ようこそ、いもむし横丁へ。

匿名さん

第1話

 妹が居なくなってから数週間が過ぎた。母親は変わらず元気で、妹がいなくなったことにも気がついていないようだった。妹がまだ家にいた頃と同じように朝ごはんを作り、オレに笑いかける。

「朔夜くん学校はどう?」

 母親は夜職をしていていつも朝帰りになり、生活リズムが朝しか合わないから必然的にこういう話は朝になる。

「普通だよ。」

「勉強はどう?」

 オレの答えを聞いているのか、いないのか、母親は間髪入れずに聞いてくる。朝だからか、まだなんとなく冴えない頭でそういえば、と朦朧に思い出した。母親は妹が食卓にいてもいなくても、オレにしか話しかけて来なかった。妹が母親を毛嫌いしているから気を使っているのだと思っていたが、今考えると不自然だ。

「勉強も別に、困ってない。」

 オレがそう答えると母親は満足そうに笑う。

「そう。良かった、朔夜くんはそのまま優秀に育ってね。ママにはもう朔夜くんしかいないんだから。」

「……わかってる。」

 毎日聞かされる言葉。“ママには朔夜くんしかいない”。父親に不倫されてから気が狂った母親は自分によく似たオレを、父親がいなくなった穴を埋めるように愛した。オレは別にそれで母親が正常に戻るなら耐えようと思ったが、母親の気は戻る所か悪化し、少しオレや妹が反抗するだけで癇癪を起こすようなイカれた人間になってしまった。

 母親がそうなってしまった以降、オレは母親が癇癪を起こさないようにできるだけ母親の言う通りに生きていた。


 そんなオレにとって妹は癒しで、守らなければいけない存在だった。オレの3つ下の妹は母親のいない所ではよく笑う子だったし、よくオレに懐いていた。ドジで不器用な妹はオレがいないとすぐ不安そうに俯くから、きっと今もどこかでオレのことを待っているのだと思う。

 ───早く、見つけないと。

 宛もないのにそういった焦燥感だけがオレの中で蟠る。


 そんなある日だった。

 いつも通り帰宅した家のポストに見慣れない黒い封筒が入っているのが目に入る。宛先を確認すると「栗花落 朔夜つゆりさくや様」と丁寧に印刷されている。心当たりが全くないオレの中にひとつ希望が浮かんだ。どこかで生きている妹からの手紙ではないか?ほとんどそう確信したオレは急いで自分の部屋に向かい、椅子に座ると震える手で封筒を開けた。


 手紙はシルクのようなツルツルとした質感で高級感があるものであった。ブラックの紙に白の文字が印刷されており、見慣れているはずの明朝体が教科書で見るものよりずっと高貴な文字に見えた。内容は残念ながら妹からのものでは無いようだった。その時点でオレはかなり落胆し、すぐにでも捨ててしまおうかと思ったがオレ宛であることに違いはないため内容を読まずに捨てることは出来なかった。

 『招待状』と書かれた紙は不自然なほど余白を残しながらこう内容を綴る。

『栗花落 朔夜様。あなたがお探しのものはこちらにございます。』

 本文に書かれていたのはたったのそれだけだった。その後ろに日時と場所が書かれていたが鯨年くじらどしとか、海月くらげときとか、理解のできないことだった。数秒手紙を眺め、ただの悪戯か、と小さくため息をつく。妹からの手紙ではないかと少しだけ期待していた感情が行き場を無くし、その手紙に当たるように力のままぐしゃぐしゃにしてすぐゴミ箱に捨てた。

 次の日にはもうその手紙の存在すら忘れていた。


 それから何ヶ月か経ったが、妹が帰ってくる気配も手がかりも、何も掴めずに時だけが過ぎていた。妹がいなくなっても世界はあの日と同じように回り続けているし、母親も相変わらず虚ろな目で笑いかけてくる。妹なんて最初からいなかったと錯覚してしまう程淡々と日常は進んだ。オレだけが世界に取り残されたように前に進めていない。今もどこかで妹がオレに助けを求めているのかもしれないのに。

 しかし、そんなオレの思いとは裏腹にどれだけ探しても一切、何の手がかりも出てこなかった。それどころか妹と過ごした思い出さえオレの記憶の中から消えてしまうような、そんな感覚がした。

