第3話 昼休みの図書室

 燦燦と太陽の光が照り注ぐ、五月の下旬のお昼時。


 高校二年生になった俺、初木青志はつきあおしは、昼飯を食べ終え、家庭科室や視聴覚室などの特別教室がある三号館へと足を向けていた。

 階段を最上階まで上がり、そのフロアにある図書室へと足を踏み入れる。

 中に入ると、図書室内は静まり返っていて、受付をしている図書委員以外に生徒は見当たらない。


 教室棟から離れていて、かつ辺鄙なところにあるため、昼休みに図書室を利用する生徒などほとんどいないのだ。

 一人になるにはうってつけのスポットである。


 俺はいつものように、とある本棚にある文庫本を手に取り、そのまま窓際の端の席に座り込む。

 椅子に腰掛け、手に持っていた文庫本を開いて、俺は早速読書を始めた。

 昼休みは、こうしていつも一人図書室で本を読むのが俺のルーティン。

 生産性のない話を、クラスメイトとしているより断然楽なのだ。


 しばらく、俺が本の世界に浸っていると、一つの足音がこちらへと近づいてくる。

 その足音が誰だか分かっているので、俺は見向きすることなく、本へ視線を向けたまま黙読を続けた。


「あの? お隣座ってもいいですか?」


 すると、わざとらしく作った声で、一人の女子生徒が尋ねてくる。

 俺は椅子の背もたれに寄り掛かりつつ、重い視線を上げた。


「嫌だって答えても、結局座ってくるじゃねぇか」

「あはっ! 流石初木! 分かってんじゃん」


 何が可笑しいのか、クラスメイトの古瀬景加こせけいかは、けらけらと肩を揺らして笑ってくる。

 肩辺りまで伸びた艶のある黒い髪に、慎ましやかな胸元。

 短く折りたたんだ学校指定のスカートを靡かせ、先から伸びる、日に焼けた褐色色の太ももを惜しげもなく晒していた。


「またいつもの本読んでるの? 相変わらず飽きないねぇー」

「うるせぇ。これが俺のルーティンなんだよ」

「うん、知ってる」


 俺が読み込んでいたのは、とあるシリーズ物の探偵小説。

 全八巻のシリーズ物で、昼休みにここで読むのが俺の密かな楽しみになっている。

 ちなみに今は、二巻の終盤辺り。

 図書室に通い始めてから三か月ほど経つが、ほとんど読み進められていない。


 原因は今目の前にいる古瀬景加にある。

 三か月前、初めて図書室で会話をして以降、彼女は毎日のように俺の元を訪れるようになったのだ。


 最初は軽い世間話から始まり、最近は恋愛相談や噂話まで、色々と幅広い会話をして親交を深めてきた。


 しかも、古瀬とは今、同じクラスにも関わらず、教室で話すことは一切なく、図書室限定で会話をしている。

 つまり、俺と古瀬が実は仲がいいということを、クラスメイト達は誰も知らないのだ。


 昼休みの人気のない図書室で、美少女と二人だけの密会。

 ちょっとだけ、心躍るフレーズである。


 古瀬は、当たり前のように俺の隣の椅子へ腰掛けると、にまにまとしながら、本を読む俺を覗き込んでくる。

 美少女からじぃっと視線を向けられ、本の内容など全く頭に入ってこない。

 俺は一つ息を吐いてから、文庫本を閉じて机の上に置いた。


「あれ、もう読まないの?」

「だって、何か用があるからここに来たんだろ? 本読みながら話聞くとか、失礼だし」


 俺がそう言うと、古瀬は少々驚いた様子目をパチクリとさせてから、ふっと破願した。


「あはっ! 初木ってやっぱり面白いね!」

「どこがだよ? んで、今日の用件は何だ?」


 急かすように話題を振ると、古瀬はキョトンと首を傾げつつ、上目遣いに俺を覗き込んできた。


「何か用がなきゃ、来ちゃダメなの?」


 そのくりっとした瞳に、俺は思わず視線を逸らしてしまう。


「いや、別に用が無くてもいいんだけどよ……」


 俺が頭を掻きながら言うと、古瀬はくすりと肩を揺らした。


「ふふっ、やっぱり初木って面白ーい」

「からかいに来ただけなら、もう口聞いてやんねぇぞ?」

「あー、ごめんってば! 嘘だから! 機嫌直して! ねっ?」


 甘えるような視線を向けられて、俺はドキリとさせられてしまう。

