第25話 からかい上手の古瀬景加

「ほらよ」

「テンキュー!」


 俺は古瀬に自動販売機で買ってきた紅茶を手渡して、隣に腰掛けると、思わず顔を手で覆ってしまう。


 まさか、負けるとは……。

 とんだ恥さらしである。


「はぁっ……紅茶美味しーい! ゴチになりまーす」

「おう、お気に召したようでよかったよ」


 俺も、同じ紅茶のプルタブを開けて、一口口に含んだ。

 それは、偶然が重なり合った悲劇である。



 ◇◇◇



 古瀬が助走をつけ始めて加速してき、足を踏み込もうとした途端、悪魔の仕業か、突然の突風が吹き荒れ、スカートがふわりと浮き上がったのだ。

 薄暗いコート内でも、はっきりと目の当たりにしてしまった、古瀬のピンクのTバッグ。

 あまりに衝撃的で、俺は口をあんぐりと開けたまま硬直してしまった。


 古瀬が蹴ったボールはコロコロと地面を這うように転がっていき、ゴール横隅へと見事に突き刺さってしまう。

 俺は一歩もその場から動くことが出来ず、呆然と立ち尽くしていた。


「うっしゃぁ!」


 一方の古瀬は、スカートが捲り上がったことなど気に素振りもなく、渾身のガッツポーズをして、喜びを爆発させていた。


 クソッ……なんというタイミングの悪さ。


「あれぇー? どうしたかなぁ初木? 私、素人だよ?」

「今のはコースが良すぎて、どっちにしろ捕れなかったよ」

「またまた、言い訳は醜いぞ♪」

「うるせぇ。とにかく、次入れればいいだけだ」


 そう言って、俺はゴール内に吸い込まれたボールを拾い上げて、ペナルティエリアまで持って行く。

 古瀬は逆にゴール前へと向かってきて、すれ違いざまに――


「私のパンツ、見たでしょ?」


 っと、含みのある笑みを浮かべて、からかってきた。


「み、見てねぇし!」

「耳、真っ赤だよ?」

「うぐっ……」

「ふふっ」


 俺はペナルティエリアにボールをセットして、三歩ほど間合いを取って、息を大きく吐いて、肩に入った力を抜く。


「精神攻撃とは、古瀬の奴、中々やるじゃねぇか」


 古瀬はゴールの中心で手を広げることもなく、棒立ち状態のまま立ち尽くしていた。


「ん? どうした?」

「別に? 好きなタイミングで蹴っていいよー?」

「んぐっ……あの野郎、舐め腐ってんな」


 おのれ……一本決めたぐらいで、いい気になりやがって……!


「んじゃ、行くぞー!」

「はーい」


 俺が合図を出したにもかかわらず、古瀬はボールを止めようとする気迫さえ見せてこない。


 ……何を企んでやがる?

 俺は猜疑心に苛まれ、眉根を顰めて古瀬の動きを警戒した。


 もしかして、決め打ちか?