 このまま妹はこの世界にいなかったことにされてしまうのだろうか。抱えていた焦燥感はいつの間に大きな絶望感へと変わり、ほとんど妹を探し出すことを諦めかけていた時、オレは思い出す。いつの日か届いた手紙の存在を。

 慌ててオレはゴミ箱の中身を漁った。

「……あるわけない、よな。」

 部屋のゴミ箱は週に一回ゴミの日に家のゴミとまとめて収集される。あの不気味な手紙が届いてからもう何ヶ月も経った。残っている方が奇跡だったのだ。

「……気がつくのが遅かったか。」

 そのまま部屋のベットに倒れ込むと差し込んだ夕日が眩しくオレを照らした。また何もできないまま1日が終わってしまう。そもそもあんな変な手紙に頼ろうとしてこと自体が間違いだったのだ。あんな怪しい手紙、詐欺に決まっている。

 自分でそう言い聞かせるように脳内で何度も手紙のことを否定するが、思い出してしまった以上そう簡単に手紙の存在を記憶から消すことは出来ない。それに加えて妹が消えた手がかりは一切無い。なんとなく思い出した手紙の存在だけがオレの一縷の希望であった。


 そこから数日後。家中のゴミを漁るも手紙は出てこなかった。あの日どうして簡単に捨ててしまったのだろう、と何度も後悔した。折角持てた希望であるが、見つからないことには仕方ない。諦めてしまおう、そう考えた時玄関で配達員が叫ぶ。

「こんにちは〜!栗花落さん宛に手紙が届いてますよ〜!」

 いつもなら居留守をするところだが、オレは“手紙”という単語に反応し、小走りで玄関に向かう。

「はい〜、こちらですね、確かに手渡しましたので。失礼いたします〜。」

 配達員はニコニコと表情を崩さず、押し付けるように“真っ黒な手紙”をオレに渡した。

「あ、ありがとう、ございます。」

 配達員はオレの言葉を聞き終わる前に玄関のドアを閉め、忙しなく駆けて行った。静かになった家でオレは手を震わせながら封筒を丁寧に開ける。

 手紙はやはり前届いた『招待状』であった。

『栗花落 朔夜様。あなたのお探しものはこちらにございます。』

 あの日自分の部屋で見た手紙と全く同じ内容が書かれている。

 ───オレの“探し物”。

 これを読んだ当初はただの悪戯だと思っていたが、今はそうは思わない。なぜか、確実に妹がここにいるように思えた。

 手紙はその後にこう綴ってある。

『この招待状は無くさずに当日持参してください。また、よそ見をしていて穴に落ちてしまう事例が多数報告されています。当日は足元にお気をつけてお越しください。』

 やはりしっかり読んでも伝えたいことがよくわからない。穴に落ちる?そんなの童話でしか聞いたことがない。そうは思っても、妹の手がかりが見つからない以上この手紙に縋るしかない。

 オレは手に力を入れると手紙を音読する。

「場所……いもむし横丁?」

 この辺りにそんな横丁があっただろうか?聞いたことがない、もしかしたら遠くの土地なのだろうか。そうなってくると長旅になるな、そんなことを考えながらオレは自室のドアを開ける。場所は調べれば出てくるだろう。そう思ったオレは自室のパソコンを起動した。

 手馴れた手つきでパスワードを入力すると、すぐに検索エンジンに「いもむし横丁」と入力する。

「……検索結果、0?」

 表示された情報は「いもむし」もしくは「横丁」のみにヒットしたサイトのみであり、「いもむし横丁」の単語にヒットするサイトは全く無かった。

 折角掴んだ希望なのに、またその光が遠ざかる。場所がわからなければ、妹を探しに行くことができない。

 オレは大きくため息を吐くと椅子にもたれかかった。

「一体どうすりゃいいんだ……。」

 やはり悪戯なのだろうか?もしくは詐欺?またそんなことを考え始めた時、パソコンがピコンっと音を鳴らす。画面を見ると右下にニュースの通知が来ていた。その見出しは【またもや行方不明───神隠しか?】と、珍しく都市伝説のようなものだった。