 俺は再びため息をついてから、少々ふざけた言葉を浴びせる。


「それで? 今日はどういったご用件でしょうかお嬢様?」

「むぅ……そういうの好きじゃない」


 古瀬はぷくっと頬を膨らませて、不満げな表情を浮かべる。

 どうやら、我らが古瀬景加様は、もっとフランクな関係をご所望らしい。


「じゃあ、どういう用件で今日は来たワケ?」

「んとね、今日は初木と世間話をしに来たんだよ♪」

「それ、俗に言う暇潰しってやつじゃ……」

「いーじゃん別に、細かいことは気にしない、気にしない!」


 そう言って、バシバシと俺の肩を叩いてくる古瀬。

 ほんと、マジで何しに来てるのこの子?


「てか、古瀬はどうして毎回、毎回俺の所に来るわけ?」

「だって初木って、私のくだらない話でも絶対聞いてくれるでしょ! 話し甲斐があるんだもん!」

「さいですか……」


 どうやら、古瀬にとって俺は、都合のいい話相手だと思われているらしい。

 まあ、あながち間違ってはないけどさ。


「それに私たち、同じ穴のムジナでしょ?」


 古瀬は意味深めいた雰囲気で、したり顔を浮かべてくる。


「例えば?」

「部活に本気なところ」

「それから?」

「努力家で、曲がったことが嫌い」

「他には?」

「面食いなトコ」

「いやちょっと待て。俺は違うからな⁉」


 面食いマスターはあなたでしょ古瀬さん?


「じゃあ、初木はどういうタイプの女の子が好みなの?」

「そ、そりゃまあ……優しくて可愛い子?」

「ほら、やっぱ面食いじゃん」

「面食いじゃねぇよ」


 本当だよ?

 断じて違うからね?


「はぁ……ほんとどうして世の中に、もっと初木みたいな性格イケメンの男子っていないんだろうね」

「いやいや、俺みたいな性格がイケメンとか、普通に考えてヤバすぎるから」

「なんで?」

「だって俺、酷い性格してるぜ? 根がひん曲がってるし」

「確かに、そんなイケメン、ちょっと嫌かも」


 想像したらおかしかったのか、古瀬がぶっと吹き出した。


「だろ? だから古瀬には、もっと心から尊敬できるような性格をしてる、真のイケメンに出会って欲しいと心の底から願ってるよ」

「そんな男、この世の中に存在するのかな?」

「まっ、いないとは限らねぇんじゃねぇの?」

「そうかなぁ?」

「この学校にいないってだけで、外の世界に出たらいるだろ」


 俺達高校生のコミュニティというのは、基本的に学校内で形成されてしまっているため、お眼鏡に叶ったタイプの異性を探し当てるというのは至難の業。

 世の中には三十五億の異性がいるのだから、外の世界を見れば、古瀬の好みに見合う男性も必ず見つかるはずだ。


「まあでもさ。やっぱ身近にいた方が嬉しいじゃん?」

「そりゃまあな」

「でも現実はそんな王子様が目の前に現れることもなければ、全然興味ない男の子に告白されてばかりの日々よ」

「お、おう……なんかすまんな」


 モテない男子を代表して、俺はつい謝罪の言葉を口にしてしまった。


「別に初木のことを言ってるわけじゃないよ。それに私、初木のことは結構お気に入りだよ?」

「それは、どういう意味でのお気に入り?」

「もちろん、私のくだらない愚痴に付き合ってくれるっていう友達的な意味で!」

「だよなー」


 うん、知ってた。

 だって俺、古瀬の求めてる容姿じゃねぇもん。

 顔も均整取れてるわけじゃないし、性格だってひん曲がってるし。


 キーンコーンカーンコーン。

 すると、昼休み終了を知らせる予鈴が校舎内に鳴り響いた。


「さてと、教室に帰りますか!」

「だな」

「んじゃ、またね―」


 そう言って、古瀬は席から立つと、さっさと先に教室へ戻って行ってしまう。

 ああいうサバサバしてるというか、相手に固執しすぎない所が、古瀬の良さなのかもしれないな。

 そんなことを思いつつ、俺は机に置きっぱなしになっていた文庫本を元の位置に戻してから、後を追うようにして教室へと戻っていく。

 これが、俺と古瀬景加の現在の関係性であり、日常である。

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