何度も頷き、レイトは激しく咳き込む。ニタの手が、背中を優しくさすってくれる。


 突然のこと過ぎて、もはや恐怖する暇さえなかった。とりあえず襲われて助かったのは分かったが、どうして。なぜ自分が、何のために。混乱するばかりだ。


 一方男の方はというと、掴まれていなかった方の手で顔を何度もこすりながら、フラフラと二、三歩後退したところだった。

 ハルキがレイトとの間に割って入り、あごを上げて男を睨みつける。


「ったく、いきなり人の首掴んで脅迫なんざ穏やかじゃねぇな。ここ、おまえの家なのか? だったら不法侵入すみませんってとこだが」


 男が顔を上げる。年齢は三十前後だろうか。学者を思わせる理性的な顔立ちだが、その中心に横一文字の傷跡が長く刻まれていた。立ちはだかったハルキの姿をじろじろと眺め回して吐き捨てるように、


「ああくそ、なんなんだ、貴様は。男だか女だか分からないナリしやがって、『気持ち悪い』」


 瞬間。空気が凍る。


 あ、ヤバい――。

 レイトがそう思った矢先、ハルキが間髪入れず噛みつくように返した。


「わざわざ弱そうなヤツを狙うおまえにゃ言われたくねぇよ、『奇形』」


 すかさず男がギロリと眼をむく。

 その場にいる全員が何一つ言葉を発さないまま、凄まじい殺気を孕んだ二人の視線が、ぶつかり合って火花を散らす。


 極限まで殺伐としきったその空気を破ったのは、天井から聞こえてきた女性の声だった。


「ちょっとアイゼル! 手伝いなさいよ。こんな高さ、あたし一人じゃ降りられないわ」

「あ……ああ、カリナ。すまなかった」


 どうやら男の名はアイゼルというらしい。彼が慌てたように見上げた先の天井は一部が壊れ、人一人通れるほどの大きさの穴ができていた。あの先は建物の二階部分、おそらくアイゼルもここから降りてきたのだろうとレイトは推測する。


 その穴から、パンプスをはいた二本の足が飛びだした。アイゼルが下に行って両手を上に伸ばし、落ちてきた女性を抱きとめる。赤いワンピースのスカートと長い茶色の髪がふわりと広がった、この女性がきっとカリナだろう。全体的に女性らしいスタイルの中で、右目を隠した黒い眼帯だけがやけに異彩を放っている。


「……なぁに、この人たち? この街の住民、じゃないわよね」

「おそらくな。今や天然記念物と化した我らが同類、厄介でけったいな連中だよ」


 アイゼルが身に着けているのは、黒のシンプルなハイネックシャツだった。おそらく伸縮性に優れた素材でできているだろうその服の袖をまくり、ハルキに掴まれていた方の腕を晒す。手首にくっきりと赤い指の跡がついていたが、それ以上に手の形そのものがレイトの目を引いた。


 親指がない。あるはずの場所に、残りの四本の指が鏡合わせのようにくっついている。端的に言ってしまえば、指が八本あった。


 そうか、ハルキが『奇形』と呼んだのはこれか。片手で掴まれていたはずの首が、左右均等な重圧を感じていたのはこのためか。


「気になるか?」アイゼルがレイトに嘲弄するような笑顔を向ける。「奇異の視線には慣れている。いくらでも見るがいいさ」

「あっ……すいません。つい」


 レイトは謝って、視線を逸らす。隣でニタが、未だ食い入るようにアイゼルの手を見つめていた。


「……かっこいい」

「……なんだと?」


 アイゼルが怪訝な顔で訊き返した。ニタが堰を切ったように話しだす。


「とってもかっこいいなって。なんだろ、サメの口……じゃなくて。犬の口……でもなくて。とにかく、牙みたいですっごい強そう! かっこいい!」

「な……そう、か。そう見えるか。これが」


 鼻息を荒くするニタを前に、アイゼルは呆気にとられた表情で何度も瞬きを繰り返す。


 ハルキが苦い表情でアイゼルの顔をじっと注視していた。アイゼルが視線に気づき、なんだ、と問いかける。


「……さっきの、悪かったな。売り言葉に買い言葉だ、差別の意図があったわけじゃない」

「ああ……あれか。それはむしろ、口惜しさのあまり先に口を出したこちらに非がある。こちらこそすまなかった」


 首だけで会釈をするアイゼルに、ハルキは肩をすくめて応える。

 アイゼルの背後から、カリナが一歩踏み出した。レイト、ニタ、ハルキと順番に視線を送り、少し考えるようにしてから首を傾げる。


「それで……結局あなたたちは、なんなの? 同じ人間だってことは、分かったけど」

「それは、僕たちも聞きたいですよ。お二人がどういう立場でどういう目的を持っているのか、突然襲われた側としては聞いておかないと納得がいきません」


 レイトはそう言い返す。どうする? とカリナはアイゼルを仰いだ。


 静かに目を閉じ、ほんの数秒だけアイゼルは沈黙する。口の中でモゴモゴと何かを言っていたかと思うと、目を開けて建物の出口へと歩き始めた。カリナが慌てたようにその後を追う。


「警戒に先立った行動とはいえ、先に手を出した詫びだ。ついてこい、俺たちの仲間を紹介してやる」


 やがて、戸口を踏みこえたところでアイゼルは振り返り、三人に向けてそう言い放った。


 へえ、とハルキが片頬を歪める。ニタが好奇心を爛々とその瞳に浮かべてアイゼルの顔を見上げる。レイトも、もちろん強く興味を惹かれている。


 拒否する理由はどこにもない。三人は、横並びになってアイゼルの後ろについていった。

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