第6話

 今日の昼休みはおかしなことがあった。


 アタシに、話しかけてきた人がいた。


 澤野果帆さわのかほ。同じ学年のようだった。


 彼女は雨が降る中わざわざ外に出てきて、アタシに声をかけた。


 変なの。


 いかにも近づいたらヤバそうな人だと思うんだけど、アタシ。


 あえてそうやって、人との距離を取ってるのに。そんな努力を軽々と水の泡にしたのは、彼女くらいだ。


 自分から近づいてきた割に澤野さわのさんは、おどおどしてどこか不安そうだった。そりゃあ、こんなアタシだし? 


 動揺して普通だ。でも、それでも彼女は逃げなかった。このアタシと、向き合おうとしていた。それがちょっと嬉しかったから、今日は慣れない、同級生との会話というものをやってみた。


 先生以外の人と会話するのは、やはり違和感を感じる。目上めうえの人には変な気を遣わなくて済むのに、同級生となるとうまくいかなくなる。

 

 理由はなんとなく理解している。相手が感じる印象を意識してしまうからだ。この人はアタシが苦手だなとか、あの人はアタシを嫌ってるなとか。たまに仲良くしようとする人もいるけれど、だいたいはいずれ去っていく。アタシに失望するか、アタシが失望させるか。


 六割くらいは失望させている気がする。ヒドイヤツだなと、度々たびたびアタシは自虐じぎゃくする。申し訳ないけど、アタシはそういう人間なんだ。余裕がなくて、ひとりぼっち。もう他人に期待して、他人を傷つけて、勝手に消耗するのはイヤだから。だからこうして、自分で針を身にまとう。


 そうやって縮こまっているうちに、私のまわりに他人はいなくなった。こうなったら、あとは自由だ。


 さて。澤野さわのさんはいつまでアタシを見ようとするだろうか。アタシに興味があるようだけど、アタシは澤野さわのさんの想像よりずっと、けがれている。

 

 ぼんやり考えながら、チョークで汚れた黒板を掃除する。


 放課後の教室はもうみんな出払って、残っているのは日直のアタシだけだ。朝から降り続けている雨が黒板を湿らせ、教室にも古い木のにおいがただよっている。年季の入った黒板は、ちょっと黒板消しで掃除したくらいではきれいにならない。汚れはすでに黒板の一部となってしまっている。


 最初にこの教室にえられた頃は、どんな色を放っていたのだろう。もっと緑が強かったのだろうか。それとも、黒め?


 緑というより白っぽくなった黒板を一通り掃除して、黒板の下の落ちたチョークを掃く。黄色や赤、青の粉に、砕けて原型を留めないチョークの死骸しがい。床が湿り気を帯びているせいで、粉が広がってしまう。


 軽く舌打ちをしてしまった。誰もいないし、聞かれてはいないだろう。まだ抵抗するチョークの粉を掃きとるために、何か濡れた布が要る。雑巾でも使うか。


 雑巾を濡らしに教室の扉を開け、廊下に出た。


 と、誰かが急に立ち止まる音がする。


「アッ」


「あっ……」


 澤野さわのさんだった。帰るところのようだ。


 左に鞄をさげ、アタシを見ている。というか向けてしまった視線を外せないって感じか。不意打ちを食らったみたいに固まっていて、左足が後ろに少し後ずさったままだ。 


「あっ……あ、どうも」


 ひどく動揺どうようしている。アタシも実はいきなり人がいてびっくりしたのだが、そのそぶりを見せたくないので自然な感じにふるまう。


「あー、澤野さわのさんだっけ」


「そ、そうです……。さっきはどうも……」


 うつむき気味に澤野さわのさんが答える。視線はアタシの様子を伺う感じだった。と、アタシの手元の物体に気づき、聞いてきた。


「掃除……ですか?」


「うん。日直だから。水濡らしに行こうと思って」


 澤野さわのさんは納得したような顔になると、一拍おいて思い出したかのように言った。


「手伝いましょうか?」


「いいよ。アタシの仕事だし」


 当たり前のことを言うと、はっとした顔になり、急にしぼんでいった。


「あ、ですよね。違うクラスだし……。すみません」


 澤野さわのさんはあわあわしながら小走りで去っていった。何だったんだ。


 くるっと背中を向けて、水場に行こうとした。すると、


「あの」


 帰ったと思った澤野さわのさんが戻ってきた。


「掃除終わるまで、ここで待っててもいいですか……?」


「なんで?」


 純粋じゅんすいに聞いたつもりだったが、言い方が悪かったのか、澤野さわのさんは一瞬おびえるような顔をした。それからちょっとうつむいて、意を決したようにこう言った。


築城つきしろさんと、一緒に帰りたいんです」

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