第5話

 築城つきしろさんとの距離が縮まる。


 どうやって声をかけよう。どんな子なんだろう。


 どんな、声なんだろう。


 そして、


「あ、すみません――」


 そこまで言って、彼女が振り返った。


 あの日と同じ、黒い瞳が私を貫く。ちょっと驚いているような、怪しんでいるような、冷たい目だった。思っていたより鋭いその目線に、一瞬たじろんでしまう。


「ひっ……」


 動揺する私に、築城つきしろさんが言葉を投げた。


「なに」


 印象通りの、クールな響きだった。けれど、冷たさの中に深みがある。はっきりいって、かっこいい声だった。


「あ、あの」


 落ち着け、私。


 すーはーと呼吸を整え、話を始める。


「何してるんですか」


 築城つきしろさんは手元から黒い物体を私に見せた。カメラだった。


「写真、撮ってるの」

 

「あっ、そうなんですね」

 

 謎の沈黙の時間が訪れる。雨音がやけに大きく響いてくる。


 何か言おうとして言葉が出てこない。そもそもどうして第一声が「何してるんですか」なんだ。それを聞かれるのは私だよ。


 ごちゃごちゃ混乱している私の心を見抜いたのか、築城つきしろさんが怪訝けげんな目で言った。

 

「あんた、誰?」

 

「あっ、わ、私、澤野さわの果帆かほと言います……」


澤野果帆さわのかほか……」


 築城つきしろさんは口の中で響きを確かめるように、私の名を反芻はんすうした。


 なんとか自分の名前を伝えられて、少し頭がえてくる。


「あっ、築城つきしろさんで、あってますか?」


「うん。あたしは築城つきしろだけど」


 よかった。人違いなら速攻謝罪して退散していたところだ。


「なにか用?」


 築城つきしろさんが聞いてきた。


 しばし逡巡しゅんじゅんして、それからせききったように勝手に言葉が出た。


「あっ、ちょっと気になって……。追いかけてきましたすみませんごめんなさい」


 焦って早口になってしまった。嫌だよね後つけられるなんて。ちょっとした好奇心で行った自分の行動を反省していた。と、


「別にいいよ」


「へっ?」


 意外な返事に思わず声がでた。


「そういうの気にしないし、あたし」


「ど、どうも……」


 彼女のショートボブがふわりと揺れる。そして、築城つきしろさんは私を見て言った。


「どっかで見たっけ、あなた」


 黒い瞳が尋ねる。あの日の公園がよみがえる。私を貫いたその黒さに、ごまかそうなどという気持ちが消えてしまう。


 私はほんとのことを言うことにした。


「実は帰り道の公園で……。時々見てました、あなたの、こと……。前から気になってて……」


 怖さからか無意識に目線が足元に行っていた。


 ちらっと様子を伺うと、築城つきしろさんは不思議そうな目でこちらを見ていた。


「へえー。変なの。あたしに興味を持つなんて」


「えっ。ご、ごめんなさい」


 語尾が尻すぼみになってしまった。やっぱりちょっと怖いよ、築城つきしろさん。


「面白いねえ。澤野さわのさんは」


 私は何も面白いことなど言ってないのに、築城つきしろさんはニヤニヤしている。


「そ、そうですか……?」


 動揺してしどろもどろの返事をしてしまった。


「まあいいや」


 築城つきしろさんはそんな私をおいて、またカメラを構えた。花壇に咲いているアジサイにレンズを近づけ、一枚、また一枚と写真を撮っている。


 シャッター音と雨音だけが、その場に響く。しばしの静寂が私の思考を落ち着かせてくれる。そこで、澤野さわのさん、と自分の名前を呼んでくれたことに気づく。私の名前を覚えてくれた。その事実を、ゆっくりと噛み締める。

 

「あ、そういやさぁ」


「はっ、はい」


 築城つきしろさんが急に沈黙を破る。


「なんであたしの名前知ってるの」


 カメラをのぞいたまま、築城つきしろさんが尋ねる。その声は相変わらずクールだけど、とがった感じはない。どうやら嫌われてはいないらしい。


 どう答えよう。といってもごまかす方法も知らない。築城つきしろさんにそういうまやかしは、効きそうにない。今考えると、あの黒い瞳がそうさせているのかもしれない。じゃあ、答えは決まっている。素直に言うことにした。


「実は、ちょっとした噂になってて。毎日公園でカメラ構えてる女子がいるって」


「へぇー。あたしそんな風に見られてんだ」


 築城つきしろさんがカメラから目を外し、横目で見てきた。ちょっと興味があるような目だった。


「べ、別におかしくないです、よ?」


「なんで疑問形なの? 気遣わなくていいよ」


 フォローするつもりがフォローされてしまう。あれれ。なんでこうなった。


「すみません……」


「いいよ。あたしが勝手にやってるだけだし」


 そういってまた、築城つきしろさんはカメラを構える。


 また静けさが私を包む。数秒前まで聞いていた、築城つきしろさんの声を頭の中で再生した。


 思ってたよりはぬくもりがあるけど、どこか冷めたところもある。そんな声だ。なんというか、ちょっと大人だ。


 それに、ちゃんと会話が成立した。同じ人間で、同級生なんだから当たり前なんだけど。でも、私が公園で見ていた彼女は遠い存在のように見えたのだ。こうして話してみると、彼女もまた、この高校の一生徒だった。


 もしかしたら教えてくれるかもと、なんとなく思ったから、


「そういえば、築城つきしろさんはどうして写真を撮ってるんですか」


 聞いてみた。


 築城つきしろさんは、カメラから目を離すと、


「……知りたい?」


 そう、聞いてきた。即答ではなく、含みのある聞き方だった。


「……知りたい、です」


 素直に聞いたつもりだった。それまでの会話から、何かしら教えてくれるだろうと、勝手に期待していた。


 黒い瞳がじっと私を見て、それからふいっとれた。


「あたしが澤野さわのさんのことを理解出来たら、教えてあげる」


 教えてはくれなかった。


 築城つきしろさんの目が、またファインダーに向かう。それは答えるのをやんわりと避けられたような感じだった。


 やっぱり築城つきしろさんは、分からない。


 そして、今日初めて築城つきしろさんと言葉を交わしたということを今更のように思い出す。


 初会話にしては上出来だった。でも、ほんとはもう少し近づきたかった。


 築城つきしろさんの心に一歩を踏み出したものの、足を地面に置く前にそっと止められた感じだった。少し、踏み込みすぎたのかも。

 

 午後の授業開始五分前のチャイムが、時間切れを教えた。築城つきしろさんはすっと立ち上がると、くるっと私を見て言った。


「じゃあね。澤野さわのさん」


「あ、はい……」


 築城つきしろさんを見送る。傘の中のショートボブを見つめながら、私は黒い瞳を思い出していた。


 あの瞳が見ているものを、もっと知りたい。そのためには、私はどうすればいいのだろうか。

 

 そんな思いに浸ってじっくり考えたいのもやまやまだけど、授業に出ないわけにもいかない。私も校舎に急ぎ足で戻る。築城つきしろさんはもう階段を上がっている。早いな。てか私がぼんやりしてただけだ。


 次の時間は古典か。

 チャイムが鳴る直前でも滑り込めば、まあなんとかなるだろう。


 雨で濡れた廊下を急ぐ。


 さっきより雨音が強くなってきた気がする。それに、雨の湿気しっけたにおいも心地ここち強まったかも。


 いつもより短く感じたお昼休みが、終わろうとしていた。

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