第7話
『変な烏(からす)を見たかって?そういえばさっき、やけに飛び方が下手な奴を見かけたなあ』
「どこで見たの?」
何匹もの烏(からす)に聞き込みをして、やっとそれらしい手掛かりを得ました。私は、その烏(からす)を見たという公園へ向かいます。
その公園は、学校の近くにありました。茂みの方からガサガサと音がして見ると、羽を怪我した烏(からす)がいました。
その体は赤黒く、てらてらと濡れています。私は大きな石を手に持ちました。自分自身の、呼吸が荒くなっていくのが分かります。当たり前です。今は烏(からす)とはいえ、クラスメイトを殺そうとしているのです。
「なんで自分が烏(からす)にされたか分かる?」
私はその烏(からす)に聞きましたが、その烏(からす)は情けない鳴き声を上げるだけです。答えの返ってこない質問は、私自身へと返ってきました。
私は何故、この子を烏(からす)にしてしまったのでしょう。あれだけ憎くて許せなかったのに、今はもうどうでもよくなって、ただこの場所から逃げ出したくてたまりません。貴方のために必要なことなのに、私はこの手を振り下ろせません。どうしようもなく震える手から、持っていた石がこぼれ落ちました。
「何してんの」
その声に驚いて振り返ると、烏(からす)になったはずの、あの子がいました。驚いて何も言えずにいると、弱っている烏(からす)を見て、私の手を掴み言いました。
「ばいきん、あるかも、さわるな」
口の形で言葉が分かるように、わざと大げさに話していたと気が付いたのは、後になってからでした。その時私は、貴方以外の人の言葉が聞こえてしまったのが、とても怖かったのです。
パニックになった私はその手を振り払い、急いで廃工場へ戻りました。何が起こっているのか、全く分かりませんでした。
たどり着いた廃工場のトタン屋根には、烏(からす)が一羽止まっています。
「ねえ、なんであの子がいるの?薬を飲んだら、烏(からす)になるんじゃないの?なんで私、あの子の言葉が分かるの?」
その烏(からす)は、私の声が聞こえていないかのようにまばたきをして、首をかしげます。
工場に入ると、縛っていたはずの貴方の姿がどこにもありません。貴方のいた場所には、スケッチブックがぽつんと落ちていました。
そこには、黒い学生服を着た男の人と、ランドセルを背負った少女の絵が描かれていました。クレパスで描かれた二人の絵は、まるで絵日記の様に何ページにもわたっています。
そして最後のページ、血を流す男の人と、泣いている少女の絵が描かれています。不意に自分の指先を見ると、何故だか黒く汚れています。指同士をこすり合わせると、クレパスの脂っぽい感覚がしました。
この絵は、私が描いたのでしょうか。私は貴方の顔を思い出そうとしました。だけどどうやっても、思い出すことが出来ません。名前を呼ぼうとして、私は貴方の名前さえ知らなかったことに気付いてしまいました。
思い出そうとすればするほど、記憶の中の貴方の輪郭はゆっくりとぼやけていきます。
私はもう、貴方には会えないのだと理解しました。
その瞬間でした。
一羽の白い烏(からす)が天窓から、こちらを見下ろしているのに気が付きました。真っ白な羽はまるでそれ自体が発光しているかのように輝き、ガラスのプリズムのように美しい色彩の光線をそこかしこに落としています。
非現実的なほど美しいその姿で、私は彼女が烏(からす)のお姫様なんだと分かりました。呆けたように見とれていると、一羽の烏(からす)がその隣にとまりました。真っ黒なその烏(からす)は、窓ガラスを三回くちばしで叩きました。それはいつか、私がでたらめに言った貴方との約束です。
貴方は、烏(からす)になったのです。
届くはずのない天窓に、私は精一杯手を伸ばします。くらむほど眩しいその光は、私の指の間からもれ出て、つかむことはできません。
そうしている間に二羽の烏(からす)は飛び立っていってしまいました。静かな廃工場に、私は一人残されました。
私は色々な人の声を聴き、罰も受け、貴方のいない日々を過ごしていきます。その生活の中、いつかあなたを思い出さなくなったとしても、貴方がこの場所に存在したことは決して消えはしないのです。
どこかで烏(からす)が鳴いています。
もう、人の声には聞こえませんでした。
カラスとクレパス ツウラ(有) @katakori1010
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