第10話

 最近私の心もじめじめしているなーと思っていたら、いつの間にか梅雨が明けていた。天気はさっさと心を入れ替えてしまったらしい。


 取り残されちゃったな。私。


 例のX字の傘も、最近はめっきり出番が減ってしまった。急に降る雨のために持ち歩くのは邪魔だし、何よりダサい。


 かばんに入るくらいの折り畳み傘が、今の時期は活躍する。そして。


『今日は8月並みの真夏日となるでしょう』


 朝の天気予報が今日のしんどさを教えていた。


「暑くなるみたいだし、水分補給ちゃんとしなさいよ」


「分かってるよ」


 お母さんが分かり切ったことを教えてくる。その声に背中で返事しながら、階段を上がり部屋に戻る。


 今日はいつもと違うことが2つある。


 1つはお母さんが家にいること。今日は有休らしく、いつもと違ってゆっくり朝ごはんを食べている。


 もう1つは、お弁当を作ってくれたこと。いつものようにテキトーなおかずを詰めなくていいので、今朝は多少時間の余裕が増えた。


 何しよっかな。


 学校に行く準備はすでに終わってるし、制服にも着替えている。今からベッドに戻るのは無理があった。


 机の上の漫画に目が行く。昨日の夜から読み始めたものだった。異世界転生した主人公がなんやかんやで勇者になる話、らしい。


 まだ冒頭だから、勇者の存在感はかけらもない。ちょうど転生するあたりまで読んだっけ。


 おもむろにページをめくる。勇者がエルフに世界の説明を受けている場面だ。何が起こるわけでもないからつまらない。


「やーめよ」


 読みかけの漫画を閉じて背伸びする。


 窓の外はギラギラした日差しが元気よく照り付けている。こんな中歩くの、やだなー。


 すると、スマホの通知が鳴った。あんずからだ。


「なになにー」


 今朝庭で撮った写真らしい。紫のアサガオが写っていた。瑞々しい印象を受ける。さっきまで感じていた億劫おっくうさが、ちょっと和らいだ気がする。


『いいじゃーん』


 そうメッセージを送る。すぐに『ありがとう』と返事が来た。


『今日も公園行くの?』


『そのつもり』


『じゃあ放課後また』


『OK』


 私たち、だいぶ親しくなったんだなあと思う。


 最初に彼女に声をかけたのは6月だった。あの時は緊張して敬語で話しかけていた。自分から動いたのは初めてだったし、彼女はちょっと近寄りがたい雰囲気があったから躊躇ちゅうちょしていた。


 話してみたら良い子だったけど。何より毎日公園でビルを撮るような子だ。普通じゃない。


 それは彼女自身も自覚していたようだ。ちょっと怖い印象を感じる理由が分かった気がする。


 前に話した時、ビルばかりを撮ってる理由は教えてくれた。彼女らしいというか、しっくり来る答えだった。褒めたら案外可愛らしい一面もあった。


 そそくさと公園を去っていく彼女の姿が脳裏に浮かぶ。あれから早一か月。


 なんとなく放課後一緒に帰るようになって、彼女の写真もよく見せてもらうようになった。いつからか忘れたけど、彼女は自分の撮影した写真を私のスマホに送ってくれるようになった。


 6月の終わり頃、連絡先交換しませんかって話しておいてよかったかも。じゃないと、こんな風に送ってはくれないから。


 彼女の写真は、退屈だった私の日常をわくわくさせてくれる。私が知らない世界を、彼女は見つめている。そんな風に思える。 


 そして、今日も退屈な授業を受けないといけない。その後にはささやかな楽しみが待っている。だから、私は体を動かせる。


 時計を見るとまだ行くのには早い時間だった。けれど何かをするには短い。仕方ないから、ちょっと早めに出ることにする。


 鞄を持って階段を降りる。一階ではお母さんがテレビを見ながらパンをかじっているところだった。


「あ、果帆。お弁当持った?」


「いけなーい。忘れるところだった」


 わざとふざけて忘れていたことをごまかす。


「しっかりしなさいよ。忘れたら大変でしょ」


「はいはい」


 黄色いナプキンに包まれた弁当を渡される。保冷剤が箱の上に載っているらしく、いつもより重たい。ただその保冷剤がやたら大きなもののようだ。


 忘れていたのは事実だけど、なんというか、いろんな意味で重たい。自分のことくらいは自分でなんとかできる年齢なんだけどな。


「じゃあ行ってきます」


「車気を付けなさいよ」


 それには答えず玄関の扉を開ける。


 開けた途端、容赦なく太陽が照り付けてきた。


「ウワッ」


 加減って言葉を知らないのかな。日焼け止め塗り忘れてたら大変だった。


 焼けたくないので日傘をさす。もちろん例のX字じゃない。あれはただのビニール傘だ。


 家を出てから学校までずっとアスファルトの道が続く。舗装に刺さった熱が反射して、肌で暑さを感じる。


 しばらくは耐えるしかない。


 そういや、あんずはもう学校だったかな。彼女は私と通学路が被っているけど、私より朝早く登校しているらしい。


 理由は単純に、「人が少ないから」らしい。それを聞いたときは変わってるなあと思ったが、この暑さの中登校するのはナンセンスだった。彼女のように早めに出れば暑さもマシだったかもしれない。


 例の公園が見えてきた。至るところに青々とした雑草が生い茂っている。もちろんこの暑さだから、誰もいない。あるのは錆びた放置自転車と砂で汚れたボール。そこに気温が合わさって、砂場は砂漠に見える。


 今日も彼女はここに寄るのかな。


 まだ登校中だと言うのに、放課後のことを考えている。


 今朝のアサガオの写真を思い出す。毎朝の無言の写真と、帰りの会話。そのルーティンが心地よく思える。

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