 普段は全く都市伝説やスピリチュアル的なことは信じないオレだが、この時の精神状態はそれにすら縋ってしまう状態であった。オレは躊躇わずにそのニュースをクリックする。

【数年前から報告されている行方不明事件。その実態はあまりにも不可解なものばかりであった。突然姿を消した夫、昨日までは学校に来ていた男の子、あの有名女優……その誰もが姿を消してから数日間、人々に捜索され、あらゆる手を使って行先を掴もうともがいていた。】

 ここまで読んでオレは確信する。これは、オレの妹も関係している事件のことだと。

【しかしどれだけ探してもなんの手がかりも出てこない。警察が動いているのに、である。普通であれば嘘や出任せの目撃情報が入ってくるはずなのに、それすらも無い。それから暫くして、たいていの場合は捜査が打ち切られる。そして姿を消した行方不明者達は人々の記憶から忘れ去られる。だが筆者はここで、この一連の行方不明事件の一端を捉えた。】

 ここでオレの手が止まる。スクロールして先に見えた文字に考えたくないことが書かれていたからだ。その節をオレはこの数ヶ月ずっと否定してきた。そうでは無いと、それだけを信じてやっと掴んだ手がかりであるのに。

【行方不明者のほとんどが“自殺志願者”であったのである。】

 自殺、その言葉でオレの呼吸は荒くなる。妹は体も心も健康だったはずだ。いつも明るくオレに笑いかけていたはずだ。

 思わず体に力が入り、マウスを操作していない方に握っていた手紙をまた皺だらけにしてしまっていた。クシャ、と小さく音を鳴らす手紙にハッと気付かされる。

 “探し物”それは確実に妹のことだ。2度も同じ手紙が届いたのだから、今は悪戯であるとは考えられない。そして、不可解な場所についてもこのインチキ臭いネットニュースでなんとなく想像はできる。つまり妹はこの世にはいない。ただ、あの世とも考えられない。

 この“いもむし横丁”はきっと、異世界なのだろう。

 オレの考察があっているとすれば、異世界との繋がりが強くなる夕暮れの今、この世との繋がりを断つ行為をすれば──────。


 安直にそう考えたオレはおもむろに窓を開け、


 ──────自宅の3階から飛び降りた。


 フワッとした浮遊感と共に万有引力に引かれ、体が地面に近付いて行くのがわかった。死に近づくために顔面から落ちた方が良いだろうか?と考えているうちに身体に強い衝撃が走る。

「……イッッッッテェ!!!」

 あまりの痛みについ大きな声が出る。頭から落ちようとしたのに見事に尻から行ってしまった。きっと明日は尻が何倍にも膨れ上がり、海外のモデルみたいな下半身になってしまうのだろうと心の中で嘆く。と、ここまで考えたところで気が付いた。

「……は、全然死ねてねぇじゃん。」

 飛び降りる直前に思ったが、3階程度の高さからでは人は死ねないのではないか。なんだ、ただ痛い思いをしただけじゃないか、と尻を擦りながら立ち上がると、目の前に人が立ち塞がったのが見えた。

 大方、窓から転落したオレを心配した大人の人だろうと顔を上げるが、無様な姿のオレを見つめているのはこの辺りでは見かけない白い髪をした子供だった。

「大丈夫?朔夜くん。」

「……あぁ、尻が4つに割れただけだ。」

 オレの冗談に白い髪の子供は上品にクスクスと笑う。咄嗟に出た冗談だったが、子供にはこういう分かりやすい冗談がウケるんだよな、と自画自賛したところで違和感を持つ。

────今、こいつオレの名前を?

 完全に初対面だ。オレは記憶力はある方だし、妹のクラスメイトも全員把握している。この白い髪の子供とは認識がないはずだ。

「なんで、お前、オレの名前を、」

 恐怖で声が震える。本能が距離を取れと、勝手に足が後退る。白い髪の子供は楽しそうに口元に手を当て、ウフフと笑っている。

 そして、踊るようにその場でクルッと一回転すると、オレを挑発するような笑顔で言った。


「ようこそ、いもむし横丁へ!」


「……は?いもむし、横丁?」

 唐突な言葉にオレの声が裏返る。だってここはオレの家の庭のはずで───。

 そうして見渡した景色はオレが知ってる自宅の庭ではなく、薄暗く気味の悪い街の入口のような場所だった。

 困惑するオレを置いて白い髪の子供は会話を続ける。

「探し物を見つけに来たんでしょ?だってほら、招待状を持ってる。」

 子供は白く細い指でオレの左手をさす。パッと左手を見ると先程握って皺だらけにした手紙がしっかり握られていた。つまり、やっぱりここは間違いなく、異世界いもむし横丁ということなのだろうか。