 キーパーにおける決め打ちとは、相手が蹴る方向を見ずに、決めた方向へ横っ飛びするという戦術である。

 そう来るならば、こっちは相手の動きを見ながら瞬時に判断して、蹴る方向を変えればいいだけのこと。


 俺は一つ深呼吸を付いてから、小刻みに足を動かして、ボールへと近づいていきながら、じぃっと古瀬が動くのを観察する。

 そして、俺がキックモーションに入る直前、古瀬はスカートの裾を手に持ったかと思うと、ばっと捲し上げたのだ。

 眼前には、先ほども見てしまった、古瀬の健康的な褐色色の太ももと、ピンクのTバックが丸見えで――


「んがっ!?」


 大胆な露出攻撃に、俺は完全に蹴る方向を決めるタイミングを逸脱し、放たれたボールは、コロコロとゆるーく真正面に向かって行ってしまう。

 そのボールを、古瀬がひょいっと両手でつかんでキャッチする。


「いぇーい! 私の勝ちー!」


 古瀬はVサインを作って、満面の笑みで勝利宣言をしてみせる。


「くそっ……それは卑怯だろ!」

「あれぇー? まさかの負け惜しみ? 素人の女子相手に負けたからって」

「んぐっ……」

「そんじゃ、ジュースおごりで! 私、紅茶でよろしくー!」

「はぁ……分かったよ」


 俺は負けを認めて、ベンチへと戻り財布を取り出して、自販機へと向かった。



 ◇◇◇



 これが、勝負のいきさつである。

 まさか、色仕掛けを仕掛けてくるとは……。

 己の精神力の弱さに幻滅してしまう。

 今だって、俺の視線は古瀬の太ももへと向いてしまっているのだから。


 スカート丈から伸びる太ももを見つめていると、不意に視線を感じて顔を上げれば、古瀬がニヤニヤとした顔でこちらを見つめていた。


「もう、どこ見てるのよ……エッチ」

「わ、悪い……ってか、見てねぇから」

「ほんとにぃー? 本当は気になって仕方ない癖にぃー」

「そ、そんなことはない」


 嘘です。

 本当はめっちゃ意識してますはい。

 からかわれてたじたじになっていると、古瀬が含みのある笑みで尋ねてくる。


「また見たい……? いいよ、初木なら」

「はっ……?」

「ほら、私のスカートの裾、捲った先、気になるんでしょ?」


 そう言って、古瀬は俺を試すかのように、自身のスカートの裾を摘まんで、ぺろりと捲り上げようとする。


「そ、そういう挑発はやめろって! てか、そういうのはちゃんと、好きな男にだな……」


 とは言いつつも、視線は勝手に、古瀬が捲り上げようとしているスカートへと向いてしまっているのが情けない。

 ズルズルっとゆっくり捲り上げていき、古瀬の健康的な太ももがさらに露わになっていく都度、俺の胸のざわつきが高鳴っていく。

 そして、古瀬は蠱惑的な笑みを浮かべて、俺を誘惑してくる。

 ついに、太ももの付け根が見えるか見えないかという所まで差し掛かったところで、古瀬は一気に摘まんでいた裾を巻く上げた。

 その先に見えたのは、先ほども目にしたピンク色の輝――って、あれ?


「残念でしたー! アンスコ履いてますー!」


 どっきり大成功とばかりに、古瀬がしてやったり顔を浮かべた。

 いつの間に履いたのか、古瀬の太ももの先には、黒のアンスコが見え隠れしている。


「な、なんだよ全くもう……」

「へへっ、びっくりした? 初木が買いに行ってる間に履いておいたの」

「ったく、人をからかいやがって……」


 俺は期待と無念の入り混じった感情を飲み込むようにして、ベンチに置いてあった紅茶をゴクゴクと飲み干していく。


「あっ……それ私の……」

「んっ!?」


 俺は咄嗟に飲むのを止めて、口を離す。

 見れば、俺の紅茶は、反対側に置いてあった。


「わ、悪い……」


 俺はどうしたらいいか分からずに、紅茶の缶をそっと古瀬の方へ置いてしまう。

 ただ、俺が口を付けてしまった以上、古瀬が飲むことはもうできない。


「俺っ……もう一本新しいの買ってくるよ!」


 そう言って立ち上がろうとしたところを、古瀬がガシっと腕を掴んで制止してくる。


「別に平気!」

「で、でも……」


 すると、古瀬は何を血迷ったのか、俺が口を付けてしまった紅茶の缶を手に持つと、自身の口元へと持っていき、ゴクゴクと紅茶を飲み始めてしまったのだ。


「お、おい……」


 そんなことしちゃったら、俺とさらに間接キスを重ねることに……。

 俺が動揺している間に、古瀬はぷはぁっと紅茶を飲み干してしまう。

 古瀬はなんとでもないといった様子で、キョトンと首を傾げてくる。


「どうしたの? あっ、もしかして、間接キスしちゃったとか思ってたり?」

「それはその……」


 古瀬は口元へ手を当てて、くすくすと肩を揺らす。


「初木って意外と初心なんだね」

「う、うるせぇ。ってか、それぐらい、全然気にしないし⁉」

「ふぅーん、気にしないんだ?」

「いやっ……それはそのぉ……」


 古瀬に問われ、言葉に詰まってしまう。

 期待するような眼差しで、古瀬は俺を見据えてくる。

 くそぉ……ここで気にしてるって口にしたら負けな気がするけど、虚勢を張ったら張ったで、バカにされそうな未来しか見えない。


 俺は一体どうすれば……。

 そんな時、ブーっと古瀬のスマホのバイブレーションがポケットの中で振動した。

 二人の間にあった緊張感がすっと和らいでいく。


「ごめんね」


 俺に断りを入れて、咄嗟にスマホを取り出す古瀬。

 画面を見た途端、すっと顔色を変えた。


「ごめん、ちょっと一旦席外すね」


 そう言って、古瀬はベンチから立ち上がると、グラウンドの外へと向かう階段を上って行き、スマートフォンを耳元にかざして、誰かと通話を始めてしまう。

 一体誰と通話をしているのか気にはなったものの、あまり詮索するのも良くないと思い、戻ってきても、尋ねるのは止めておこうと思うのであった。

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