第16話

「おはよう」


 果帆かほが今日初めてのあいさつをアタシにかける。片手に弁当の入った包みを持っている。アタシは中庭のベンチでちょうどパンをかじろうとしたところだった。


「おはよう」


 もう昼だけど、初めてのあいさつだからそう返事する。果帆かほはハンカチを敷くとアタシの隣に座った。


 果帆かほが包みを開くと、おいしそうなおかずがアタシの目に入った。


「……欲しいの?」


 そんなアタシの視線を見てか、果帆かほが尋ねてくる。


「いや……」


「あげるよ?」


 そう言って、卵焼きを箸でつまんでみせる。


「え、えーと……」


 これは、その、もらっていいのだろうか?


 果帆かほはあげると言っている。けれど、アタシが果帆かほからもらうということは、箸で卵焼きをアタシの口に……。


 そんな想像をしてしまう。今のアタシの顔はどうなっているのだろう。混乱となぜか恥ずかしさが合わさって、自分でもよく分からない。


「じゃ、じゃあ、もらおうかな」


 そして、いつの間にか右手を差し出していた。果帆かほはああといった感じで手のひらに卵焼きを載せる。


 え? そうなるの?


 アタシの変な妄想は実現せずに終わった。安心していいはずなのにどこか不満が残った。よくよく考えてみると、ちょっと期待していたところがあったのかもしれない。何を? 分からない。


「どう?」


 そんなアタシの困惑をよそに、果帆かほが味の感想を聞いてくる。口の中に広がるふんわりした卵の味わいと、ほのかな甘さ。アタシが知らない味だ。どこか優しさを感じるような、そんな気がした。


「うん。おいしい」


 率直な感想を伝えると、果帆かほは満足げな表情になった。


「よかった」


 整った顔に微笑みが浮かぶ。やっぱり笑顔が素敵な子だな、と感じる。


「あ、そういえば」


 果帆かほが思い出したように聞いた。


「この前の休みに真綾まあやとよく話してたよね?」


真綾まあやって、田中たなかさんのこと?」


「あ、そういや言ってなかったね。田中真綾たなかまあや


 あの田中たなかさんのことか。下の名前は真綾まあやと言うんだ。アタシと同じ漫画が好きらしく、その話題で盛り上がった。


 アタシが他の人とそういう盛り上がりを経験するのは初めてだったから、今でも自分のことだという実感が薄い。


真綾まあやさんか」


「うん」


 かわいらしい名前だなと思った。


真綾まあやが楽しかったって、今日伝えてきた。築城つきしろさんによろしくって」


「そうなんだ」


 どうして果帆かほづたいなんだろうと思って、アタシと田中たなかさんが違うクラスということを思い出す。そりゃコンタクト取りにくいよな。


「同じ漫画が好きとは知らなかった」


真綾まあやもそれ言ってたよ。あと、話してみると良い子だったって言ってた」


 まあ喫茶店ではギクシャクしてたしなあ。その後打ち解けることができたから、田中たなかさんはアタシのことを悪くは思っていないらしい。


 果帆かほはちょっと間を開けて、謝った。


あんず、ごめんね。真綾まあやってああいう子なんだ」


「別に良いよ。明るい子だね」


 果帆かほが素直に話してくれるので、こちらもそう話そうと思った。


「実は、最初はちょっと苦手だった」


「……だよね」


「けど、悪い子じゃない。アタシが勝手に距離を感じてただけかも。これからも、仲良く話せるような子だよ」


 そう言うと、また果帆かほは微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る