 オレは一呼吸置き、考えを整理するように子供に問う。

「……ここはなんだ?死後の世界なのか?お前はなんだ?なぜオレに招待状が届いた?探し物というのは妹のことか?妹はどこにいる?」

「待って待って!質問が多いよぅ!」

 子供は街のヒーローショーを観ているかのように楽しそうにキャッキャと笑うとわざとらしく首を傾げて言った。

「ここはいもむし横丁だよ?アリスはここを、不思議横丁だって言ってたけど。」

 アリス?なにを言っているんだこの子供は。この子供の言うことを否定したいが、実際に不思議な現象はオレに起こっていて、一連のことを考えてもここに妹がいる確率は高い。世間で騒がれていることが真実であるとすれば、これは神隠しといっても過言では無いだろう。

 頭の中で整理して、気持ちは少し落ち着いたようだ。相変わらず目の前の子供は気味の悪い笑いを浮かべているが、来てしまったからには妹を見つけ出して無事生きて脱出するしかない。

「……オレは、ここでなにをすればいい?」

 慎重に言葉を選びながら子供に問いかける。先程の答え方で推測できた。どうやらこの子供は何かを知っているようだが、それをオレに教えるつもりは無いらしい。だとするなら、本当に聞きたいことは隠して、外堀から埋めていくしかない。

「そうだね、定められた道に沿って進めばいいんじゃないかな?」

 そう言って振り返る子供の後ろに三本の道が見える。

「アリスはどの道を進みたい?」

 アリス?ここにはオレ以外いないはずだが……。

「ねえ!アリスはどの道がいいかって聞いてるんだけど!」

「……は?アリスってもしかして、オレのこと言ってんのか?」

「なに言ってるの?ここにアリスはきみしかいないよ!」

 なにを言ってんのか、それはこっちのセリフだ、という言葉を飲み込んで1番右の道を指さす。パッと見、右の道は灘らかで歩きやすそうだったからだ。

「アリスは右に行きたいの?やめたほうがいいと思うけどな〜、ハートの女王が癇癪を起こしてるし。」

 この子供に何を言っても通じないことはわかった。いくら討論をしたところでただ時間が過ぎていくだけだ。この異空間に長居することはきっと精神衛生上良くない。出来るだけ早く妹を見つけ出して、そしてここから脱出する。

「……じゃあ左に行く。」

 左の道は右の道ほど綺麗ではなかったが、街頭に照らされていて真ん中の道と比べればまだ歩きやすそうではある。真ん中道は誰かが歩いた跡があるだけで、ほとんど森の中だ。砂利道で転びそうだし、何よりオレは虫が嫌いだった。

「左?止めないけど、ジャバヲッキーには気をつけてね、噛み付くから。こ〜んなに大きい口で!」

 そう言って子供は短い両手を目いっぱい広げてみせる。ジャバヲッキーってなんだ?言い草によると生き物のようだが。

「……真ん中の道に行って欲しいならそう言えよ。」

「やっぱり!アリスは真ん中に進むと思った!きっと真ん中がいいよ!双子のディーとダムがアリスをもてなす準備をしているよ!」

 オレの声が聞こえているのか、いないのか、子供は嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるとオレの背後に回り込み、早く進めと言わんばかりに背中を押す。

「ぁあ!うぜえ!押さなくても進むよオレは!!」

 子供は相手の気持ちも考えずに間合いに入り込みやがる…これだから子供は嫌いだ。オレは昔からパーソナルスペースは広い方だった。背中を勝手に押す子供を引き離そうと勢いよく後ろを振り返った。が、しかしそこには先程までいた白い髪の子供はいなかった。

───じゃあ誰に背中を押されていたんだ?

「……わけわかんねぇな。」

 もう既に可笑しいことは起きている。きっとこれから先、想定できないことが起こるのだろう。だが、妹を見つけ出す手がかりは掴んだ。必ず見つけ出して、必ず生きて帰る。

 その決意を胸に、オレは大きく一歩を踏み出した。

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