第3話

 雨の音で、目が覚めた。


 体をベッドの中でもぞもぞ動かしてみる。まだ重たいまぶたを、また閉じたくなる。それを我慢して、目覚まし時計をつかんだ。


 いつもより少しだけ早い時間だ。目覚まし時計はまだおやすみ中。今日はこっちが早く起きるなんて。


 ゆっくり上半身じょうはんしんを起こし、一度伸びをする。体に血流けつりゅうがめぐってきて、だんだん目が覚めてくる。改めて外を見ると、雨はパラパラとした降り方だった。どしゃぶりならたまったものじゃないから、そこはまだありがたい。今日は久しぶりに傘がいるなあ。

 

 ぼんやりする足で階段を降りる。食卓には朝ごはんが用意されていた。目玉焼きとトースト、ボウルにはサラダ。お母さんは仕事で私より先に出たようだ。


 こういう時、置き書きのひとつでも置いていてくれたら、と思う。私は黙ってテレビを付け、今日の天気予報を見る。一日中雨の予報。こりゃ帰りの公園のぞきは無しかな。


 さっさと食事をすませ、髪を整えて着替えをしたら、後は出るだけだ。

 

「行ってきます」

 

 誰もいない空間に向かって挨拶あいさつをして、私は玄関のドアを開けた。瞬間、雨の湿った匂いが鼻腔びくうを刺激する。パラパラと落ちる雨粒が、玄関の前に水たまりをつくっていた。


「うわあ、濡れちゃう」


 思わず声に出てしまった。ローファーに染みこみませんように。


 なるべく水たまりに足を入れないようにして、第一関門だいいちかんもん突破。ここからが長いんだけど。


 久しぶりに開いた傘は、待ってましたとばかりに水を弾いてくれる。軽快な雨音が、ちょっと憂鬱ゆううつな私の心を癒していく。


 家を出てしばらく行くと、小学生の集団登校に出会った。みんな身を寄せ合って、色とりどりの傘を掲げている。ピンクや青、水玉模様。私もこんな傘が欲しかったなあ。


 私の傘は、コンビニで買ったビニール傘。量産型パラソルだ。そのままだと無個性すぎて、他人に間違えられたりする。そこで私はガムテープを巻き、つかの間の個性を演出している。


 のところに赤とピンクのリボンをX字に巻いた、特別仕様。さすがにこんなデザインを採用している人はいないだろう。最初はやりすぎたか、と思ったけど、真綾まあや波留はるから高評価だったので良しとした。真綾まあやはケタケタ笑ってたから評価とはちょっと違うけど。


 例の公園の前を通る。砂場はどろどろになり、即席のみずうみがいくつもできていた。


 誰もいない、いつもの公園。同じ場所なのに、雨の日は全く違う場所に思える。こうも雰囲気が変わるとは面白いなあ。こういうのは、例の彼女は撮ったりしないのだろうか。

 そんなことを考えたけど、登校中にやることなどないから、そのまままっすぐ学校へ向かった。


 だんだん同じ制服が視界に増えてくる。みんな傘の下でひそひそと歩いている。大きさも色もまちまち。ビニール傘もちらほら見かける。私のX字はさすがにない。やっぱりおかしいんじゃないか、この傘。


 そうやって周りをふらふら見ているうちに、見覚えのある背中を見つける。塚本波留つかもとはるだ。


 イヤホンをしているようなので、ちょっと前に出て視界に自分の姿を見せることにした。

 

 こちらが顔を見せると、波留はイヤホンを両方外した。

 

「おはよう」


「おはよう波留はる。今日1日雨だって」


「めんどいなー」


 波留はるはちょっとだるそうに返事をする。


「何聴いてたの?」


「ヘビメタ」


 まじか。


 聴いてみる? と波留はるが涼しい顔で傘の中からイヤホンを差し出してくる。


 朝っぱらから、しかもこんな天気でヘビメタか。やりよる。ヘビメタ聞いたことないけど。断るのもなんなので、左耳だけつけてみた。


 つけた瞬間から、激しいドラムとギターのうねりが飛び込んでくる。


「朝からこんなの聞けるの、元気だね……」


「分かってないなあ」


 波留はるが涼しい顔のまま言う。ちょっと怒らせたように勝手に感じて、私はびくびくする。怒ってないのは分かっているけど。


 波留はるは手を傘から差し出し、雨に触れながら語る。


「こういう天気だからこそ、こういう曲なんだよ」


「はあ……」


「テンション上げてこうぜ」


 なるほど。そういうことね。それを涼しい顔で言われても説得力ないのは見過ごそう。


 波留はるとしゃべっているうちに、校舎の玄関についた。今日は雨だから混雑している。いつもは存在感がない傘立ても、今日はカラフルに染まっている。


「じゃ、また」


 波留はるがひらひらと手を振りながら廊下を歩いていく。


 私もひらひらと振りかえして、教室に向かう。今日の一時間目は苦手な数学だから、私のテンションはだだ下がりだ。眠たいし訳分かんないし。波留はるは私と真逆で、バリバリ得意だ。


 いいよなあと思い通つ、教室に入る。クラスメイトの何人かが振り向き、おはようと声をかけてくれる。私も軽くあいさつする。


 クラスに馴染めているか。答えはおそらく、NOだと思う。三か月たって多少話せる子はできたけど、友人と呼べるほどの子はいない。


 このクラスは別の中学校からのグループが多くて、すでにある程度かたまりができていた。それもあるのかな。私が一から人間関係を構築する余裕は、はじめからなかった。


 そんな感じだから、どことなく真綾まあや波留はるのことが気になる。だけどその二人は別のクラスだし、中学校の時ほど仲良くできている感じがしない。

 

 三人の間にはそれぞれ、いつの間にか薄い透明なアクリル板が立っていたような、そんな感じ。私の声は真綾と波留に伝わるし、二人の声も私に届く。だけど、それは以前より何か、物足りない。


 ふーっとため息をつきたくなる。ついちゃうと憂鬱ゆううつなのがバレバレだし、なんか浮いちゃいそうなので我慢する。


 ふと、窓に目を向けてみて、例の彼女のことを思い出した。


 あの子も、私みたいな感じだったりするのかな。


 築城杏つきしろあんずさん。謎の少女。だけど、あの日私を見た黒い瞳は、何かかれるものがあった。どこか親近感も感じる、不思議な色。


「なんだろな」


 ぼそっと、聞こえないようにつぶやいた。まもなくチャイムが鳴って、先生が教室に入ってきた。

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